人間について

こだわりと執着心が人間の苦悩の元凶

「こだわり」というものは、ときには美しいしかし「こだわり」持つことは人間の苦悩の元凶を持つに等しいと思う。こだわりとは、人間にとって、プライドの一種であると思う。そして愛着の一種でもある。さらに自分の過去に対する愛着でもあり、プライドでもある。そこには自分の「愛」や「誇り」が埋まっていると思う。だからその「こだわり」を捨てなければならない時、強烈な「喪失感」に襲われる。人間の「喪失」の怖れは判断を狂わせる。冷静でいることができなくなる。時には凶暴になり、時には、自暴自棄になり、自らの命まで絶とうさえするものだ。ときにこだわりの心や愛着は美しくみえる美しいからこそ喪失への恐れが生まれその喪失時には怒りと悲しみに包まれるだから僕は思う人間にとって「こだわり」など邪魔にしかならないのではないか「こだわり」を持つと、その喪失への怖れが始まる。これは生きるということと同質のものではないかと思う。人間はこの世の中に生まれ、生を受けた瞬間から、死への怖れが始まる「死への恐怖」を捨てることができれば、人間は、とてつもなく強くなれると思う。同じように「こだわり(自分の過去)」を捨てることができれば、前に...
人間の生き方

どうしてこんなことになってしまったんだ。自問自答から得た一つの答え。

脳出血で障害者になってからというものこの2年間自問自を答続けた。「どうしてなんだ」何度も心のなかで問い続けた。どうしてこんなことになってしまったんだ。どうして僕が障害者にならなければならないんだ。そして何もかも失った今、今後自分はどうすれば良いのだ。どうして僕がこんな目に合わなければならないのか。なぜこんなふうになってしまったのか、どうして大切にしてきた自分の会社を失わなければならないのか。どうして体の機能を失い、父親として、夫としての役割を果たすことができなくなってしまうなければないのか。どうして今まで苦労して築き上げてきたいるものを失わなければならないのか。善行をしていないからだというのか。俺は何か天罰を受けるような悪いことをしたのか、こんな問いかけを自分自身にし続けた。そんなことを続けた結果自分なりに得た一つの答え。それは「過去を振り返るな」ということです。そして失ったもの。あるいは喪失したもの取り戻すことは絶対にできない。これは厳然たる事実である。神様も、仏様も、へったくれもない。事実は事実だ。現実に起こってしまったことは変えることができない。現実として受けとめるしかないのだ。...
人間の生き方

苦境こそ学びの最大のチャンスだ

病気になれば、その病気について学ぶことができる。僕も脳出血により半身麻痺という障害を持ってしまったことによって、、この2年間は脳の損傷や脳卒中に関するあらゆる書物を読んだ。「脳の可塑性」についてもかなりの勉強した。その辺の脳神経科医や理学療法士さんよりも、おそらく僕の方が、かなりの知識を持っているのではないかと自負するくらいだ。人間どんなときも、どんな人からでも謙虚に学ぶ姿勢が大切ではないかと思う。人から酷い目に合えば、酷い目に合うことを学ぶ。そして2度とひどい目にあわないように学習をする。また酷いことはしてはいけないということを学ぶことができる。意見が反対の人の言うこと素直に謙虚に聞いてみると、学ぶことは非常に多いと思う。会社を経営していたころ、クライアントからクレームを受ければ受けるほど自分を成長していたような気がする。クレームを受けることは辛い事です。理不尽なクレームを言ってくるお客さんに対しては怒りさえ感じることもあります。でもクレームを受けることによって、次からはクレームを受けないように、するために努力するものだ。真摯にクレームの内容を聞いてみると、自分に改めるべき点が沢山あ...
人間について

素直になる

人には人とそれれぞれにコンプレックスがあると思う。コンプレックスとは、他人より自分の能力が劣っていることに対して感じるだろう。だからそのコンプレックスをカバーするために人は背伸びしようとする。コンプレックスがあると、人前でありのままの自分になれない。つい背伸びをしてしまう。つまり虚勢を張りがちになるものだと思う。人情してこれは仕方のないことだと思う。しかし背伸びしても見えない見えないものは見えないものだとも思う。私なんかのように障害を持ってしまうと、いくら健常者のフリをしようとしても無理なものは無理なのである。無理をして健常者のような歩き方をしようとするとそれこそ転んでしまう。これは、健常者でコンプレックスのある人も同じだと思う。背伸びするとバランスが崩れるものだ。自分では「強いんだという姿勢」を見せているつもりでも、他人からみるとその「バランスの悪さ」で背伸びをしていることに気づかれってしまうものだと思う。つまりいくら虚勢を張っても見透かされてしまうものだと思う。たとえ背が低くても背伸びをせずにありのままでいる方が安定していて外からみて一番安心感があると思う。もちろん自分一人の時は能...
人間の生き方

弱い者ほど相手を許すことができない

弱い者ほど相手を許すことができない 許すということは強さの証だ      (マハトマガンジー)そうだよなぁ・・NTTの一件はもう忘れよう。こんなことでムキになっているようじゃまだまだ僕は未熟で、小さいね
人間について

NTTの詭弁だと思いませんか(皆さんのご意見をください)

