人間について

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ジョニーは戦場に行った・・それでも生きなければならないのか

昨夜映画「ジョニーは戦場に行った」を観た僕が小学生3年時の担任の先生(元太平洋戦争の軍人だった)が教室で皆に紹介した映画今でも覚えているその先生が観て号泣したという映画・・それを聞いてから40年目初めて昨夜観た・・震えた・・生き地獄を味わうジョニー両手両足を切断され、顎も吹き飛ばされ口もきけない耳も聞こえない眼も見えない食事は管(チューブ)で首から栄養補給医師も看護婦もこの患者は意識がないと判断でも生かし続ける頭がとおり動くそれは単なる発作痙攣だと判断鎮静剤を注射でも違ったジョニーの頭の中には明確な意識があった身体に伝わる振動から周囲の状況を判断軍医は医学発展のため生きさせるという・・ジョニーが頭を動かしていたのは痙攣ではなく口もきけない、耳も聞こえない手足もない状態でジョニーが頭に中で考え出した最後のコミュニケーション手段頭を振ることでモールス信号を送っていたジョニーはあと何年生かされるかわからないでもモールス信号だけが送り続けている誰かに気付いてもらうまで・・なんだか現代の植物人間状態の介護老人を彷彿とさせる映画だった。最後の「SOS Help me… SOS Help me… S...
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考えろ!知恵を絞れ!策はある

映画「ジョニーは戦場に行った」が僕に教えてくれたこと多くの映画レビュー評価は「悲惨」「残酷」「戦争の悲惨さを考えさせられた」とあるが、僕は違う僕は、僕にとってとても大切な事を教えてもらった確かに残酷だったでも、ジョニーに教えてもらったそれは考えろ!知恵を絞れ!策はあるまだ、諦めるな!ということだジョニーは四肢がなく、声を聴く耳も聞こえない、目も見えない、喋る口もないにも関わらず頭を振ることいよるモールス信号により自分の意思を伝え、コミュニケーションをするということを考えたのだ。しかも、まだあるその体で「自分が役に立つ」事を考えた頭の振りでコミュニケーションをする四肢のない面白い人間としてサーカスの見世物小屋に出して「見世物」にすれば稼げるから、そうしろと・・モールス信号で伝えた。それでも「役に立つ」事を考えられるのだ頭の中だけで考え抜き、知恵を絞ったのだこのことは僕に教えてくれたお前には不自由ではあるが四肢もある右手は完全に健常だ眼も見える耳も聞こえる口で言葉も喋れるそれで何が問題なのだもっと考えろ!知恵を出せ!まだまだ考えが足りない!知恵が足りない!策はある!まだ諦めるな!と・・僕に...
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忍耐の後に・・

脳出血で倒れてからというものこの4年間本当にいろんなものに耐えてきたと思う。身体の不自由に耐え・・視床痛の痛みや痺れに耐え・・耐え続けてきた4年間だったもちろん身体的な不自由や苦痛に耐えるのも辛かったけど何より辛かったのは障害者になったことによって結果として味わった様々な「屈辱感」だったような気がする人間、「屈辱感」に耐える事ほど辛いものはないと思うなぜなら人間は心の生き物だから・・でもそんな「屈辱感」に耐え、耐え切った後にこそ次の新しい「強くなった」自分を見つけることができるような気がするそこから新たな道を開くことができるような気がするたとえ障害者でも・・忍耐の徳とでも言うのだろうか・・
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執念で生きる

