人間の生き方

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国際外交は本当に「目には目を、歯には歯を」でなければならないのか

昨今の尖閣諸島問題で、日本政府は「弱腰外交」と非難されている。国際社会はそんな生易しいものではないという声も聞こえる。「平和ボケ日本」という声もたくさん聞こえてくる。19世紀以降西欧列強諸国の帝国主義から始まって、国際社会はパワーポリティクスであるという国際政治学者もいる。確かに必ずと言っていいほど「報復措置」を行い、それによって紛争を「解決?」してきた西洋諸国を見ていればそのようにも感じる。本当に「目には目を、歯には歯を」でなければ国際社会は通じないのだろうか。「目には目を、歯には歯を」の記述はハンムラビ法典196・197条にあるとされ、新約聖書のや旧約聖書にもその記述は存在するそうだ。これが西洋諸国の考え方の原点でもあるのだろう。本当にこのような考え方で国際社会が成立するのだろうよく日本の「弱腰外交」について平和ボケ日本というような言われ方をするけれども。カウンター報復をすることが必ずしも解決につながらないと思う。あのマハトマガンジーが無抵抗主義を貫いたときこのように言っている----------------------------------------非暴力とは 悪を行う人間の...
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本気で生きているか。

僕は、健常者の頃はしばしば自分に対して「自分は真剣に生きているか」と問いただすことがあった。それは仕事などに行き詰まった時、僕の尊敬する松下幸之助の著書「道を開く」という本の中にある「真剣勝負」というページを思い出し、自分に言い聞かせていたものだ。しかし「本当に真剣か」と自分に問うてみると、自分で自分に対して答えに窮していたのが本音である。「真剣勝負」とはその名の通り、竹刀や木刀などではなく斬れ味鋭い真剣で勝負することである。一瞬の気の緩みが死を招く。そんな状況である。日ごろから常にそのような姿勢で仕事に取り組んでいるか生きているかと、問われると正直言って答えに窮していた。不思議なことだがこうして障害者になってしまった今、「本気で生きている。毎日真剣勝負で生きている」と堂々と言えるのである。それはたぶ出血性のモヤモヤ病による脳出血を患ったため、通常血圧であっても再出血のリスクが高いという状況であり、常に「死」という文字が頭の中にあるからだろう覚悟はできている。そんな気持ちの中から「本気で生きる」姿勢が生まれてきたのだろう。それはとても幸せなことでもある。。なぜなら日々本気で生きていると...
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僕は明日からも進化することを誓います

今年もあと1日となった。明日で僕も48歳だ。脳出血で半身マヒの障害者となってから丸2年、麻痺側の手足はほとんど変わらないけれども今年幸運に恵まれました。なんとこん身体で新たな事業を立ち上げることができた。もちろん自分一人の力でできたのではなく、周りのみんなの力を貸していただいてできたことだ。大人はいよいよNPO法人を実稼動させる年だ。僕は今思う。2年前は経済的にも精神的にもどん底だったがここまで来れた。それは現実を受け入れるために、自分自身で常に心のパラダイム転換に務めてきた結果だと思う。悲しい時、苦しい時、その苦しいと思う心や楽しいと思う心に押しつぶされないようにするために、無私無欲に心がけた結果、乗り越えてこられたと考えている。来年からもこの先ずっと無私無欲で自らのパラダイム変換を続けること、そうし続けていることで何かが変わると信じる。僕が心のパラダイム転換という人間にとって非常に重要なことに気付いたことが幸運だったと思っています。これがなければ乗り越えてくることができなかっただろう。これはもう何年も前に読んだ「七つの習慣」というで学んだことだ。その時もこの本の下記の一節がなぜか僕...
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無私無欲について

前の記事のコメントに無私無欲についての僕の考えを教えてくださいとありましたので、無私無欲について書いてみたいと思います。僕が無私無欲について書くのは、自分自身が無私無欲になりたいだからです。なぜ無私無欲になりたいのか。それは非常に簡単です「苦しみから逃れたい」ただそれだけです。僕は脳出血の後遺症で左半身が運動麻痺していますが、脳卒中の後遺症は100人100様です。僕の場合は運動麻痺以外にも強い感覚異常(たとえば水が痛いと感じるのです。水のシャワーはまるで針のシャワーであり、ゲゲゲの鬼太郎の毛針攻撃を向けているような感じです)と中枢性疼痛という四六時中麻痺側の左半身に痛みと痺れを感じ続ける後遺症が残っています。これは麻痺した左半身が四六時中痛みと痺れがあるのです。これは耐え難い苦痛です。そしてこの脳卒中後の中枢性疼痛というものは効果的な治療法がありません。つまり延々と痛みがしびれが続くのです。当初この痛みと痺れのせいで精神的に参っていました。いつまで続くのか全くわからない。これが死ぬほど苦痛でした。たとえば骨折をして3ヶ月痛みを治癒するというのであればいくらでも我慢します。3カ月なんてほ...
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失敗は成功の母?

