起業・ビジネス

プロ意識とサービス残業

プロ意識とサービス残業昨日、電車に乗っていて、横に座った若い男の子二人が喋っているのが聞こえてきた「あれ、明らかに労働基準法違反やで!」「完全にサービス残業なるやんか」云々の会話・・世の中の労働基準法とかいう法律でサービス残業は法律違反として訴訟を起こしている人たちがたくさんいる。残業?それはつまり「仕事が残っているんだろ」残っているんなら最後までやれよ!それでお金をもらってるんだろう。お金をもらっている=プロである。お金をもらっている限り、やるべき仕事は徹夜してでもやれよ。何がサービス残業だ!サービスでもなんでもない。与えられた本業だろうが・・与えられた仕事をやりきった後で、追加で無償で仕事をすることが「サービス」というものだこの点で1番やっかいなのは公務員である。プロ意識ゼロ・・しかも我々の税金でお金をもらっている。驚くべきは17時前になると仕事を辞め帰り支度を始めるではないか!なんだこいつらは・・僕が再出血予防のための脳手術をした脳神経外科医は本当にプロだった。本当をにすごいと思った。小さな個人病院だが外科医である院長は朝6時に起き、入院患者の術後の状況を毎日診察に来る。ガーゼ交...
人間について

新入生6割が「大麻を入手できる」関関同立 残念なニュース

非常に残念なニュースである.関関同立の新入生にインタビューしたところなんと新入生6割が「大麻を入手できる」と回答したそうである以下ニュース記事URL残念なことである、世の中に「閉塞感」を感じ、未来に希望を持てなくなり、薬に手を出すのだろうか。僕のブログの冒頭にも書いているように、「希望とは世の中の状態」ではありません。「希望とは心の状態です」「どんなに苦境の空気が流れる世の中でも人間は心のなかに希望を持つことができる」ということを知ってほしい。決してお金持になることだけが、物質的に豊かになることだけ人間の幸せではなく、それだけでは希望にはなりえないということを知ってほしいと思う関西大学が私の出身校でもあるから余計に空しい気がする。
中国

恐るべき拝金主義・・中国

恐るべき拝金主義さっき、現在の中国の富裕者層の番組のやっていた。その人の中に中国には「お金を持つことは良いことだ。お金がないの最も悪いことだ」という諺がある、だからを金儲けが出来た僕はそれを実践している成功者であり、人間として正しい行いの結果であるニコニコしてに自慢げに言っていた。ほんまかいな・・その諺日本の武士道の考え方とは天と地ほどの違いがある・武士道精神は損得勘定をとらない。むしろ足らざることを誇りにする。人の役に立つ人間であるということの大切さと、その喜びを中国人は知らないようだ。そして彼はまるでホテルのような大邸宅を建築し、中には純金の家具が置いてあった。実に誇らしげであった。馬鹿らしい・・僕は脳卒中で障害を負ってから、お金に執着は全くなくなった。だって何億円、何十億円、何百億円、何兆円あっても、脳卒中の後遺症を回復することができない失ったものは戻らない。だからお金、そんなものは必要ない。最低限生活できるだけのお金があればそれで良い。今回の脳卒中になって、お金より大切なものがあるということを本当の意味で理解できたと思う。それゆえ、今の中国人の拝金主義、中国人でなくとも日本人で...
人間について

大きな志を持とう

大きな志を持とう今の世の中、希望が持ちづらいかもしれない地球温暖化に代表される気候変動による災害。政治の不信毎日のように流れる不景気の情報や暗いニュース子ども虐待この先生の児童へのわいせつ行為検察による証拠改ざん。僕自身半身が思うように動かなくなってしまった。こんな状態で希望を持てと言われても・・・四面楚歌・・と感じる。不安が心を覆いつくす。こんな時だからこそバカでかい志を持った方がが面白いのではないか。その方が周りが興味を持ち付いて来る世の中全体が「希望」に飢えているのではないだろうか。こんな時だからこそ先に「志」をぶち立ち上げたほうがよいのではないか。みんなといっしょに「もうだめだね」なんて言っていてもしょうがない。世の中がどんな状態であっても人間は「希望」を持つことができるこれがぼくが最近忘れないようにしている信念。希望は世の中の状態でもなく、からの状態でもなく、心の状態なのだ。かつて日本は全くの焼け野原から立ち上がった。なにもかもが焼けただれ、それこそ何もなかったという。周りには負傷者だらけだったという。食べるものさえない。そんな状況でも当時の日本人は希望を持ったのだ。あの松下...
人間について

