人間の生き方

想定外を生き抜く力

今回の震災では政府も含め「想定外」という言葉がたくさん聞かれた。何も国家レベルでなくても個人の人生においても「想定外」という事態は沢山起こるものだ。僕の脳出血にしたって全くの「想定外」だった。人生なんてどんなに熟慮し計画をしたところで人生は想定外の事態や苦境が起こる。自然災害・病気・事故など災難はいつ自分の身に降りかかるかなんて想定出来ないでも「想定外」のことが起こったからといって諦めるわけにはいかないものだ。何としても生き抜くなければならないそんな「想定外」を生き抜く力とは何だろうか日頃の努力による知識や能力だろうか?いや違うどんなに知識や能力を身に付けてもそんな知識や能力が役に立たないような想定外の事態が起こるものだ。それほど世の中は不確実性満ちているものだと思うそんなとき最も大切なことはやはり自分を信じる心と人との「つながり」だと僕は思う。たとえに降りかかった事態に対処する知識や能力が充分になくとも自分を信じる心があれば希望を信じる心があればそれからでも努力できるものではないだろうか。自分を信じ、希望を信じることが出来れば心があれば前向きなることができる、前向きになることができれ...
人間の生き方

可能性への挑戦

僕の左半身麻痺の回復の可能性は有るのだろうか。ほんの10年前までは脳卒中による後遺症の麻痺ついては発症後半年以内に回復しない場合には永遠に回復しないと考えられていたという。つ一度損傷(死滅)した脳細胞は再生は不可能であるという理由からであるしかしこの10年の医学の発展により損傷(死滅)した脳細胞そのものは確かに再生不可能であるが、脳全体に可塑性「脳の再構築」という能力があることが分かってきたそうだ。これは生き残った部分の脳細胞が必要に応じて必要な脳機能を再構築するというものだ。「代償機能」とも言われている。つまりは右手を動かすための脳細胞が死滅したとしても生き残った全く別の脳細胞がリハビリをすることによって死滅した右手を動かす脳細胞の替わりをする能力があるというのだ。ただ残念ながらその可塑性(再構築)という能力がどの程度リハビリをすれば発揮されるのか、あるいはどの程度の期間で再構築されるのかは全く分かっていなようだ。つまり「可能性だけはある」という状態だ。これも結構辛いものだ。たとえば、あなたの場合3年がんばりなさい。そうすれば回復しますと言われれば頑張れるのだが全くわからない状態であ...
人間について

決 意とは

どんな時に人間は決意というものができるのだろう人間生きていく中で決断を迫られる時が多々ある。特に苦境に遭遇したときには決意が必要である。最近、悩んで、悩んで、散々悶々と悩み抜いたあとで、「突然決意できる」瞬間があることに気づいた。決意ができると気持ちがスーッと楽になるのだ。そして何も怖くなくなる。それは素晴らしい瞬間でもある。一体どうやれば決意ができるのか、このところ考えている。決意せできれば何事も恐れをなくし、粛々と物事を進めることができる心が最強になる瞬間だ。いろいろこれまでの自分の心の動きを考えてみた結果、僕はこう考えている。ありふれた言葉だが「最悪の事態を覚悟できた瞬間」なのだ。最悪の事態を覚悟するとはどういうことかそれは決して「諦め」ではないことに気づいた。「諦め」ではなく「心が崩壊しない確信」を持つことができた時なのだ。僕の場合、苦境に陥いったり、行く手に壁が立ちはだかったりネガティブな思考に陥ったときには「最悪の事態」だけではなくありとあらゆる悪い状況を想定するのだ。そしてそのありとあらゆる想定される「悪い状況」に対してそれが起こったときどう行動するかを考えるのだ。その「...
人間について

障害者だから重要な仕事を任せることが出来ない?