失敗は成功の母というが、この意味は失敗を教訓として、自分の欠点やこれまでの方法の悪い点を改めて行くことによって成功に導くという意味だが、僕の場合、教訓というよりは、障害という苦しさや悔しさをバネにしているようなところがある。ネガティブパワーとでもいうのだろうか。不思議と体が苦しい時ほど心のどこかで「負けてたまるか」と叫んでいる。この2、3日の寒さがとてもに辛い。左半身は硬直気味になるし、痺れもキツイ。最近はこんなときほど精神パワーが出るように感じる。ちょっマゾかなと思うくらいである。
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保護中: 私の本当の苦悩

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他人の力を借りるしかない生き方ほど惨めなものはない。

障害者になったからといって、他人の力を借りるしかない生き方だけはしたくないそな惨めな生き方だけはしたくないたとえ障害者でも自分も何でもよいから少しでも人の役に立つ人間でありたい
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健常者と障害者

「健常」とは体がしなやかに動き、力強く走ることができ、素早く身をこなせることではなく人の心の持ち方であると思うたとえ肢体が不自由で動かなくとも、燃えるような情熱を持ち、希望に燃える心安易を振り捨てる冒険心、保身せず、勇気を持って新しいことに臨む心がある者は健常者であると思う体に不自由がなくとも、現状に慢心し、情熱や意欲が萎え、保身を考え、挑戦の心を忘れた者こそ障害者だとは言えないかその意味で僕はいつまでも健常者でありたい
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こだわりと誇り

ときに職人さんの「こだわり」は賛美される。伝統工芸などの伝統技術の世界であればそれも良いかも知れない。しかし、未来に向かって進むときこだわりは禁物であと思うこだわりは、過去から積み重ねた努力の結果であるかも知れない。その築きあげた基礎があるからこそ、次のステップに踏み出すことができるのかもしれない。決してそれらを蔑ろにしろというのではない。こだわりとは、一種の誇りでもあるのではないだろうか。しかし誇りというものはそれを傷つけられたとき、必要以上に意欲に悪影響が出るものである。新しい未来に向かって、前に進むときそれは大きな壁となる僕自身がそうであった。人間、45歳にもなればそれなりに積み上げてきた「自分」というものがあるしかも築き上げてきた「モノ」をベースにした働き盛りの年齢でもある。そういうものが脳出血であっという間に消失した。その喪失感たるや僕にとって並大抵のものではなかった。この2年はそのことで苦しんできた。長い間「前を向く」ことができなかったしかしこの2年の間にどうすれば前を向くことができるのか悶々としながら考えに考えた結果僕なり結論は自分「自我」あるは「こだわり」を捨て去ること...
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失敗の人生と成功の人生

人生において、100のことをして、99失敗して一つだけ成功したとすればそれは失敗の人生だったのだろうか。それとも成功人生だったのだろうか.今、僕は思います。たとえ99失敗しても、一つは成功したのだから、ある意味で成功したと言えるのではないだろうかそれよりも、99の失敗に対して悲観してしまい悲嘆にくれることの方が本当に人生の失敗になってしまうのではないだろうか。それよりも、一つ成功したんだから、残りの99も成功するかもしれないと考え、だから少ない確率かもしれないけれどもその可能性にかけて挑戦することの方が大切なことではないか僕は脳出血によって会社を破産させてしまい、以前の会社は再起することは不可能になりました。ある意味ではこれまで築き上げてきたものが、すべて無になってしまったと言えると思います。考え方によっては「失敗の人生」になってしまうかもしれません。それでも、それまでの海外に向けて販路開拓をしてきた経験が僕にはあります。ある意味で海外向け販売に成功していたともいえる。今、その経験を生かすことができそうである。「こけたこと」を振り返るよりも、それまでの経験「成功体験?」を生かして、次に...