人間について

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心の揺り戻し

Pさんのコメントで心の揺り戻しが人間にはあるのかという問いになんだか急に好奇心を持ってしまいましたので、僕は神経学者でもなんでもありませんが素人考えですが自分なりの考え方を書いてみたいと思います。結論から言いますと心の病気からの回復過程で心の揺り戻しはあって当然と僕は思います。僕が脳について自分なり勉強をした情報から、TMSという脳のニューロンの発火状況を確認するす装置を使った研究した結果人間の脳には下記のような三つの原則があるということがTMSという装置を使った脳のニューロンの発火状況研究した結果アメリカの脳神経学者の著書から知りました。「いっしょに発火するニューロンは一緒に繋がる」「類似のニューロンはいっしょに発火しやすく、いっしょになり太くなりより強化される」「使わばければ失う」この三つの原則は脳卒中による麻痺状の回復のためリハビリ方法に有効なのだそうです。たとえば麻痺した手のリハビリをする際、麻痺側の手だけでなく、健常側の手も同時にリハビリで動かすことが有効なのだそうですつまり「いっしょに発火するニューロンは一緒に繋がる」「類似のニューロンはいっしょに発火しやすく、いっしょにな...
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人間の感情、たとえば喜びや憎しみ、甘え、ねたみなどの感情は自然な単なる心の反応か?

人間の感情、たとえば喜びや憎しみ、甘え、ねたみなどの感情は自然な心の反応か?「命とか感情って何だろう」という記事に人間の感情、たとえば喜びや憎しみ、甘え、ねたみなどの感情は自然な心の反応ではないかというコメントがありましたので、非常に好奇心を感じてしまって調べてみました。人間の感情、たとえば喜びや憎しみ、甘え、ねたみは自意識とか自由意志でいうものによる心の動きではなく人間が本来持っている心の「自然の反応」ではないかという議論については昔からから神経科学会で議論になっていたそうです。1980年代までは、すべての人間の行動は何らかの刺激に対する反応であるつまり条件反射の集合体であるという考え方が主流だったそうです。しかしアメリカのエドワード・タウブ博士という脳神経科学者の実験ともう一つの実験により、この考え方は、根底から覆されたそうです。彼は行動は何らかの刺激に対する反応であるとするならば、たとえば刺激の入力系の神経をすべて切断してしまえば、反射はなくなり動かなくなるはずだと考え、感覚入力系神経「求心路と言うらしい」を切断してみたのですが、それでも手足を動かすことができるという実験結果が出...
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苦悩することこそ生きている証

人間誰しも、一生苦悩の連続であると思う。でもそれを乗り越えてこそ、自分自身の未来が開け、希望が見えるようになってくるのではないだろうか。歴史の成功者と言われる人たちを見ても、決して順風満帆でなく、苦悩の連続だったのではないだろうか。苦悩があるからこそ人間は本能的に生きるためにそれを乗り越えようと必死でもがく、そんな姿にこそ「生命力」が出てくるのではないだろうか。僕も肢体機能を奪われ、なけなしの財産を奪われ、なぜ自分がこんな人生を歩まなければならなかったのかと、何か悪いことをしたのか、、自問自答し苦悩し、生きることの意味を考えざる得ない、疑問が湯水のように沸いてくる。それを突き詰めるという作業はもがき苦しむような作業だが、そんな時にこそなぜか心の底から「何としても生きなければいけない!」という声が聞こえてくるような気がする。意外とそんなもがき苦しんでる自分が最も「輝いている」瞬間なのかもしれない。人間は苦悩がなくなってしまったら、死んだも同然な気がする。苦悩するからこそ何とかしようと知恵が沸く。苦悩の中に新たな小さな「光」を発見したときほど心が沸き上がることはないではないだろうか。そんな...
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献身する喜び

