人間の生き方

人間の生き方

僕が成すべきこととは?

障害者になった今私が成すべきこと 左手は全廃である。 麻痺した左手足が脳の可塑性により再構築され回復する可能性があるという 「決してあきらめるな」と 私も今日までそう思っていた。決して回復をあきらめない そういうあきらめない気持ち。それはそれでよい でも「坂の上の雲」を読んでいて思った。 正岡子規は結核の病に侵されながらも近代俳句を作り上げた。 そのとき私は思った。。自分のか身体の機能回復にこだわっていて良いのだろうか。 もちろん、機能が回復すればそれはそれですばらしい。 でも私の人生に何が残るのだろうか 他に成すべきことがあるのではないか 左手足はそう簡単に機能回復しないであろうことは自分自身でわjかる。 リハビリ医師が何と言おうと、自分の身体は自分が一番良くわかる。 そう簡単には回復しない。 それに再出血のリスクも高い。残された人生そんなに長くはないだろうということは感じ取れている。 ならば残された機能でできることを考えることの方が大切ではないか 幸い右手は完全に健常である。タイピングスピードは両手を使えたときの10分の1以下ではあるがこうやって文章を書くことができる。PCを操作で...
人間の生き方

煩悩とは・・涅槃とは・・

僕は半身麻痺と強い中枢性疼痛という痺れの後遺症を負ってからこの一年は「煩悩とは何か、煩悩をなくすにはどうすればよいのか」について考え続けました。なぜなら、仏教では、〝人の苦しみはみな煩悩にとらわれる事によって生じるので、この煩悩を消滅させる(煩悩に勝つ)事によって覚りに達することができる〟とされているからです。そして今の私は生きていることが苦しい。。だから「煩悩」というもの捨てることができるのであれば心の苦しみだけでなく、肉体的苦しみさいからも解き放たれるといのなら、そうなりたいと思ったからです。若いころ好きった手塚治虫さんのブラックジャックの中で、安楽死請負人のドクターキリコが「治る見込みがなく、地獄のような苦しみの中でいっそ殺してくれという患者を安楽死させることと無理やり生きさせる医者とどちらが正しい!?」とドクターキリコから言われたブラックジャックが医者の存在に思い悩み「神よ!医者は何のためにあるんだ!」と叫ぶシーンを思い出す。あの有名なマハトマガンジーは人間のもつ食欲でさえも煩悩と捉え、空腹に苦しむ自分を修行不足だと考えたそうだ。煩悩を捨て去れた状態を涅槃という涅槃とは・・煩悩...
人間の生き方

本当の幸せ

今、私やっとは障害者になってしまったことをずしも不幸と思わないようになれつつあります。もし脳出血をおこしていなかったら、経営者として銀行からの多額の借入金をしていたので、経営・営業に終われ、青くなっていたでしょう。障害者になったおかげで、(人間としての多くの機能は失いました)が、人間の生きる意味とか幸福について十分に考えさせてもらえる時間を与えられました。会社は破産、自己破産で借金もなくなりましたので返済に追われる苦しみからは逃れられました。決して楽な生活ではありませんが、ある意味、心の平穏を得られた気がします。そして今愛する息子と妻と毎日3食の食事と会話ができています。倒れる前は徹夜で仕事をするときなんぞザラにあり、家族との会話も少ない日々でした。何本当の幸せか考えさせられる日々です。歴史に「もし」は禁句です。私は今現在、障害者として生き残った機能を精一杯使って生きて行こう。過去を振り返っても仕方が無い。ただひたすら前を見るのみ。
人間の生き方

笑って死ねるか

死ぬ瞬間、僕は笑えるだろうか笑えるということは、悔いがないということである。たとえ、他人よりも苦しい人生だったとしても酷い目に合った人生だったとしても、生き方に恥じるところがなければ笑えるのではないか。もちろんどんな死に方をするか分からない死ぬときは苦しくて笑っていられないかもしれない。でも「死ぬ」その瞬間、心の底のどこかで笑っていたい僕は、事業に失敗し、脳出血で倒れた。家族にも苦労をかけた決して、「成功の人生」ではないけれども、人に迷惑ばかりかけたかもしれないけれど、精一杯生きて、自分なりにベストを尽くせたという状態で死にたい
人間の生き方

周りに生かされている

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。この条、一旦そのいわれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆえは、自力作善のひとは、ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。私達がぬくぬくと生きているそのことが、その裏で『殺生』を積み重ね、それに気づかないフリをして生活をしていることはどうなのか。じっくり考えてみたいことではなかろうか。「他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり」か・・僕は周りの人たちにのおかげで生かされている。周りの人のおかげで、「生きがい」を頂いている。親鸞の言うように善行と思っていることでも裏では犠牲になっている人々がいる。それは気にしながらも、障害者となった今は、この身体でできることで自分の信じる道を希望として生きるのみ。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━希望とは世の中の状態のことではなく、心の中のものである。どんな...
人間の生き方

人生の成功とは

人生において成功するのは間違いなく「頭のいい人」ではなくて「楽しい人」です人が集まってくれなければひとりでは何もできませんしかし人生の成功とは、決してお金持ちになることとか裕福な、余裕満々の生活ができることではない。質素でもいつも喜び・悲しみを分かち合える人が周りにいることです。それは子供かもしれない、妻かも知れない。友人かも知れない。いつも笑顔で話し合える状態のことだと思う。死ぬ瞬間に笑顔を作れるかこれが僕の目標だから、もう障害を負ったことを嘆くのは止めよう。後遺症でどんなに苦しくてもつらい顔はしないぞ自分自身に対してもいつも笑顔でいよう!
人間の生き方

