人間について

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地球の重力でしか生きていけないのかも・・人間って

片麻痺になってよく分かったことなんだけど・・人間の身体って地球の重力(1G=9.8m/s2)にことごとく環境適応した身体の作りになっていて更にこの地球の重力ってヤツを最大限活用するか、最大限この地球の重力を避けるような動きをするように脳が命令するようになっているそれは何も重力に筋力で打ち勝つことだけではなく、重力を動きのきっかけや、推進力に変換する術を進化の過程で身につけ脳が命令するというのだ。最近、通院リハビリで僕の担当のPT(理学療法士)さんからそんな事を教わっているたとえば歩くとき、「もっと回旋運動を利用するよう心掛けてみてください」とかである回旋運動とは・・健常者なら無意識にやっている右左の肩が歩く度に「ねじる?」ことだから身体ねじる反動で(筋肉を使わず)足を振り出せというのだそして重力に逆らわずにそのまま踵から着地!これが最も効率的な「歩く動き」だそうだこの関係で面白い話も聞いた。米国人のPT(理学療法士)さんは(脳卒中などで麻痺症状のある)日本人をリハビリで歩くようになるまでには欧米人より時間がかかるというらしいなぜか・・・日本人は欧米人より、歩くときに生活習慣上のせいか日...
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一度「所有」した(と思うと)喪失に苦しむ

人は喪失感に最も苦しむのだと思う最もたるものが身内の死身内の喪失である財産にしても同じ、、築きあげた、或いはコツコツと積み立てた財産、つまりお金・・を失うと苦しむ・・だからお金持ちほどその財産が目減りすることを極端に恐れるだから不労所得?として投資に走るのだと思う仕事なんかにおいても、そこで得た地位や舞い込んできたチャンスや大きな案件など掴み取った優良顧客・・等々それらを予期しないトラブ等で失うとその(喪失感)のショックで苦しむ。なぜに人はこれほどまでに「喪失」に苦しみ「喪失」を恐れるのだろうか僕自身、脳出血で身体機能を失い、その影響で会社も失い、仕事も失いその喪失感に激しく苦しんだ。。なぜに人はこれほどまでに「喪失」に苦しみ「喪失」を恐れるのだろうか人にとっての最大の喪失の恐れは「死」ではないだろうか「死」は自分自身の喪失だから・・でも最近思うのだ・・・そもそも「一度所有する」から「喪失」するのではないか最初から何もなければ「喪失」するものはないではないかだとしたら「所有」さえしなければ「喪失」の苦しみなど味わうこともないこの世の形あるものはいつかは消滅するこの世は諸行無常だから地位...
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僕は急激な変化に対応できていないだけ???

先日、何気なく、電車の駅の階段で手摺りにしがみつきながら階段を(必死で)登っている老人を見た。足腰が弱っているのだろう。。一歩、一歩少しずつ段を上がっていく大変そうだ・・それを見たときとっさに「僕と同じだ!」と思ったん?僕は老人???もしかするとそうかもしれないでも、普通老人は徐々に(自分が気づかぬ間に)足腰が弱っていくだから足腰が弱ること自体に「苦」を感じることはあまりないでも、僕はある日突然、翌日いや、「あ!」と思った瞬間左半身の力が入らなくなり、立てなくなり、歩けなくなった。それはあまりに「急激な変化」であったたため僕がその変化に対応できていないだけなのかもしれない。そんな風に思うことがある。でも、実際、非常に緩やかに変化するのであればその変化が如何に大きかろうと対応できるのが生き物だ。変な例だけどあのヒマラヤ越えをすることで有名なアネハヅルヒマラヤ越えをするアネハヅルこのアネハヅルが高度8000m近くのヒマラヤ山脈を越えられるようになったのには、こんな理由があるらしい(ウソかマコトかわからんが・・)当初、アネハヅルは最初から8000m近くのヒマラヤ山脈超えをしなければならなかっ...
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弱さを認める・・って難しい

弱さを認めるって勇気が必要で、とても難しいことだと思う僕は障害者になって最も痛感したことの一つでもあるそれは障害者になって初めて、電車で席を譲られたときだった僕はその瞬間、心の中で愕然としていた。そして思わず、何もできず、その場に一瞬立ちすくみ「ありがとうございます」や「すみません」の一言も声が出なかった。そのとき初めて周囲から障害者として見られている現実を知った思いだった自分が障害者であること(=ある意味自分の弱さ)を認めることができていなかったのだと思うその他にも・・・街中で運動靴の靴ひもが解けてしまったとき当然左手は全く動かない上にしゃがむこともできない僕は足を伸ばしたまままるで前屈ストレッチでもするような恰好で右手だけで紐を結ぼうとしていた。。できるわけがない・・なのに必死で結ぼうとしていた。。街中の道(歩道)の真ん中でそんなことをしているもんだから目立つ・・見るに見かねた、あるおばさんがさっとやってきて・・「そんなん無理やん!誰かに頼んだらええのに!」と言いながらササっと結んでくれたそう言われながら僕は・・誰かに頼む??そんなんでけへん一瞬僕はそう思っていたこのときも自分が障...
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松下幸之助・・やっぱり「生きる」手本にしたい

松下幸之助・・私がこの世で最も手本にしたい人物・・(自分にできるかどうかは別にして)それは決して事業の天才経営者の成功者だからではない彼は決して天才で一夜にして大企業を作り上げたのではなく、その生涯があまりに過酷であり、困難に満ち逆境に次ぐ逆境を乗り越えてきた人だからだその人生と(意外とご存知ない人が多いと思う)この本読んで知ってこの偉大な人勇気をもらった。。幸之助論(ジョン P.コッター著)松下幸之助の生涯
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人生のきわみ