人は社会の役に立っているという実感を持つことで、生きる喜びや存在価値を感じるものだと思う。それは献身の喜びだと思います.現代人は献身の心を忘れ、個人の自立とか「個の独立」、「自由」とか「基本的人権」の名の元に自分を家族や国家の連帯から切り離してしまってはいないだろうか。そして、結果として自分を孤立させてしまい、孤独に陥ってしまってはいないだろうか。「人の役に立っている」という喜びこれほど生きがいを感じるものはないと思う。これは障害者となり、一時期「もう僕は何の役にも立たない人間になってしまったのではないか」という気持ちになり自暴自棄になった僕が感じることです。これは社会の最小単位である家族の絆にも言えることだと思います。このことを言うと女性陣に反発を確保くらうかもしれませんが、「妻が夫に尽くす」ということは大切なことだと思います。これは決して一方的に尽くすのではなく夫も家族のために献身しなければいけないと思います。。あくまでも家族は「相互扶助」だと思います。だから何も女性は家事をしなければならないと思いません。収入を得る能力があるのであれば外へ出て稼いでも良いだけです。献身するというこ...
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楽になれるものなら楽になりたい

前回の記事に対してのコメントにもっと楽に生きてみては・・というコメントを頂きましたが、残念ながら楽になることができないというのが正直なところです。僕自身、自分が障害者になるまで障害というものがこんなに辛いものとは思っていませんでした。この場合、毎日、朝、目が覚めたときから闘いの始まりです。まず、朝 目が覚めると、ベッドから立ち上がるだけで必死です。立ち上がろうとすると寝てる間に硬直した左足に猛烈な激痛が走ります。これに耐えて、歯を食いしばって立ち上がるのです。それから午前中は中枢性疼痛が酷く、これにも約半日、耐え続けなければなりません。気を抜こうものなら、苦しくて「このことが続くなら死んだ方がマシ」と感じてしまうのです。午後になって中枢性疼痛が少し和らいできても、左足も左手も鉛のように重く、椅子から立ち上がるだけで重労働であり、何クソッと気合を入れないといけない。毎日がこんな感じです。正直言って障害を負った当初は、こんなに毎日が辛いのなら死んでしまいたい。考えたことは何度もあります。そんな状態ですので気持ちを常時「戦闘態勢」にしておかないと生きていけないというのが正直なところです。この...
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頑張れないとき、頑張れと言ってはいけない時

頑張れという言葉は人を話すときに使う言葉であるがこの言葉は両刃の剣で、人を勇気づけることもあればその逆の時もある。頑張れという言葉がとてもつらい時、それは目標や希望を見失っているときです。僕なんかもそうでしたが、脳卒中の後遺症の麻痺というものは、現代医学ではいくらリハビリをやってもどの程度回復するかまったく予測できないのが現状です。確かに脳には可塑性という代償機能があるということは分かっているが、どうやればどの程度、いつごろ回復するのか全く分からない。脳卒中による片麻痺患者には発症後10年という人はざらにいる。つまりそういう人たちは10年経過しても回復していないということだ。例えば「3年間がんばりなさい。そうすれば必ず良くなります」とでも言ってくれれば、必死でがんばるんだが、、いつ回復するのかまったく予測できない。一生回復しない可能性もあるこれでは頑張るのは辛い。回復するかどうかわからないものにいくら頑張れと言われてもこれがつらい。例えば、痛みに苦しんでいる余命宣告されているがん患者に「頑張れ」というの酷なことだ。頑張れば治癒するというのであれば、頑張り甲斐もあるが、ただでさえ患者は死...
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中国人はアフリカで労働者にショットガンで答えるそうです!?

現在中国がアフリカに対して大規模な投資をしています。前の記事にも書きましたが、中国人のアフリカのインフラ整備支援の目的は「金儲け」しかないということを改めて思い知るブログに出会いました。坂東忠信さんという方が書いてらっしゃるブログの「労働者にはショットガンで答えます。」という記事です。驚愕の情報でした。自らの利益しか考えていない証拠とも言えます。該当記事この記事を読んで、「中国には勝てる」と逆に確信しました。海外に日本の技術を輸出する目的はあくまでも「その技術を使って、相手国の問題を解決してあげる」ということ最大の目的にしなければならないと思います。つまり「技術の売り込み」ではなく「ソリューションの提供」であり、結果として相手国の問題を解決し、その貢献に対する「正等な対価として代金頂く」というスタンスを崩さなければ、金儲け第一主義の中国なんかには絶対に負けないと思います。いくらGDPで負けても良いんです!日本はもう生産国(世界の工場)である必要はないと思います。日本は世界のソリューション開発国を目指すべきだと思います。だからモノを大量生産をして大量販売する必要はないのです。本当に世界を...
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自分の存在価値と生きがいとやる気

