人間について

人間について

余 裕がほしい・・

余裕がない・・精神的余裕が・・それを痛切に感じた・・僕は左半身が不自由だそのことでできないことがたくさんあるできないことは人に頼めばよい・・それはわかるでも・・イザというとき自分ができるということが心の余裕になる例えば一昨年のような東日本大震災のような災害が起きたら・・僕はたぶん逃げきれない・・どの方向へ逃げれば良いか分かっていても・・だこれが精神的余裕をなくするそんなおお大きな災害でなくても・・日常の仕事にでもそういうことはある僕が今やっている仕事はある作業の管理業務だ僕自身はこんな身体だからその作業はできない(両手作業だから)仕事にはトラブルやミスはつきものだそういうイザというときに自分ができないということは人を手配しなければならない・・昨日もチョットしたクレームとミスがあった大した問題ではなかったのだがクレームの場合対処は急を要する実際(僕が両手さえ使えたら)5分程度で対処で切るレベルの問題だった・・でも僕が片手しか使えないから、人の手配が必要になったで・・手配しようとしたら、運悪くスタッフが誰もすぐには行けないと言うこういうとき、気持ちが焦るもんだ・・自分ができさえすれば・・と...
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弱い心に勝つ

悲しんでたまるか!悲しまずに悲しみに勝つ!悲しみに勝つには悲しまないこと!怒ってたまるか怒らずに怒りに勝つ怒りの心に勝には怒らないこと!憎んでたらるか憎まずに憎しみも心に勝つ!憎しみの心に打ち勝つには憎まない事!怨んでたまるか!怨まずに怨みの心に勝つ!怨みの心に勝つには怨まない事!悲観してたまるか!悲観せずに悲観的な心に勝つ!悲観的な心に勝つには悲観しないこと!そして希望を持ってやろう希望を持つことで希望が持てる心になる!希望が持てるようになるには、まず希望を持つことそうすれば笑える。笑顔になるために笑おう笑う心は笑う事で得られる単純なことだ
人間について

自分の中にある「それ」に勝つ!

「怒らないこと」を武器にして自分の中に潜む「怒り」に勝つ「ポジティブな心」を武器にして自分の中に潜む「ネガティブ」に勝つ「分け与える」を武器にして自分の中に潜む「独占欲」に勝つ「事実のみ言うこと」を武器にして自分の中に潜む「偽り」に勝つ人からの評価による快・不快は所詮は僕の心の中だけに生まれる幻のようなのもの罵倒・ののしりには肩すかしで返そう怒り。悲しみも所詮は僕の心の中だけに生まれる幻のようなのもの誰にも見えやしない
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外界からの雑念(情報)を断つことにより、心をクリアにしてことの本質を見る

今の時代外界からの雑念(情報)が多すぎる・・マスメディア、人からの又聞き・・良いと思って構築してきた多くの人間関係が逆に僕の心を惑わしていることに気が付いた心を限りなくニュートラルにすることにより、ことの本質、自分の生きる意味の本質を見つめたいそのためには外界からの雑念(情報)を断つことが最も大切だと思う外界からの雑念(情報)は五感から入力されてくるでも五感を完全に遮断することは物理的に不可能だとしたら瞑想することだろう僕なりの解釈では瞑想とは・・別に山籠もりをしたり寺に行って「何もない環境」で修業に励むことではない限りなく目の前の「コト」に集中することだと思うそのことによって自分の勝手な思い込みによって生まれる余計な悲しみ自分の勝手な思い込みによって生まれる余計な不安自分の勝手な思い込みによって生まれる余計な怒り自分の勝手な思い込みによって生まれる余計な憎しみ自分の勝手な思い込みによって生まれる余計苛立ち自分の勝手な思い込みによって生まれる余計な焦りこのような全てのネガティブな心が取り払われ僕の心は」限りなくニュートラルになるニュートラルな心になれhば世の事象(政治・経済だkぇでなく...
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今の僕の唯一の望み・・

今の僕の望み・・それは負った障害を回復することはもちろんだけども・・それは叶わぬ望みだと思っている叶うとしても、もうその頃には僕なんて生きていない遠い未来だと思っているそんな中、今の僕の望みは唯一の望みは45歳で脳出血になって以降、僕の起こった事を全て許すことができる日が来ることである脳出血とそれによって負った障害はもちろん僕がこんな風になったことが引き金になって僕の周囲で起こったっ様々な思わぬトラブル・・不自由でることによって悔しい思いをした日々・・もちろん痛みと痺れに苦しんだこの4年間の僕の人生・・そんな今での出来事の全てを許すことができるようになったならどんなに心が安らぐだろう・・今の僕の望みはそれだけで十分である
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まだまだ煩悩だらけ・・