広島の原爆慰霊に思う・・人間にとって「問題の存在」は希望への道

問題とは・・目標と現状のギャップのことを問題という。問題を感じるということはことは目標「理想」があるという証拠なのだそれは捉え方によっては「希望」があるということなのだ。皮肉なことに人間は希望がない生き方はつまらない生きがいを感じないつまり問題を抱えることがその解決に「希望」を持ち、解決に「生きがい」を感じる本日広島の原爆慰霊の式典が行われた。世界には核兵器の脅威が満ちている。これを問題と考え、核兵器のない世界という目標があるということは「希望」があるということなのだ。問題を感じないことの方が恐ろしい今回、アメリカが初めて参列した。これまで、アメリカは広島への原爆投下は「正義」だと思い、「問題」と感じていなかった。今回の参列はあの歴史は問題だったと認識し始めたということだ、つまり、アメリカが「希望」を持ちはじめたということだと思う。険しい道かもしれないが、皆で「希望」に向かって前を向いて歩こう現代の環境問題しかり・・人の道のり 苦楽縁あり 山の頂きは静寂 無は静かなれど 退屈に過ぎ 喧騒を求め 下山苦楽を享受す 人間とは矛盾した生き物である僕も肢体障害という問題を抱えているが、これが回...
人間の生き方

現在の閉塞感と心と魂と宗教

現在、日本も世界も閉塞あらゆる面で「閉塞感」が漂っている。リーマンシショック以降の出口の見えない経済不況、解決策の見えない地球温暖化や異常気象による災害。。「閉塞感」とは本当に閉塞しているのではないと思う。あくまでも「閉塞感」だと僕は思っている。つまり心の問題だと思う。「希望」と同じだ「希望」とは世界の状態ではなく心の状態である。 「希望」、この深く力強い感覚は、 物事がうまくいっているときの喜びや成功が明らかな企業に投資する意欲などとはまったく異なるものだ。 むしろ、価値があるという理由で働くことのできる能力である。閉塞感も同じく人間の心の問題で、どんな状況であっても人間は「希望」を持つことができるはずだと思う。希望を持つと意欲がが出る。意欲があると、良い発想が沸く、逆にに閉塞していると思う意欲までなくなり、苦境の解決策のアイデアさえ浮かばなくなり、本当に自身を閉塞状態に陥れてしまうと思う。ネガティブな思考のスパイラルに陥る危険だ。昨今の日本の日本の自殺者の多さには危機感を感じる。今の世の中は不確実性に満ちているとよく言われるが、いつの時代も同じだったと思う。そんな中で未来に希望を持...
人間の生き方

絶望下での知恵と希望

人間だけが、絶望下で知恵と希望を持つことができると思う。現代のような不確実性の社会と言われる世の中でも人間は必ず希望を持つこができる現代だけではなく、過去から今までも世の中は、不確実性に満ちている「確実の儲かる」とか「確実に幸せになれる」「確実に病気が治る」といったものは人間が元来心の奥底に持つ希望とは違うこの世に「確実」なものなどほとんど存在しない「確実」と思っていて失敗に終わった事例など膨大にあるはずだ。希望とは、信じる力から生まれると思う。不確実性があるという理由で希望がもてないなら人間は永遠に希望は持てないであろう。それを乗り越え希望をもてるのは「信じる力」だと思う。根拠が明確でなくても信じることのできる人間は希望を持つことができる根拠がなくても希望を持つことができれば「意欲」が沸く意欲は知恵の源泉だ。人間は意欲がなくなると知恵も沸かない。人間の「創造性」や「知恵」は意欲から生まれるものだ。うまくいくという根拠がなくても、希望と意欲を持つことができる人は知恵を出し創造性を発揮し、成功に導くことができると思っている。私の後遺症も現代医学では明確な治癒方法はない。いつもリハビリに行...
人間の生き方

個人情報保護法によって匿名化された孤立社会の危険

今の個人情報保護に疑問を感じる特にネット上で匿名化された世界これでコミュニケーションガ成り立つのであろうかなぜ匿名やハンドルネームを使うのかわからない本名や住所など知られて何が問題になるのか嫌がらせや、イタズラの危険性があると思うのだろうか逆に言えば、自分に自信がないということになりましないのだろうか僕はネット上では全てを公開している。障害者であることも。決して恥ずかしいとは思っていないコミュニケーションは相手の立場を理解した上で、その立場の尊重や心情的理解がなくては成り立たない。相手を知る、自分をさらけ出して議論することではじめて本当の相互理解ができるのではないかネット上の議論は「バーチャル」だから無意味というがそれは匿名だからではないか現代の人間はコミュニケーションが面倒になっていないか相手を知る、自分をさらけ出して議論するためには、相手の心情的理解をして、気配りをしなければならない、精神的にエネルギーを要する。でもだからこそ、人と接することは面白い、五感を通して相手を知り、自分を伝える。ケンカになることもあるが、五感を通した話合いの場合、相手の心情が伝わってきたりして大きなトラブ...