若い人の間でニート、フリーターと言われる人たちはまだ増え続けているのだろうか。こういう人たちはよく目標ややりたい仕事が見つからないと言う。そのような状態は、太陽の明かりが雲に覆われて夜のように周りが真っ暗で身近にあるプラスの情報を見えにくくなっている状態だろう。それは決して明確な「壁」ではなく、漠然とした不安だけではないだろうか。とは言うものの、この「漠然とした不安」が一番厄介なのである。あの芥川龍之介の自殺の原因もその手記から「漠然とした不安」だと言われている。「漠然とした不安」というものはその不安の原因も「漠然」としているので明確にならない。だからいつまでも不安が払拭できない。これは大きな心のストレスになると思います.この状態が続くとうつ病になると思う原因がはっきりしていれば、その原因を排除すれば良いという明確な目標ができる。明確な目標は「希望」につながる2年前は僕も将来が真っ暗だった。それは決して世の中が真っ暗なのではなく僕の心が真っ暗だっただけであった。このことに気がついたのは、ずっと後になってからでした。そして障害者になった僕は自分の価値観を変えざる得なかった。価値観が変わる...
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DoからSeeへのパラダイム変換

心のパラダイム変換ができるとこんなに世の中の見え方が変わるのか僕は昔は自分が「体験」することに価値を感じていました。何でも挑戦してきました。そして肢体障害者になった僕は「体験」は不可能になりました。そのことに対して当初とても辛いと感じていました。でも今は「体験する楽しみから鑑賞する楽しみ」へ転換することでその辛さはほとんどなくなっています。できないことにいくら目を向けても仕方がない。これからどんどんいろんなものを「鑑賞」しに行きます。自分ができなくてもそれはもうどうでもよいのです。できないことはできる人にやってもらえばいい。健常者のの時だって、何でもかんでもできたわけではない。阿修羅のように6本も手がある「人?」にはかかなわなかったはずだ(笑)できないことができる人にやってもらっていたはずだ。阿修羅は6本の手の4本が麻痺したら嘆くだろう。でも人間と同じになったのだ。僕だって、左手を器用に使ってキーボードを打っていたけど、猫にはできない。でも猫はそんなことに嘆いてなんかいないじゃないか要は考え方次第出気持ちはなんとでもなる。自分が「実践」や「体験」ができないなら、「鑑賞」して楽しめばよい...
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見えないものを自分で創造できる日本のすばらしい文化

日本には目に見えないものや言葉として表現されていない者に対して自ら創造し楽しむという素敵な文化が存在します。その典型的なものは俳句や能です。俳句は五・七・五のたったの17文字の文書の中で文字にされていない思いや表現が隠されています。俳句を読むときには文字にされていない行間は読む人が創造するのです。個人の創造は無限です。ですから五・七・五のたったの17文字で長編小説に勝るとも劣らない表現を感じることができるのです。昔、武士が切腹をするときなどに詠む時勢の句などは、その侍の生き様全てが五・七・五の17文字に託されているといっても良いと思います。能なども必要最低限の表現しかしない。その中から見る人が自分の頭の中で想像をめぐらせるのだ。だから「無限に膨らむ」。これが分かると能や俳句は実に面白く、味わいがある。日本人には「表現されていないものから自分で創造する」という文化があり、それは日本人の能力でもあると思います。これは日本人同士のコミュニケーションの中にも大きく影響していると思います。日本がは欧米人ほどハッキリとものを言わないというのもこういう文化の影響なのかもしれません。以心伝心というよう...