無手無足で生き抜いた中村久子さん(1897年(明治30年)11月25日生まれ)という人がいることを僕は今日知った。彼女は3歳のとき足の霜焼けが元で突発性脱疽という病気になり、なんと両手両足を切断したそうだ。その彼女はすぐに父親も亡くし、食べていくために見世物小屋で見世物芸人「だるま娘」として見世物になった。でも彼女は持ち前のたくましさで、料理から裁縫まで何でもできたそうだ。更に結婚もして子供も産み立派に育てたというその彼女は仏法を学んだ人たっだ。彼女はヘレンケラーとも対面しており、ヘレンケラーが来日して久子さんに会ったとき久子さんの身体に触れて、ハッと気が付き「私より苦労している人、そして偉大な人がいる」と言って滂沱の涙を流して彼女を抱きしめたという。その彼女にこんな逸話があることを僕は知った。この久子さんの娘さん(富子さん)は寮生活をしながら遠方の高校に通っていたそうです。(富子さんは手も足もないのに何でもできる母が自慢だったそうだ)あるとき、母・久子さんが一人で高校まで様子を見に来たので、富子さんはビックリしたそうです。当時は汽車で20時間もかかるところだったからだ。久子さんは一人...
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中村久子さん・・

昨日書いた中村久子さんの記事に対してYouTubeに中村久子さんの紹介動画があったというコメントを頂いたので探してみたら見つかったのでここに紹介します。「知ってるつもり」という番組で紹介されたものだった。これを観ると確かに感涙ものだ・・これほどの苦難の生涯を送りながら、それでも久子さんは自分が慢心していると悩んだというくだりは身が引き締まる思いがした・・そして。あの釈迦が「目覚めた人(ブッダ)」と言われているけれど、この中村久子さんこそが本当に「目覚めた人」であり、「悟りの境地に達した人」ではないかと感じた。。中村久子-1中村久子-2中村久子-3中村久子-4
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許すことは自身を救うこと

「弱い者ほど許すことができない。許すということは強さの証だ」この言葉はあの非暴力・不服従主義で有名なマハトマガンジーの言葉だけど、最近僕は「許す」ということは自身を救うことではないかと思うようになっている。なぜなら、例えば僕を襲った病気に対する憎しみ怨みや悲しみや怒りと言ったような気持ちを考えるとこれが病気でがなく人に対する憎しみ怨みや悲しみや怒りだった場合、「復讐したい」とか「報復してやる」という気持がでてきて、復讐や報復ができればそういった気持ちが晴れるかもしれない、でも、もし、復讐や報復ができたとしても、そんなことをしてしまえば、後悔や自責の念だどが絶えず心の中に付きまとうような気もする。もちろん、復讐や報復ができなければ、「復讐したい」とか「報復してやる」という気持が永遠に付きまとう。それはどちらも、決して良い状態ではなく、どちらも(復讐できてもできなくても)自分自身を苦悩に陥れるような気がする。だから、復讐や報復で自分が救われるわけではないことを意味する。そこで唯一、自分の心が救われるのが「許す」という行為ではないかと思うでもこの「許す」という行為も「我慢」や「忍耐」の上で成...
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プレシンキング

プレシンキング(Prethinking)・・この言葉はいつだったか僕が勤めていた会社で教わった言葉(自分で起業するまでいろんな会社を転々としていたのでどこ会社だったか忘れたけど・・)意味は、その英語の通り「事前考察」つまり仕事上で、どんな行動をするにも、行動する前にあらかじめ起こり得る事態を想定して(できるだけ想定外も含めて)準備しろということだ悲観的に想定(最悪の事態を想定して)して準備して、行動は楽観的に・・とも言われた記憶があるそして今僕は、行動する前に必ずこれから行動すること(場所や状況やかかる時間)をあらかじめシミュレーションすることを余儀なくされている。なぜなら、この身体では咄嗟のときにすぐに対応不能だからだ。。・これから行動する場所に階段はあるか、・この足でどの程度の時間がかかるか・その場所に手摺りはあるかないか・交通機関を利用する場合、時刻表をキチンと頭に入れておくそこまでしないと何かミスやトラブル(遅れやこの身体で移動できない場所「例えば手摺のない階段など」)が起こった場合今までの健常者の頃のように対処できないし、やり直し(引き返してもう一度来る等)が会った場合とてつ...
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桜・桜・桜

今日は天気も快晴で、近所の桜並木が満開に近い状態(たぶん8分咲き)だったのでいそいそと一眼レフを首にぶら下げて撮影に行ったさすがに予備レンズ3本を入れたカメラバッグを背負って歩くのはキツかった・・でも結構上手く具合に撮れたので少々満足・・この桜もあと10日もすれば一気に散るんだよなと思うとほんと儚いなって感じるでもやっぱり散るなら桜みたいに一気に散る方が僕は好ましい。人間(僕)の命もね・・いつまでも「生」に執着して。未練がましく(ただ生きてるだけの状態)では生きていたくないなそれにしても桜並木は爽快だった