僕は今、生きたいか生きているのではないと思う死ぬ方がずっと楽だ死は苦痛からの永遠の解放だ・・これは絶対に間違いない障害者の苦痛これは絶対に健常者には理解できないだろうスポーツ選手がオリンピックに出場できるまでに頑張った・・よくある美話・・その程度・・苦しくもなんともないではないかだって茶碗を持てるんでしょう?歩けるんでしょう?五体満足なんでしょう眠っているときは痛みも苦痛も無いんでしょう?だったら大した事ない・・僕は苦しいでも生きるだって苦しいからって死ぬことは恥だと思うから・・何が何でも執念で生きる・・どうせ生きるなら、絶対に健常者に負けない生き方をしてやる死ぬ事のほうがずっと楽な中で生きることは僕の執念だ・・昔、武士は負けて生きるは恥と言ったが、僕は障害を負ったからと言って不自由だからといって痛みと痺れが苦しいからと言って死ぬことの方が恥だだから執念で生きるのだ執念で健常者に負けない志を持ち生き抜くのだ執念で障害者でも人の役に立つ人間になるのだ今日も執念で温度差発電の発明者への実証試験機製作の助成金申請のサポートを完了した何事も執念で成すのだ
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橋下市長は器が大きいよ(血族主義人格批判に対する対応)

週刊朝日の橋下市長に対する血族主義的人格批判に対する橋下市長の対応を見ていて、器が大きいと思った・・と同時に心の底では怒り心頭なのだろうと思った僕自身、以前にもこのブログ記事に書いたけど僕の脳出血の原因が遺伝性病気のもやもや病だからといって僕の親の責任を問うた人(ヤツ)がいる僕は未だに許せない当時僕はまだリハビリ病院を退院したばかりで何もできず、怒りのを向ける矛先がなく、以下のようにWEB上に怒りをぶつけたまだ片手タイピングが慣れていない時期だったので誤字だらけだったが・・上記のURLの「田中」を「岡下」置き換えれば全てがわかる僕は未だに許せないこのときの責められていた僕の父母の辛そうな顔が未だに忘れられないから・・僕が半身麻痺の障害者だから何もできないけれどもし僕が五体満足な健常者だったら、怒りのあまり刃傷沙汰になっていたかもしれないと思うこくらいだ。それほどに自らのことの責任を自分親族や血筋(DNA?)のせいにされることは人にとって許せないことだそれにしても、公の紙面であそこまで書かれて、裁判にも打って出ず、冷静沈着な対応をしていた橋下市長には涙が出そうになった・・口達者だけではな...
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ギリギリを生きる

僕はたぶん、僕の「ギリギリ」を生きていると思う毎日続く耐えられないと思えるくらいの痛み、痺れ、不自由さの辛さ当初、この痛みと痺れと日々の不自由という辛さが続いていたとき、そして、いつまで続くのかわからない不安の中、、いつまで耐えられるのかわからないと思っていたこの4年間、いつも「もう耐えられない」と思っていいたような気がするいつもギリギリだったような気がする「もう耐えられない」という精神状態にまで来たときそんなどん底の精神状態のときに限って負けん気が出てくるのだ心の中でで「もうだダメだ」と泣き言を言っている自分にもう一人の自分が泣き言を言うなと叱咤する・・そして心が「前」を向く、いや向かせるのだ人間って意外に強いと思うそんなギリギリの状態でもそう簡単には心は崩壊しないものだ心の反発力というか反作用というのか何と言って良いかわからないけれど僕はいつもギリギリの状態になるからこそ、前を向けてきたような気がする痛みや痺れや不自由さの辛さがある意味、バネになっていたような気がする。そのバネで、たまに「無茶」もしたような気がするそれくらいしなければ、ギリギリの状態から脱出できず、本当に心まで崩壊...
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うっとおしい寝起きの尖足・・

