人間について

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死ぬんじゃない、生きろ!「死にたいと思ってしまう方へ」

今まで死にたい、もう死にたいと言っていた僕がこんなことを言うのは変だけれども・・死にたいと思ってしまう方へ最近、さまざまな問題で人が死を選ぶニュースなどをよく見ます私は心理学者ではないので、学術的な解決策は語れませんでも、死にたいと思うほど苦しんでいる人に伝えたいです死を選ぶ前に、その環境から逃れることとができるはずですまず、そのことに全力を尽くしてほしいと思います私には逃れる道がありませんでした薬を飲まなければ数年後には再出血して死を迎えるような充分に生きていけない身体です死のうと思えば、薬を飲まなければいい簡単なことです正直言って死なんて簡単に得ることができます。もし、あなたの身体が動くなら、それを止めるのはもったいないあなたをそうさせてしまったと苦悩する人の顔が浮かぶからです。だから「生きる」しかないのですそれだけです。もしあなたが生きる意味を聞くなら、あなたが生き続けて意味を探してください。偉い僧侶は「生きるとは、存在すること」と言いました死んでしまったら、存在がなくなってしまいます。楽しく生きるのは、あなた次第です「生きる」を選んだあとに、ゆっくりとつくりあげればいいのです最...
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ダメな自分の再生法

人には必ずダメなときがある。ダメでもいいじゃない。ダメでも私は「できない」という言葉にとらわれるなと何度も自分に言い聞かせてきました。「できない」という言葉は、取り扱いを間違えると、非常に危険だからです。私は2年前、「障害者である自分」を受け止めるために、ベッドの前に貼り紙をしたことがあります。・苦しくて動けない日がある・走ることはできない・時間が決められている約束は守れない・朝から動くことはできない・外に長くいることはできない.・障害者手帳を持っている認めたくないことを書き記すことや、目にすることは非常に苦しいことです。しかし、書き込むことで、自分にはできないことがある 自分には認めたくないいやなことがあると自戒することにしたのです健康だった過去の自分が捨てきれず、今から逃げている自分を自覚したからです僕はこの貼り紙を毎日見ることによって、現実を受け止める作業を繰り返していきました。このことは次第に等身大の自分を正面から見つめ、自分には何ができて、何ができないのかを認めることにつながっていきましたそしてその貼り紙の最後には、・でも、何でもできる。じゃあ、こんなこともできるはず!と太く...
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ポジティブシンキングに「なってしまう」理由

ポジティブシンキングは「心掛ける」ものではなく時間を大切にするとなってしまうものだと思うよくポジティブシンキング(前向き思考)がよいということを耳にします。ポジティブシンキングは結果をよくするとも言われています。でも、僕は結果がよくなるからポジティブシンキングがよいとは思いません。人は必ず死にます。この考えはポジティブではないかもしれないけれど人が死に向かって生きていることは事実です僕は難病(出血性もやもや病)を抱えていることで、心のどこかで死をいつも意識し続けています。今日明日死ぬとまでは思わないまでも、動けなくなる日が明日なのか、一ヵ月後なのか、自分の体力に裏切られ続けた経験上、信じていないところがあります。もちろん、このことは諦めではなく、おびえているわけでもありませんむしろ、自分と正面から向き合うことになっています人が死を意識すると、これまでの人生で「どのように生きたのか」がすべてになってきます。結果ではなく、その過程の時聞がすべてなのですその時点までをより楽しく、より後悔なく、より充実した時間にするために僕はポジティブシンキングをしているのかもしれませんポジティブシンキングが...
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自分の心を支える技を見つけよう。

心が平穏ならいいのだ僕がダメなら、みんなダメだろう病気になったりしても、心が病気にならなければいいんだ心が健康ならばいいんだよいろんな障害が心を曇らせたりしているかもしれないけれど心が晴れていればいいじゃないどうすれば心が晴れるかどうすれば心を平穏に保てるかどうすれば心が健康になるか考え続けよう人聞は脳みそで幸せを感じている。だから心が健康ならば病気ではないのだ痛かったり、苦しかったりしすぎると、心まで病みそうになるけど心だけは病ませてはいけない人生にはいろいろなことがあり、さまざまな壁があるだろうそんなときでも心を保ち続けようときには人を助けたりときにはただキモチいいことをしたり自分の心と向き合って、自分の心を支える技を見つけよう
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辛い状況を乗り越えるために・・

大きな壁を乗り越えたいなら「やりたいことJを成し遂げる「技jを持とう!時間を大切にする心を持つと気持ちがブレなくなる絶対にやるという覚悟から発想する不屈の思考力をつくりあげよう心に引っかかる「?(疑問)」を大切にすることで人は進化する。限りある時間の意識が僕の思考を加速させる心をリセッ卜する俯瞰能力は僕の大切な心を守ることになる心の常備薬を携帯することで安心して挑戦し続けよう何事にも依存しない覚悟を持て安心に運やツキはいらない僕を躍動させる発想は、「居場所」で育てられていく「ごめんなさい」では挑戦できない「ごめんなさい」自分の心も相手の心も重くするだけ「ありがとう」というの覚悟を持とう。「ありがとう」は覚悟の言葉・・人は必ずつまずくことがありますそんなときに「申し訳ない」と思う気持ちを伝えたいのなら、「ごめんなさい」ではいけないと思うダメでも関わってくれる人には「ありがとう」と言うべきなのだと思う
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原爆症・・後遺症・・心の傷