NTTだいちから下記のようなメール回答が来ました。岡下俊介様 NTTデータだいち eスタッフ採用窓口です。ご返信が遅くなり、申し訳ありませんでした。以下ご質問いただきました件について弊社の考え方をお答えいたします。 (ご質問内容)●一次面接も含め、実質強制且つ無給研修による6ヶ月に及ぶ実質就職活動の制限をされる拘束になります。この点をどう考えるのか、ご回答お願いいたします。 (ご回答)弊社における選考及び研修は、応募者を拘束するものではありません。事前にご説明いたしましたとおり、研修期間内においても、就職活動を自由に行っていただけますし、就職が決まった場合は辞退も可能です。 ご回答は以上です。 ***********************************************株式会社NTTデータだいち eスタッフ採用窓口      E-mail: estaff@am.nttdata.co.jp    URL:  今回もメールの差出人が担当無部署のみで担当者名は無記名です。みなさんどう思われますか。どちらが、詭弁でしょうか。NTTのほうが詭弁だと思いませんか。私は間違っていま...
最新環境技術

ドイツの日本の電機メーカー誘致についての記事

私のブログの読者の皆様へ本日私が間違ってもう一つのブログ(アカウント:ecoshun-2)に投稿しようとした記事をこちらのブログ(ecoshun)に一度投稿してしまったので読者様には、記事更新メールが届いたにもかかわらず記事を見ることができないという方もいらっしゃったと思いますので、あらためて投稿した記事のURLをここで下記に紹介しておきます。失礼いたしました。
人間について

消費税アップについて

ブログネタ:消費税アップに賛成? 反対? 参加中私は反対 派!本文はここから消費税アップについての議論されているが、単純に、消費税アップに反対か。賛成かなるという質問は、愚問だ。なぜ消費税が必要なのか。そして本当に必要なのかその論拠を明確にして問うべきでしょう。僕個人的な考え方としては、他にするべきことがあるだろうということを考えてしまう。そもそも税収をアップするための最大の要因は経済の活性化ではないのか、そのためにやることは、まだまだたくさんあるはずだ。好景気になれば、企業収入も増えるし、個人収入も増える。そうすればおのずと税収も増える。だからなによりも景気対策が最優先課題であると思う。有効な景気対策が、全く打ち出せていない状況のなかで、消費税アップしても、国民の負担になるだけで、景気はますます後退し負のスパイラルに陥る危険性がある。もう少し明確かつ具体的な経済対策ビジョンや施策を打ち出せないものか。誰しもが、有効であると思えるような経済対策を打ち出したうえで、その効果が出てくるのが、2、3年かかるから、その間は、消費税で補うという論理であれば、消費税アップには賛成である。今の状況で...
独り言

菅政権の言う「熟議・議論」という国会議員の活動のムダ

最近、菅首相は、いや民主党全体が「議論をしよう」「議論をしよう」のオンパレードのような気がする今の通常国会も、熟議の国会にしたいなどと言っている。僕からすれば、「そんなものは無駄だ」といいたい。それと「案」や「ビジョン」が全くないことを証明しているようなものだと思う。どうせ議論をしたって何も決まらない。議論のための議論をしたって何の成果も出ない。単に「議論しよう」なんていうと、自分の意見を言いたい放題いうだけの状態になりやすいし、それぞれ自分の主張が正しいという論理を展開するだけであるどんな主張も「理」である限り、正当化しようと思えば、新たな「理」で理論武装出来るものだ。だから単に「議論をしよう」などということは全く徒労につ終わる可能性が高いものだ。、僕が考えるには、議論には「命題」が必ず必要だと思います。「命題」とは「案」と考えても良いでしょう。その「命題」に対して、反対か賛成かを明確にする議論であれば、価値があると思う。賛成多数であれば実行して、反対多数であれば実行しない。という「行動につながる」今の民主党政権には、こ「命題=「案」がないもんだから「議論を尽くそう」などという言葉で...
人間の生き方

社会貢献は自己満足か?献身する喜びに勝る喜びは存在しない

社会貢献は自己満足か?献身する喜びに勝る喜びは存在しないよく企業の社会的責任として「社会貢献」の必要性を説いていますが、先日ある人との飲み会で、その人は「社会貢献」など自己満足にすぎない。偽善だということを、しきり主張されていたのですが、彼が言うには社会貢献などというものは、自分の満足のために行う行為にすぎない。と言うのです。だから故マザーテレサや故ダイアナ妃の社会貢献活動も、自己満足あり偽善にすぎないというのです。そんな話で明け方近くまで議論し、お酒を飲んでいたのですが、どうも僕としては、彼の言ってることが分かるようでしっくりこないので反論しようとしていたのですが、夜中近くになって、かなり酔っていたので頭が十分に回らず、十分な反論が出来なかったのですが、今から考えると、社会貢献をすることで、自分の満足出来るのであればそれでもいいじゃないか。と考えています。彼がしきりに「自己満足」という言葉を発していたのですが、それは「自己満足」になるのだろうか例えばマザーテレサが、貧困者の町趣き励ましの言葉を発せられることに対して、誰もありがたいと感じていないのであれば、それは、マザーテレサの自己満...