独り言

精一杯生きるだけ

人間、能力の高い、低いはどうしようもない事もあるでも、能力が低くっても、精一杯頑張る事ができればそれで充分だ障害というやつを背負ってしまってつくづくそう思う片麻痺(片手、片足しか使えない)なんかになってしまったら、両手を使えたときには簡単にできた事でも、どんなにあがいたって、できないことがあるこればっかりはどうしようもないできないものはできないんだから、、、先日だってある装置にセットされたカメラをたった1cm横にずらし、調整するこができなくって四苦八苦した。両手さえあれば、1分もかからないような事なのに、、カメラを据え付けてあるネジを緩めて、横にずらすだけのことなのに、これが簡単にできないネジを緩めりゃ左手でカメラを押さえられないから、カメラが落ちてしまう。仕方ないからネジをゆっくり、ゆっくり、本当にまどろっこしいほどゆっくりと、ほんの少しだけ、緩めるそして、慎重に、慎重に、まどろっこしいほど慎重にカメラが落ちないようほんの少し(1mm弱)ずらす、そしてファインダーで位置を確認し、また慎重に慎重にまどろっこしいほど慎重にカメラが落ちないようにほんの少し(1mm弱)またずらす、慌てるんじ...
人間について

脳の損傷による障害に「慣れる」事はない

ときどき、早く障害に慣れて頑張ってね・・などという励まし?の言葉を聞く事があるそんなとき少し悲しくなるこの半身麻痺という脳の損傷による障害に慣れるなんてことはあり得ない分かってもらえないな・・で考えてみたなんで「慣れ」ないんだろう最近ようやく一つの答えがでてきた。「慣れる」とはなんだろう「慣れる」ということはつまり「環境適応する」ことではないか人間にはこの環境適応力があるこの環境適応力こそが人間の脳の能力ではないかだとしたら、脳を損傷した僕はこの環境適応力も失ってしまっただから「慣れる」ことができないのではないかそう考えると身に覚えがあることが多々ある半身麻痺になった当初僕は階段なんて到底登れなかった歩くことさえもできなかったのだから当たり前なんだけど必死のリハビリの結果、病院のリハビリ室にあるせいぜい5段ほどだけど練習用の階段は登れるようになったやっと階段を登れるようになったと喜んでいたけどいざその病院の普通の階段登ろうとするとなんと登れない!なぜか・・階段の段差が微妙(せいぜい1cm)に違うからだその微妙な段差の違いによって足を上げる高さが分からないのだこれは今でも同じだ・・自宅の...
人間の生き方

やらなければならない事より、やりたい事

昨夜は久しぶりに再生可能エネルギー技術についての記事を書いたいつの間にか夢中になっていて、気が付いたら、午前3時前になっていた僕にとって、再生可能エネルギーに関する内容を書く事は、世の役にたちたいといういわゆる使命感というようなものではなく、やっていて楽しいというか、無我夢中になれるものになっている気がするやっぱりこの不自由で苦しい身体で生きていくためには、やらなければならないという使命感のようなものよりやっていて無我夢中になれる「やりたい事」が大切だとあらためて感じた人間は本当に「やりたい事」を見つけたとき、そこに「ヤル気」が生まれ、楽しさを感じると思う。たとえ、障害を負って苦しくても、せっかく脳卒中を生き延びられた人生なのだから、「人生は楽しまなければならない」のではなくて、「人生は楽しまなければもったいない」と思うのだ自分自身がたのしんで生きている事こそが、周りにも幸せを与えるような気がするから、、そんな意味で、この身体で、「やりたい事」を見つける事ができた僕は幸せだと思う。
人間について

どんなに頑張ったところで分かってもらえないもんだね

今、やっている仕事で言葉の裏にこんなこともできないのかって気持ち(苛立ち)が手に取るようにわかるような事を言われた。片手・片足が全く使えず、常時痺れ・痛みがあるって事がどういうことか健常者に理解してもらうことは難しいもんだね。どんなに説明しても言葉だけじゃたぶん永遠に理解されないだろうね。火が熱いっていうのが自分が火傷をするまでわからないようにね・・で思うんだ理解してもらえなければ、理解してもらえないでいい!だったら残っている使える身体機能で自分でまた商売起こして稼いでやるって・・ねそして更に思うのはねこの世はなにもかも闘いだ、相手をたたきふせるか自分がたたきふせられるか、どちらか一つだ、自分を信じ、自分を強くしろ、世評などに惑わされて人を信ずるのは、それだけですでに敗北者だってことかな別にひねっくれているわけじゃないけれど負けてたまるか敗北者になんかなってたまるかっておもうんだよね幸福でたのしそうで、いかにも満ち足りたようにみえていても、裏へまわると不幸で、貧しくて、泣くにも泣けないようなおもいをしている。でもそういうことは誰にも理解してもらえない世間とは、本当はそういうものなのかも...
人間について

耐えられないこと

人間、貧しさや身体の痛みには耐える事はできるものだ。でも屈辱に耐えるのは何よりも困難だと思う
人間について

相互依存・・繋がりでしか人は生きていけない

ありきたりな言葉だけど、人間ってやつはひとりでは生きていけないんだよなお互いがお互いをたすけあっているんだ本当にねそして、そこには信用ってやつが無いと何も始まらないんだよなお互いに信頼し合っているから、たすけ合えるんだそれが繋がりとか絆って言うのものかもしれない。障害者になってからつくづく思うんだけど駅やビルにあるエスカレーターやエレベーターこれがなきゃ僕は上階に行くのは難しい本当に感謝しているこのエスカレーやエレベーターを作ってくれた人にね・・障害者用トイレだってそうさ本当にたすかっているどこの誰が作ったのか僕は知らないけど・・こういうことだって(知らぬ間に)人が人をお互いに助け合っていることになるんだと思う僕が電車賃を払い、駅に入るこの電車賃からエスカレーやエレベーターをつ発注し、障害者用トイレも作られるそしてエスカレーターやエレベーターやトイレを作ってくれた人に給与が払われるんだこうやって世の中全体が助け合って生きているんだ。お互いが、いつもの間にか相互依存関係になっているんだ人間って生き物はそういうもんだと思うだからひとりじゃ生きていけないひとりになると本能的に不安になるんだと...
人間について