現在も当面の生活費を稼ぐために就職活動をしているNPO法人にもう少し運営資金があれば理事の手当くらい出してるのになぁ・・先週末ある会社にハローワークの「障害者雇用」の枠で面接に行った。その面接の会話の中書類整理などの単純作業をしてほしいという。そして担当者が言った「障害者の方に重要な仕事を任せることは出来ないし・」何気なく言った言葉だろうけれどなるほど障害者に対してそういう見方をしているんだ・・そう感じた僕は自らに辞退した。馬鹿にするんじゃない。障害者なんかには単純作業しか任せることが出来ない?障害者だったら単純作業で満足するとでも思ってるのか!単純作業なんて誰だってイヤだ。じゃあお前がやってみろよ健常者で能力があるんだろ?たぶん僕よりも速くハンコを押すことが出来るんだろう?片手が不自由な僕はこういった書類整理の作業の方が難しいから負けるよ。でも企画力は負けないと思った。体が不自由=能力がないそういう判断基準しかないんだろう?世の中こんなものか・・僕はあの有名物理学者スティーヴン・ホーキング博士を尊敬している博士は病気のせいで両手両足は全く動かないにもかかわらず目の動きだけで意志を伝え...
人間について

心のパラダイム変換で苦境を乗り切る

パラダイム変換という言葉・・この言葉は僕にとって実体験そのものだと感じる。パラダイム変換は「価値観の変換」という意味でよいだろう。価値観の変換をするとものの見方が変わるいや変わってしまうのだ。世の中の見え方が変わるのだ。具体的には好きだったものが、好きだと思えなくなる。嫌いだったものが、嫌いだと思えなくなる。さらには、辛いことも辛いと思わなくなれるこんなことが起こるのだ僕は脳出血で、障害者になってしまったことによって無理矢理、心のパラダイム転換をさせられた。変換せざる得なかったのだ。でもその「心のパラダイム変換」ができたおかげで強くなれたと思う。そしてこの先どんな苦境が来ても乗り切れるような気がする。しかし心のパラダイム変換をすることは実に苦しいことだ。なぜなら過去の価値観を捨てる必要があるからだ。・自分が大切に思っていたもの・自分がこだわり思っていたもの・自分のプライド・自分の生き甲斐これらのものを全て捨てなければならないのだ。これらの価値観を捨ててこそ、そこに新しい価値観が生まれるのだ。僕は「捨てた」のではなく「捨てさせられた」のだが・・具体的には、半身麻痺いう障害を負ったためにこ...
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何もしないことが最善の策:中庸

苦境に陥ったとき、、敵やライバルに負けそうになったときあるいは裏切られた時、多くの場合人は「策」を考えるものだ。しかしそういう時に限って「何もしない」ことの方が良いことがあるのではないだろうか。そういうとき、多くの場合、自分が優位に立つためにどうすれば良いか考えるものだ。裏を返すと「相手が不利になるようにするためにはどうすれば良いか」を考えがちになるのではないか「復讐」などが典型的な行動だろう。そのような時「(この先の状況或るいは相手の行動)を読んで先手を打つ」という行動になりがちになるのではないだろうか。しかし、世の中なんて不確実性に満ちているものだ。先の状況なんて読めるものではない。ましてや人の心など日々変化しているものだ、だからその行動など読めるものではない。策を講じたつもりが逆に悪い状況に陥りかねない。例えば、ビジネス上で失敗をしたとき、その責任追及を回避するために失敗の原因が自分ではないようにするために嘘をついてしまう。たとえそれが小さな嘘であったとしても、そしてその嘘をごまかすためにウソの上塗りをし、更に嘘をつきます。そうしているうちに知らぬ間に大きな嘘になってしまって、後...
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自分に負けてたまるか。

今日感じた負けてたまるかという思いは他人に対する悔しさから来ている。それは自我があるからだ。自我があるから悔しいという気持ちになってしまう。その悔しさの裏返しとして、負けてたまるかという気持ちになっているだけだ。自我さえなければ悔しさも、悲しみもないはずだ。しかし現実には、人間自我をなくし涅槃の境地になることなんで不可能だ。あの西郷南洋は人と接する時に、(司馬遼太郎さんの表現によると)10%の「空」を作ることが、できた人だという。その「空」に人は魅せられ「この人について行こう」と思うのだという。完全に自我なくすことなんて人間には不可能だけれども、せめて西郷南洋のように10%でも良い、いや5%でも良いから自分の中に、「空」を作ることができれば、悔しいなどという気持ちは少しは和らぐのではないだろうか本当の強さとはやっぱりそんなところにあるのではないだろうかまだまだ「空」になり切れていない。自我とか我欲から来る悔しさの裏返しとしての負けてたまるかという気持ちにすぎない。それでは自分に勝つことは出来ないだろう少しでも良い。「空」になることで「自分に負けない」心になりたい。そんな意味で「自分に」...
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役に立たなくなった左手

