人間の生き方

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心の合気道

先日テレビで日本の合気道の特集をやっていた。それを見て大きな気付きを持つことができた。合気道とは決して相手の攻撃を真正面から「対抗」するのではなく相手の攻撃のエネルギーのベクトルを違う方向に向けることにより「相手の力を利用」して相手を倒してしまうそうである。これって・・・心の持ち方にも使えるではないか。相手の(或いは自らの中に生まれる)怒りや憎しみというネガティブな「攻撃?」を真正面から受けるのではなく、うまく交わしその力を逆に利用しポジティブなエネルギー(心の持ち方)に変換してしまうのだ。怒りや悲しみを真正面から受け止めるから苦しむのではないか。真正面から受け止めるから怒りや悲しみというネガティブな心が増幅してしまうのではないか真正面から受け止めるのではなく、逆に怒りや悲しみのエネルギーを利用して前向きなポジティブな心に変換すれば良いではないか。そのためにはどうすれば良いのだろう。それは「心の捉え方を変える」ことではないかと思う。僕の場合、僕を襲った脳出血というものを悲劇や障害として捉えるのではなく「試練」として捉えれば良いではないか試練ならば、それを乗り越えれば一回り大きな人間にな...
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スマートシティモデル地区提案に手ごたえあり

今日、県議会議員(副議長)に3日かかって作ったスマートシティモデル地区構築提案書を持って提案に行った。ダメ元で提案したつもりだが思わぬ好評だった。すぐに県庁の関係部門の責任者を呼んで検討するよう目の前で要請してくれた。良かった・・3日間片手で必死で作った甲斐があった。この提案が検討だけで終わらず是非実現してほしいものだ。それにはまだまだたくさんの高いハードルがあることは承知の上だけど、僕は諦めたくない。取りあえずよかった。。さすがに疲れたから一息つこうかな。提案中は夢中だったせいか自分が障害者であることを忘れていたような気がする。痺れや痛みもあったのだろうけど、気付かなかったのか、気にならなかったのか終わったときにはいつもの苦しい疼痛は和らいでいた。おまけに議員が会議室からでていくとき、杖なしで夢中で議員の後を追い歩いて挨拶をしていた。。。手ごたえがったという喜びの心が身体を動かしていたような気がする。提案の一部は採用になり実現の可能性を感じることができたからかもしれない。
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行動しないと変わらない

して貰った事は忘れない。してやった事は忘れよう。言葉にしないと伝わらない。行動しないと変わらない。
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障害者になって気づいた事

脳出血でで半身不随という障害者になってしまった当初、僕はたくさんのできなくなってしまったことに嘆いていた。それまで当たり前にできたことができなくなってしまったことに嘆いていた。僕は健常者のころ、何でも自分でするタイプだった。自分でやらなければ気が済まないタイプだった。だから家でも料理でも掃除でもなんでもやった。仕事でも人に任せることができず自分が背負い込むタイプだった。ある意味「何でもこなせる人」だったと思う。料理でもそれこそインドネシア料理から日本食や刺身まで何でも作った。大根の桂剥きもできた。そんな「何でもこなせる人」を自負していたのだと思う。だからこそ「何もできなくなった自分」を受け入れる事ができなかったでも、今思うと何でもできるつもりでいたかもしれないけれど僕ひとり、人間一人でできることなんてたかが知れていたと思う不思議なことに「何もできなくなった今の自分」の方が「何でもこなせる人」だった健常者の頃の自分よりも世界が広がっているのだ。それはなぜかと考えてみると、自分にできないことは「人にお願いする」ことしかできなくなり、結果として「人にお願いする」ためには人とのつながりを広げる...
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人間には越えるべきハードルが必要であるらしい

やっとろっ骨の骨折の痛みも和らいできた。左半身不随の上に左ろっ骨骨折なんて泣き面に蜂だ。。(/_;)麻痺した左手がダランとぶら下がるたびにろっ骨に激痛が走るからたまらない。朝目覚めて起き上がるときなど激痛の地獄である。。。先日コロンビア大学の講義をテレビで放映していたがその講義内容が、「人間には越えるべきハードルが必要である。そして超えるかどうかを選択する自由が必要である。」というものだったので感心して観ていた。それによると、人間にはは越えるべきハードルが必要であり、そして超えるかどうかを選択する自由が必要であるというのである。そして自分の選択によってそのハードルを乗り越えることこそが、人間の生きがいや生きる喜びにつながるというのだ。そしてそれがないと生きがいを失い寿命が短くなったり死んでしまったりするそうだ。たとえば、寝かせた赤ちゃんの上にメリーゴーランドのおもちゃを回してみせるとき単に回っているメリーゴーランドを見せるだけよりも、メリーゴーランドに吊るされているおもちゃに赤ちゃんがぎりぎりが届くかどうかの位置に置き、赤ちゃんが一生懸命手を伸ばして、おもちゃにが届いた瞬間におもちゃが...
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何度も何度も諦めず、