精神の廃用症候群にならないために・・

廃用症候群・・という「病?」がある廃用症候群とは・・安静状態が長期に渡って続く事によって起こる、さまざまな身体の機能低下等を指すらしい・・つまり、長期入院とか、病気で長期に寝込んでいると安静にしていることで身体の機能を使わないため、良くなるどころか、逆に身体機能が低下するのだという最悪の場合、身体機能を無くしてしまういかねないこれって精神にも当てはまると思う。イヤな事や辛いことが続き、精神的に疲れてしまい心を癒すためという理由で、静かなところで精神養生し、リフレッシュしたいというようなことを誰しも考えることがあると思うけれど静かなところでひとりひっそりと過ごすよいうようなことは逆に自分を弱くしてしまうのではないだろうか人間、人との関わり合いの中で精神が鍛えられ、成長するのだと思う。辛いからといってとりひっそりと過ごし、人との関わり合いを遠ざけてしまうとそれこそ人との関わり合いの中では必ず起こる諍いや、トラブル対する対応力や忍耐力というような精神機能が低下してしまうのではないだろうか僕自身、障害を負った当初、この現実を受け入れられず、一日中ベッドの上で寝込んでた時期があるひとりベッドで寝...
人間の生き方

死んでも這い上がる!Never Give Up !

僕にはネバー・ギブアップと自分の心を奮い立たせるときに必ず思い浮かべるシーンがある言わずと知れたスポ根映画の最高峰(だと僕は思っている)映画『ROCKY』のこの場面だ。。このアポロにパンチを食らい倒れてから起き上がるまでのほんの十秒ちょっとのこのシーンが僕の心を奮い立たせる・・なぜなら、この倒れてからロッキーことシルベスタ・スタローンは四つんばいになって両手両足をバタつかせながら必死で立ち上がる。セコンドではマネージャーのミッキーが「立ち上がるな!そのままダウンしておけ!」と叫んでいるにも関わらず、必死で立ち上がろうとする僕はボクシングなんて全くやったことがないけれどやっぱりこのシーンのロッキーの心の中に「今ここで終わらせない!死んでも立ち上がってやる!」というNever Give Up !の精神を感じてしまう。このシーンを初めて観たのはまだ僕が中学生の頃だったと思うけどこの十秒ちょっとのシーンに心が震えたことを覚えているそれから約35年後の今、僕は半身麻痺の障害者となり、人生のどん底に突き落とされたいろんなことができなくなった自分を感じるとき、痛くて、痺れて、痛くて、どうしようもなく...
人間の生き方

主人公

僕は世の中の中心だ自分が世の中の中心に居るのだと僕はいつも思っているそれは自己中心的という意味とはちょっと違う僕は障害者である世の中にとっちゃ小さな脇役に過ぎないでも、少なくとも僕は僕の人生の主人公だ自分が、世の中の中心に居るのだそんな意味で、僕は自分が世の中の中心に居るそう思っている主人公だから、大きな壁が立ちはだかる僕が主人公の僕の人生という舞台では身体障害という試練に合う主人公だから苦しむ主人公だから痛い主人公だから悲しい主人公だから憎しみを持つそして苦しい主人公だから波瀾万丈でも、主人公は最後まで舞台を降りないだから僕は障害を負ったからといって人生の舞台から降りてはいけない立った一回きりの人生なんだから自分が主人公だと思って人生を楽しもう障害の苦しみも、いろんな、辛い、悲しい出来事も自分が主人公だからと思っていれば少しは慰みになるでも、やっぱり自分の人生はどう考えても自分が中心に居るだって自分の人生なんだから、、世の中では小さな小さな脇役でも自分の人生の中だけでは僕は主人公でありたい人は皆、人それぞれに人生波瀾万丈なのだ。そして人は皆、自分の人生の主人公だから、最後まで自ら舞台...
人間の生き方

無我夢中で走り続ける

自転車を安定させるためには、、走り続けることが大切スピードを緩めたり、止まったりするとあっという間に不安定なる人間の心も同じだと思う将来が不安だからと言ってゆっくり考える時間なんて作るとロクでもない事ばかり考えるものだ僕なんか、立ちとまって考えた瞬間から、自分の障害の事が気になり始め、障害の事ばかり考えるようになってしまうそして、何故こんな身体になってまたんだ、と過去を振り向き始め、そして、未来が不安なる自分の心の周りがいつの間にか不安だらけになり、不安に囲まれて、逃げ場がなくなってしまう。やはり、不安を解消する唯一の特効薬は目の前の事に無我夢中で取り組む事だと思う無我夢中の「無我」の状態が大切なのだと思うそうして無我夢中で走り続けているうちに、いつしか心は安定し、心が安定すると、前向きになれる前向きになれば、知恵も湧く立ち止まってはいけない走り続けるのだ!実際の身体はもう走る事なんてできないけれど少なくとも心は無我夢中で走り続けなければならない心が立ち止まってしまうと無意味な不安が増幅するだけ、不安は人の行動や判断を狂わせるそして何よりも不安からは知恵はでないだから走り続けるのだ!無...