今日近所のゴルフの打ちっぱなしに行ってきた。右手1本でゴルフを挑戦するためだ。僕は走ることが出来ない。だからスポーツをあきらめていた。でも唯一走ることなくできるスポーツを見つけた。ゴルフだ。立っているのが精一杯でバランスはとても悪いがなんとか立つことだけはできる。何でも良いからとにかくスポーツがしたかった。脳出血を起こしてからというもの、スポーツは完全にあきらめていた。ゴルフ僕が1番嫌っていたスポーツだ(苦笑)「あんな玉ころがし、スポーツじゃない」と馬鹿にしていた。皮肉なもんだ。でも唯一できる可能性があると思い、オークションでドライバーを落札して入手した。僕はもともと左利き、サウスポーなので右手でゴルフクラブを持って素振りの練習をし始めた。フォームは左ききフォームだ、だから右手で引手で素振りをする。なんとか振れるが左手で使えないのでクラブのコントロールはうまく出来ない。右手は利き手ではなかったので力が弱い。ちょっと素振りをすると手が真っ赤・・ダメかもしれない。そう思いながら、ここに2、3日素振りをしていた。そして今日、近くの打ちっぱなしに行ってみた。。左半身麻痺した障害者がゴルフクラブ...
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一国のリーダーたるもの夢と希望を国民に語るべき

あるジャーナリストが管首相に最近聞いたそうですが管首相はできることと出来ないことは明確にして「できることができる。出来ないことは出来ないと正直に話す」と言ってたらしい。これは正直な姿勢であり、管首相は、リアリストと言えるかもしれないそしてこれは一見正直で良い首相のように見えるかもしれないでも僕は一国のリーダーたるものはもっと夢や希望を国民に語るべきと思う。たとえそれが現実派の学者から言わせれば「実現不可能」と思われるような夢でも・・僕は2年前に脳出血により左半身麻痺なったときには夢も希望もなくなってしまったと考え自暴自棄になっていた時期がある。もう何も役に立たない人間になってしまったと感じた。そしてこの2年間はそんな自分との闘いでもあった。そんな中で仲間の支援のおかげで僕の体ではとうてい不可能と思えるような夢と希望を持つことができた。だからこそ今があると感じている。到底不可能と思えるような夢を持つことは大切なことだと思う。そのような夢を持つことはリアリストに言わせると「無謀である」ということになるだろう。でもそんな夢があるからこそ人間は、「意欲」というものが湧くのではないだろうかそして...
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困難こそ最大のチャンスである

困難こそ最大のチャンスであるという言葉がある僕は最近困難こそ最大のチャンスであるという言葉がまさしくその通りであるとつくづく実感として感じている。なぜ困難こそ最大のチャンスであるのかそれは立ちはだかる困難を乗り越えられたときにこそ、革新的な能力や人間力が身に付くからではないだろうかもちろん乗り越えることが出来なければそれは単なる挫折になってしまうが・・でもたとえ挫折したとしても人間として得るものはとても大きいと思うのです。僕は以前から自分の前に困難が立ちはだかったときに自分の持っているあらゆる知恵やアイデアを出来る限り箇条書きに書き出すことにしている。そのとき大切なことはアイデアを描き出す前「これは僕には無理だなな」とか「この人に頼んでも無理だな」という自分の過去の経験からの既成概念で「評価」しないようにすることだと思う。そしてまずは「評価せずに」とにかく思いつく限りのアイデアや協力してくれそうな自分の人脈をまず列挙するのだ。既成概念を持ち込むと出てくるアイデアの数に自分の思い込みによる「無理だ」という気持ちから制限が出てしまうからだ。とりあえず思いつく限りのアイデアを「既成概念による...