根拠のない自信や信じる力が「漠然とした不安」を制する。

根拠のない自信や信じる力が「漠然とした不安」を制する。「漠然とした不安」これはあの芥川龍之介が自殺した原因ともいわれている心の状態である。「漠然とした不安」これほど精神的にストレスを与えるものは無いと僕も思う。なぜなら、はっきりとして原因が分からないので対処のしようがないからだ。その状態を放置しておくと抑うつ状態に陥る。そして徐々に希望を失い、自らの命を絶つ。 この世の中大抵の人間はなにがしかの不安を抱えているものだ。なんの不安もない人間なんていないであろう。いや実際には不安だらけの人間の方は多いのではないだろうか。そしてそれは通常何の不安か分かっている場合が多い。お金の不安。仕事に対する不安いろいろあると思うけれども、人間はそんな不安をたくさん抱えている。だから、ちょっとしたきっかけで潜在意識の中でその不安の気持ちに火がつくたとえば日経平均株価が万円を切るとか、テレビで殺人事件のニュースを聞くとかそういったことがきっかけで自分の持っている不安に火がつく何か言いようのない不安に駆られるにもかかわらず潜在意識の中のことなので、何が原因なのか自覚ができないのだ。それ以外にも自分ではどうしよ...
独り言

他を制する者は強し、己を制する者はなお強し

他を制する者は強し、己を制する者はなお強し老子の言葉である。己の弱きところを自覚し、自己のパラダイム転換を出来る人間は強いと思う。多分そういうことを言っているのであろう。自己のパラダイム転換・・これは自分の価値観の転換である。これには苦痛を伴う。なぜなら、生まれてからこれまで築き上げてきた「自己」や「自我」などを一旦、捨て去る必要があるからである。これができてこそ「己を制する」ことができたと言えると思う。僕はこれができているだろうか。いやいやまだまだだ。障害になった今、発症後もう2年も経過しているが、まだ過去の、健常者の頃の「自己」や「自我」を引きずっている自分がある。そういうときは苦しい。本当に苦しい。今日も息子が「野球しよう」と言ってきた。今の僕にはでも出来ることではない。仕方がないので息子が球を投げ、僕がバットで打つことにしてあげた。バットと言っても、幼児用の軽いバットで、ボールは柔らかい幼児用のボールだ。それでも僕が、ほとんど右足片足でよろよろなんとか立ちながら、右手だけでバットを持ちでボールを打ち返すと喜んでいた。息子はまだ7歳で野球のルールをほとんど知らない。バットでボール...
人間について

日本の職人の心に息づく武士道精神 そして無心の境地

新渡戸稲造はその著「武士道」の中で続けて次のように記している。外国人旅行者は誰でも、日本人の礼儀正しさと品性のよいことに気づいている。品性のよさをそこないたくない、という心配のもとに礼が実践されるとすれば、それは貧弱な徳行である。だが礼とは、他人の気持ちに対する思いやりを目に見える形で表現することである。それは物事の道理を当然のこととして尊重するということである。また、武士道精神は損得勘定をとらない。むしろ足らざることを誇りにする。とも言われる。江戸時代から武道のなかで最も武士道の精神を必要とするといわれる武道は何かご存知でしょうか。剣道、柔道、居合道などを思い浮かべる方が多いと思いますが、実は「弓道」なのだそうです。なぜなら弓道にこそ、「無心」の境地が最も必要とされるそうです。無心とは「私心なく無心になり没頭できる心」であるという。これは非常に難しい心のコントロールであると思う。すなわち無心でありたいと思った瞬間に無心ではなくなるというのである。「無心でありたい」と思うこと自体が私欲だと言うのである。弓道においては、「的を射たい」という心が産まれた瞬間にその「私欲」が発生し、それが心...
人間について