今日と一昨日広島と長崎で原爆死没者慰霊式があった感じた事・・心の傷を負った人は死のうとするが身体の傷を負った人は生きようとする病気や怪我で身体の傷を負った人は生きようとするでも後遺症というヤツは人の心にまで大きな傷を与える「後遺症」と「病気」とは全く違うと思うなぜなら「後遺症」という症状はいつまでも「遺る」から「後遺症」と呼ばれる「後遺症」とは「治るかどうか分からない」状態で苦しみながら「生き」させられている状態だだから苦しむ 心も苦しむ現に脳卒中の後遺症でもある視床痛(僕もこの後遺症に苦しんでいるが・・)の苦しみで自ら命を断つ人も多々あるという原爆症も同じようなものではないか放射能による後遺症にいつまでも苦しまなければならないという原爆による被爆者の場合、それ以上に愛する人が目の前で苦しみ死んだという体験と同時に自分だけが生き残ったという自責の念という心の大きな傷もあるだろうそれゆえこれまでに自ら命を断とうと人も多かったらしい実際に被爆者の3人に1人が自殺未遂の経験者だという原爆はただ人を殺傷するだけでなく、多くの人に「心の傷」という目には見えないけど人間にとって最も大切な心にまで大...
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僕の「生きる意味」は人との(繋がり「絆」)のため・・

僕が生きる意味・・障害者となってから何度も考えさせられたこんな不自由身体になって痛みと痺れに苦しむ毎日人間として当たり前にできることがほとんどできなくなった状態で僕の生きる意味は何なのか・・でも今、生きていて一番生きている実感を感じるの瞬間は人と一緒にいるときだ・・・一人になると何とも言えない恐怖が襲ってくる・・それがなぜなのかわからないけど・身体が不自由でイザというときに自分では何もできない・・という恐怖感かも知れないどちらにしても孤独は僕の心を蝕む様な気がする人と接しているときこそが「生きている」と感じられる「人とのつながり」があるからこそ生きる意味があると思う人とのつながりが全て消えてしまったら・・死んだも同然のような気がするだからこそ「障害者でも人の役に立てる人間でいたい」と思うのかもしれない人の役に立てているあいだは、必要とされ、孤独にならないで済むからと感じるからかもしれないそれが「絆」というものを強くするために必要なことかもしれない
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死よりも苦しい「生きる」って存在する

僕が半身不随という障害者になって知ったことそれは死よりも苦しい「生きる」というものが存在することそして今、この瞬間もその地獄のような「生きる」を必死で生きている人が存在すること決し自分だけが苦しいのではないこと難病といわれる病を背負って今を生きている人が存在する一分一秒苦しみと闘いながら、生きる事よりも、むしろ死を望む人が多く存在するそんな人たちには「死ぬ覚悟で頑張れ」という言葉は通じないそういう人生を生きている人が多く存在することを知っただけでも障害者になった意義があると感じる地獄とはあの世ではなく、この世に存在するのだということを・・
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脳卒中で中途身体障害者になるということ

脳卒中で中途身体障害者になるということそれはそれまでの人生で築き上げてきたものを「ある日突然」いきなり奪われるということ・・老いとは全く異質のものであるこの「突然の喪失」の苦しみは(僕も健常者の頃には全く理解できていなかったけど)健常者の方には想像を絶するもの先天性の障害者のことはわからないけれど少なくともそれまでの人生で築き上げてきたそれそれが持つ「誇り」のようなものを奪われるということそれまでごく普通にできていた人間として当たり前に必要な身体機能を失うという障害を負った人は少なくとも一度は死にたいという思いにかられたと思う僕の場合、更に零細だったけれどそれなりに必死でで築き上げてきた会社も喪失したその精神的ダメージは僕には大き過ぎた。。正直、僕自身、これまで幾度も死を考えたそれほどに45年間かけて築き上げてきた「もの」を喪失するということは辛いこと別に20代や30代のような身体に戻りたいとは思わないせめて「人間らしい生活ができるための身体機能」は失いたくなかった
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苦しさを乗り越えるのために必要なものは志意外ににない!

今日も朝から苦しい・・左半身全体が激痛と痺れ・・左手は硬直気味で震える・・苦しい・・つらい食事の用意さえする気にならないなぜこんなにまで苦しんでまで生きなければならないのかそれでも生きなければならない理由は?こんなに辛いのに死を選んではいけない理由は?誰か教えてくれ!生きなければならない自分でもわかっているなぜかわからないにも関わらずそれでも生きなければならないのなら僕が生きるために必要なものは志僕が自分で決めた志周囲の人に不可能だと言われても何と言われようが僕は自分の決めた志 障害者になることよってたくさんのもの失った結果生まれた新たな志なんだたかが障害者のくせに・・と思われるかもしれないけれどそれだけが僕の生きる意味絶対に役に立って見せる・・障害者でもその志を強く想うときだけがこの苦しい痛みと痺れ、そして日々不自由による屈辱感に耐えることができるだから絶対に捨てない!この志!僕が生きるために必要な志だから・・この志がなくなったら僕が生きる意味がなくなるからたぶん苦しくて自ら命を絶つだろうから・・