最、朝の冷え込みがきつい・・この夏は夏で暑さがこの身体にはキツかったがひさしぶりの冷え込み・・ひさしぶり尖足だ・・うっとおしい・・尖足・・足関節が足底のほうへ屈曲した位置に拘縮したものを尖足という歩くとき、踵を地面につけることができない・・こんな感じだまるで鶏の足ような状態・・片麻痺になると起こりやすい症状らしい・・・寒いと筋緊張強くのなるからアキレス健が収縮するのか朝起きてベッドから立ち上がろうとするとこの尖足状態で左足の踵がつかない・・近くのクローゼットのドアノブにつかまりながら右足だけで何とか立ち上がるまだ左足の踵は着いていない、徐々にアキレ健を伸ばす朝起きてから15分ほどはこんなことをしているリビングに移動いしたいけどまだ動けない時間がもったいない・・苛立つ・・脳卒中の後遺症って本当にうっとおしい身体が気候変動に対処できていない・・尖足気味になると歩くとき前に出した足の踵が先に地面に着かずつま先から着地してしまうからつんのめる・・転倒しそうになるたかが歩くことにこんなに苦労するなんてこまったもんだ
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侮れない人の心の力

プラシーボ効果、プラシーボ(またプラセボという)これは偽薬の事である例えばある病(風邪でも何でも良い)に極端な話、単なる小麦粉を「良く効く風邪薬ですよ」と言って飲ませると本当に症状が良くなるというものであるこのプラシーボ効果以前、ある知り合いの製薬メーカーの人に聞いたのだが60%以上の効果があると言うだから、ある健康食品の効果を試験するのに「60%の以下の人が効果があった」という統計分析結果ではその健康食品の効果性を証明したことにはならないそうな・・60%!この数字に驚いた。このときは、まさか・・と思っていたが今日、何げなく、見つけたサイトの同じようなプラシーボ効果とその実験研究結果が出ていた以下のような文章だった-----------------------------------------------------------------薬に頼った生活をしている人も少なくない現代の生活。効用を期待したり症状を和らげるために服用するわけですが、治療や症状緩和に役に立つのは薬だけではないようです。プラセボ、プラシーボと呼ばれ、本物の治療を行うかのように処方される偽薬というものがあるので...
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人間が生命力を発揮するときって・・

人間がその生命力というものを発揮するときってどんなときだろうって考えた考えれば考えるほど難しい・・人は「身体」に瀕死の重傷を負ったときなどは必死に生きようとするでも、たとえ五体満足でも・・どんなに裕福でも//「心」が病んでいたり「心」が傷ついたりすると人は死を選択しようとする・・今、シリアなどの中東では毎日のように瀕死の重傷者が出ている彼らはそんな中で必死で生き抜こうとしている。でもこの平和でモノの豊かな日本では2010年の自殺者は31690人もいるという近年心の病を持つ人が急激に増えているという厚生労働省は2011年7月、これまでの日本における4大疾病、がん、脳血管障害、糖尿病、心血管疾患に、うつ病を中心とした精神疾患を加え、5大疾病とすると発表したという日本人に生命力を発揮させる施策って中東のような状況になること????矛盾だ・・皮肉だ・・難しい・・
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障害は個性か?

僕は以前、ある人から「岡下さんのことを『障害者』だとは思っていません。個性だと思っています」と言われたことがあるその人なりの私への心配りだったのだろうけど、どうも「障害=個性」という部分が引っかかった・・正直、「障害は個性というようなそんな甘いものだろうか」「障害なんてそんな甘いものじゃない」というのが僕の本音だった・・それでちょっとネットで調べたら、どうやら大ベストセラーになった乙武さんの著書「五体不満足」がその語源らしいことがわかった。そこでもっとよく調べてみると、、多くの方が「障害は個性」=乙武氏の言葉と思っているように感じますが、後のインタビューで乙武氏は、「障害は個性などとは言っていない、この言葉が一人歩きしている」と発言されています。本の帯や宣伝文句に「障害を個性としてとらえ・・・」とのような広告文があり、それにより障害者本人である著者の乙武氏の言葉として広まってしまったようなのだならば納得できる・・個性とは・・僕なりの解釈では個性とは「自分らしさ」だと思っている僕の「自分らしさ」それはたぶん障害者になる前の自分に本当の「自分らしさ」があったように思うそして今、その「自分ら...