わが人生の現実は小説より奇なり

よもやこのような人生を送るとは思ってもいなかった。45歳で脳出血で倒れるというようなことをはもちろん想像だにしていなかった。しかし倒れた後のほうが、実に奇妙な人生を歩んでいるように思う。脳出血で倒れた時は、絶望そのものでした。自分の会社を破産、同時に社長であった私も自己破産。もうどうにもならないと思っていた。体が動かない。収入はゼロ。子供はまだ6歳自分の医療費がかかる・・未来は全く見えなかった・・まさに四面楚歌状態だった。正直言ってもう僕の人生は終わりだと思っていた。ところが今の状況はとても奇妙である。新しい事業立ち上げようとしている。体の不自由になり、体を動かす楽しみは一切なくなってしまったが、なぜか夢がいっぱいである。我こそが日本の産業の発展の礎になりたいというような夢や志まで持つことができている。しかも借金はゼロおまけにたくさんの支援してくれる人が集まってくれている。なんとNPO法人まで無償で譲渡してもらった。夢のような話である。倒れる前は成り行きで作った(親会社の社員の時に、給与体系の関係でもうこれ以上給料を上げることができないので独立して外注として働いてくれないか、そうすれば...
人間について

絶対の確信と普遍的なもの

よく絶対の確信をもって生きることが大切というようなことを言われ,人は絶対的なものや普遍的なものを求めがちである.それは人情として分からないでもないが、この不確実性に満ちた世の中に「絶対の確信」なんてあるわけがない。刻々と変わりゆくこの世の中、明日もしれぬ人の世で、神様か仏でない限り絶対に間違いのない道などはないものである。だからこそできるだけ過ちを少なく歩むために、あれこれと思い悩み、精いっぱい必死で考えるのであるその結果どうにも他には道がなさそうで、この道が最もの良さそうだと信じ、それでもまだ心もとないけれども心もとないもままでは仕方がないから、そこに勇気をふるってあり続けるものである。自らを励まし続け、励まし続け歩んでいくものである。どんな人でも、確信がありげに見える人でも本当は手探りの人生で、慎ましやかなものである。持てもしない絶対の確信を無理に持とうとするよりも、謙虚な心構えで手探りで生きていく方が自分自身も他人のひどく傷つくことが少なくて結局は最良の道なのではないだろうか。絶対の確信なんかよりも、たとえ手探りの人生で、一見頼りないように見えても自分自身の生き方を信じ、信じ続け...
人間について

見方を変える

富士山は西からでも昔からでも登れる西の道が悪ければ、東から登れば良い道はいくつでもある。時と場合に応じて、自由自在に道を変えればよいのである。一つの道に執着すればムリが出る。ムリを通そうとすれば行き詰まる。動かない山の動かそうとするからである山はそのままにして、身軽に自分の体を動かせば、そこに新しい道見えてくる。何事も行き詰まれば、ものの見方を変えてみることである。特に企業経営においては、執着心は禁物である。状況に応じて臨機応変に物の見方を変えることが大切である。人は一つのものの見方にとらわれて、執着してしまいがちであり、他の見方があることを忘れがちである「見方を変えれば、世界が変わる。敵も見方になる。不幸ともっていたことも幸せに感じる」下記は有名な「7つの習慣」の本の一節です。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ある日曜日の朝、ニューヨークの地下鉄で体験した小さなパラダイム転換を、私は忘れることができない。乗客は皆、静かに座っていた。ある人は新聞を読み、ある人は思索にふけり、またある人は目を閉じて休んでいた。すべては落ち着...