仕事もプラベートも身体もなかなか思うようにはいかないけれど自分を信じて何度も何度も諦めず頑張ってみよう。そうしていればきっといつかHappyになれると信じて、、昨日より今日、今日より明日、1分でも1秒でも多く話し合えたらそれでいいiPhoneからの投稿
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不安の負けない心

将来不安・・不安だらけだ。。何だろう、この不安不安の波が意味もなく押し寄せてくることがある。左手は全廃、、全く動かない。左足も・・思うように動かず、歩くこともままならない。こんな身体だから。。家事はほとんどできない。洗濯など全くできない。ひとりになったらどうしよう介助(介護ではhなく)なしではいきていけない不安仕事はPCだけでなんとかできているけど毎日の日々の生活は介助が必要な僕、、いくらお金があっても一人では生きていけない。そんな不安が押し寄せてくるなんでこんなに情けない身体になってしまったのだろう。。悲しくなる。。そうかと思えば、そんなもの知恵と工夫で乗り切ってやるそんな風に強気になることもある。僕にとって一番の不安の種は仕事ではない。日常生活だ。いくらお金があっても介助なしでひとりでは生きていけないからだ。こんな不安・・どうしたら良いのだろう。。正直ひとりになることが恐い・・そんな不安何の根拠もないではないか自分に自信を持て!自分にそう言い聞かせる。。今朝も不安の波が押し寄せてきた。。どうやってこの不安を乗り切ろう?毎日がこんな不安との闘い不安に負けない心を持ちたい。不安は自我が...
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使命感で動くべきか市場原理で動くべきか

今、僕はこの半身不随の身体にも関わらず、偶然にも国内のスマートシティ構築のサポートをやらせてもらっている。海外に対してもギニアに飲料水化設備の導入を支援させてもらっている。さらにはインドへも日本の最先端のバイオマス技術導入をしようとしている最近になって感じていたことだが、今日ハッキリわかった(理解)したことがある。大企業と中小・ベンチャー企業の再生可能エネルギー技術に携わる姿勢の違いだ。ハッキリわかった事は再生可能エネルギー技術開発をしている中小・ベンチャー企業の社長のほとんどが「使命感」でやっているということだ。それは一種傲慢に聞こえるかもしれないけれど、「私がこの技術を開発してスマートシティを実現し、より良い社会を作りたいより住みやすい街づくりをしたい」という情熱とか「使命感」といったようなものだ。ところが大企業のスマートシティ関連に携わる人と接しているとそういうものがちっとも感じられないのだ。そこにあるのは「自社(自分)がある程度の価格で(受注)しなければならない」という担当者の「義務感」といったようなものだ。だから金額ばかり気にする。コストを気にする。中小・ベンチャー企業と比較...
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乙武さん・・あなたには負ける

乙武さんあなたの始球式には感動しました。健常な人は何でも不満を言う。けどこの人は腕も足もなく、それでも最高に充実した生活を送っている。半身麻痺くらいで何を嘆いているんだ・・お前指が、手が動かないくらいで何を嘆いているんだ・・お前負けた・・と思った。でもいつかきっと追いつくぞ
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障害者でも社会の役に立つことを示す 福祉を受けるだけではない事を示す。

今度、ある支援者によって障害者で運営する会社を運営することになりそうだ。これぼくにとっては障害者でもでも社会の役に立つことを証明するためでもある。もちろん今までの再生可能エネルギーの普及活動も並行して行う。明日、明後日はバイオマスエネルギー施設導入のために徳島県のある町へ行くこの町には一昨日の記事で書いた風力発電も将来的に導入させたい。エネルギーの地産地消のモデル地区にまでしたい。それはそれとして、今度は障害者で運営する会社の運営だ。いずれの活動もも障害者だからといって人の世話になるだけの生き方だけではないことを証明するのだという志が僕にはある。障害者は福祉を受けるだけの、そして人の介助を受けるだけの「厄介者」というレッテルをはがしてやるのだ。健常者には負けたくない。何が何でも・・成功するかどうかそれはわからない。。それよりも障害者でもここまでやっていけるのだということを示したい。事故やび病気で障害者になったからいろんあ人生の目標を諦める。そんな人も多いだろう。でも僕はそんな人たちにい生きがいを持たせてあげたい。諦める必要はないんだよ・・と