「ありがとう」の言葉で飯が食えるか


僕は障害者になってからというもの、

「たとえ障害者であっても、人の役に立つ人間でありたい。」

「何の役にも立たない人間」にだけはなりたくなかった。

ただそれだけ

現在のNPO法人を立ち上げたきっかけもただそれだけなのだ。

僕は「ありがとう。あなたのおかげで助かりました。あるいは売り上げが上がりました」

その言葉が欲しいだけ。正直(本当の本音)言って大きな報酬など僕にはまったく必要ないと思っている。

最低限、親子3人暮らしていけるだけの収入さえあればそれで良い。

それ以上のものは望まない。

だってそれ以上、いくらお金があったところで、この障害が治癒するわけでもないし、

以前のように、スキューバダイビングを楽しむことができるようになるわけでもない。

だから本当に大きなお金にには興味がない。

そのものより、「ありがとう。助かりました。」という言葉がなによりも欲しい。

その言葉こそが、「障害者の僕でも人に役立っている」証拠だと思うから、、、

僕にとって、「役に立たない人間になってしまった」と感じることほ辛いことはないから、、、

そんな気持ちを発症当初イヤというほど味わい、自暴自棄になり、自死まで考えたのだから、、、

客観的に見て、そんな言葉で飯が喰っていけるのかと思われているかもしれない。

そんなものは夢物語だ。夢想にすぎない。現実お金が必要だと言われるかもしれないけれど、

僕はそう思っていない。

なぜなら「人から感謝される」つまり「人の役に立っている」と感じること以上の生きる喜びはないと思うから

そんな喜びの気持ちになることが、自分の心を高揚させることができ、高い意欲の源泉となるからだ。

そしてその高い意欲こそが知恵の源泉だと思うのだ。

意欲があり知恵さえあれば、何をしてでも生きていけると思う。

逆にどんなにお金があっても、意欲がなければ何も出来ないし、ヘタをする周りから嫉妬などによる妨害に合う
可能性だってあると思う。

大きなお金を持つことなんて周りが良く思うわけがない。

昔、あるニュースキャスターが言っていた。

「人の不幸こそがニュースになる」「人が苦しむ姿こそ人間が最も興味を示す」と・・

「人の幸せ」なんて嫉妬するだけで何の興味も湧かないのが人間だと・・

そんな意味でも沢山のお金なんて必要ないと思う。

金持ちになっったって社会から孤立するだけではないだろうか

孤独になるだけではないだろうか

障害を負った当初動けない体で孤独を味わった僕は

自分の生きる意味は「人とのつながりを持つこと」だと確信している。

人とのつながりが切れ孤独に陥ることは死に等しいことだと思っている

その意味でも大きなお金を持つことは人とのつながりを断絶しかねないと思っている。

そんなことならお金なんていらない。

それよりも「ありがとう」といわれていることの方がずっと人とのつながりを感じることができるから、、、

だから「ありがとう」と言われることを究極の目標にしてもよいとを持っている。

その言葉さえ他人様からいただけるのであれば、

どんな状況でも生きて行けるのではないかと思っている。

だからこそはそれを目指したい。

これは、孤独を味わった僕だけの単なる執念かも知れないが。。。

投稿者プロフィール

代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。
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