一生に2種類の人生を味うことができているのかも


僕は脳出血で半身不随となってからというもの

運動やスポーツというものが全くできない身体になってしまった。

やむなくどちらかというといつも机に座って本を読んだりパソコンで仕事をしたり

という生活をしている。

最近はスポーツなど一切しないそんな生活にも慣れてきたような気がする。

確かに左手は全く動かず、歩くにも苦労するけれど、

以前のようにせっかちな自分は存在しなくなった。

考えてみれば、

人間には大きく分けて運動が好きな人間と嫌いな人間という

2種類の人間がいるような気がする。

いわゆるスポーツが好きでアウトドア活動が好きなタイプと

スポーツが嫌いで読書や音楽鑑賞などが好きでパソコンにばかり

向かっているいわゆるオタクタイプだ。

脳卒中で倒れるまでは僕は前者だった。

どちらかというと体力には自信があり走ること泳ぐことも好きな

スポーツマンタイプだった。

アウトドア活動が好きで若いころからスキューバダイビングや

ウィンドサーフィンなどのマリンスポーツに興じたものだ。

僕の知り合いに僕は全く逆でアウトドア活動が極端に嫌いな友人がいた。

彼は読書が好きでジャズなどの音楽鑑賞が大好きだった。

南の島の仕事なんかに行っても、いっさい海には入らず

1日中エアコンの効いたホテルの部屋でカクテルなどを飲みながら

読書ばかりしていた。

彼にとってアウトドア活動がなぜ楽しいのかわからないらしかった。

僕は逆に彼が何が楽しいのか理解なかった。

お互いまったく正反対の価値観を持っていた。

よく考えると今の僕はその彼と同じような生活パターンになりつつある。

そして彼のような価値観を持たないと生きがいを感じることができない身体

になってような気がする。

そう考えてみると、

45歳という人生のちょうど半分のところでまったく正反対の価値観の

人生に変わったような気がする。

そして今までとは全く違う人生を歩みはじめたような気もする。

だとすれば、僕は人生の前半の半分をアウトドア派

後半の半分をインドア派?という価値観の人生を歩んでいるのではないか。

こういうこと(脳出血による半身不随という事件)でもなかったら、

僕は永遠にインドア派?の価値観を持つことも知ることも無かっただろう

だとすれば一体の人生のなかで2種類の価値観の生き方をできたと思えば

良いじゃないか。得した気分になるじゃないか。

そう思えばよい。

何も無理してアウトドア派の価値観を持ち続ける理由は無い。

アウトドアやスポーツなどができなくなったからといって嘆く必要もないじゃないか。

インドア派?の価値観を持って人生を楽しむことができるならそれで良いじゃないか。

1回の人生で2種類の価値観を持つことができるなんてなんて素敵なことだろう

素晴らしいことじゃないか!

投稿者プロフィール

代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。
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