僕は山本周五郎氏の小説に出てくる「きわみ」という言葉に惹かれるきわみとは・・これだけはどうしてもゆずれないここからは一歩も引けないこれは絶対許すことができないこうしたギリギリのいわば崖っぷちの状況であるそんな状況における人間の心理と行動を描く作品が山本周五郎氏の小説には多々あるそしてそれは権威や権力¥才能をの持ついわば「強者」のきわみではなく、下町のごく普通の人間で才能もなく、日々の生活にも困るようなそういう「どうしようもない人間」いわば弱者たちがきわみというぎりぎりの選択が必要になったときの決断のとき何を思い、どう行動するのかを描く決して英雄や成功者の物語ではないだから僕は惹かれるそこに「どうしようもない人間」であっても、その人間の持つ「本当の姿」が見えてくる人間は「本当のきわみ」経験するかしないか、そしてそこで如何に決断するかによって人生が変わるそこには人間の激情だけであり、決して論理的な思考ではないと思う激情こそが人生を変えることのできるものであり、激情の生まれない人生は何も変わらないそのためにも「きわみ」のようなギリギリの状況が人間には必要なのかもしれない僕はそう思う。
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覚 悟・・

昨夜、夢を見たどこかの南の島のリゾートホテルのプールだったような気がするでもそのときの僕はプールがあっても以前ように泳げなくなってしまった自分そう、まさに今の片麻痺の僕だった何を誰としゃべっていたのか覚えていないけどそのプールサイドの椅子に座って(パラソルはあったかな?)しゃべりながら「もう一度以前のように泳げたらなぁ」と思っていた。脳出血以降、これまでの夢で、はじめてハッキリと自分が障害者であることを自覚していた夢だったやっと6年経って、自分が障害者であることを潜在意識が認めたのかなって感じた。6年の歳月を経過してはじめて認めたのかもしれない認めたというより残りの半生をこの身体で生きていく覚悟ができたのかも知れないよく医者の言う障害受容ってやつかもしれないそう考えると障害受容って「受け入れる」なんてことではなく、覚悟が決まる事なのかもしれない受容なんて言葉を使うから変に「受け入れるなきゃいけない」なんて必死になるけどそもそも「障害を受け入れる」ってどういうこと?って以前から不思議に思っていたそれがようやく分かったような気がする。それは「この身体で生きる覚悟」なのだそう思った。だから仮...
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悲劇をもたらす思考停止

思考停止、、これは悲劇をもたらす。。。そのままの意味だと「考えるのをやめること」である。僕達は日々の生活の中で驚くほど「思考停止」している事を意識しているだろうか例えばテレビニュースを見ていてキャスターのコメントに納得してしまったときこれは、相手の考えに迎合し感心しているだけなのに自分も同じ考えを持ってしまう事・・既に思考停止している状態である同じくキャスターのコメントに納得できず怒りを覚えてしまうとき・・これも相手の考えが自分の考えと違うことを許容することができない状態である自分の固定された考えを変化させることができず「思考停止」している状態である。思考停止していないという状態とは、、、、上述の場合だと、ニュースキャスターのコメントの内容を咀嚼し、そういう考え方もあるということを理解し、新たな自分の考えに吸収させる状態だと思う。なぜ人は思考停止してしまうのだろうか?思考を停止させてしまうと・とても楽になる。・自分で新たに考える必要がなくなる。・自分の発言に責任を負う必要がなくなる。・他人の考えを自分の考えであるかのように 用いることができる。しかし、考えるのをやめてしまうということは...
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生きている実感・・

生きることは苦である・・釈迦の言葉だ今僕はまさに生きている事を実感している今、苦境に立たされているからであろうかせっかく、やっと・・この身体で手にしたと思った大きなビジネスがあっけなく破たんした。。確かに苦境であるでも、なぜか以前(6年前)、脳出血倒れ、障害者になった当初に比べ「苦しい、つらい」という感覚が今は少ない・・むしろ、苦境だからこそ、やり甲斐のようなものを感じているそれが「生きている実感」ではないかとも感じている。生きているからこそ「苦」を感じるのではないか死んでしまったら「苦」さえも感じないだろう。だから僕は今、生きていると実感している。何もかもが順調にいき、あらゆるモノが手に入る環境なんて本当に「幸せ?」とか「生きている感」なんて感じないのではないかとさえ思う。苦境を乗り切る事ことの方がずっと生き甲斐を感じるような気がする以前ビートルズのジョンレノンがこんな事を言っていた「ビートルズは、ほしいだけの金を儲け、  好きなだけの名声を得て、何も無いことを知った」本当にそうなのかもしれないと今思っている 全ての欲しいモノを手に入るようになってしまう事が幸せとは思えないそんな身分...
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生き地獄と尊厳死・・

11月1日末期がんで余命半年と宣告され、安楽死を予告していた米国人女性のブリタニー・メイナードさん(29)が、予告通りに自ら死を選び、自宅のベッドで家族に囲まれ、医者から処方された薬を飲んで、安らかに息を引き取ったという。。<朝日新聞ニュース>その傍らで、英国では脳卒中で全身麻痺となった男性が死ぬ権利」を求めていた裁判で、英高等法院は、男性の訴えを棄却する判決を言い渡した結果、この男性は自ら食事を拒否するようになって死亡したという・・このニュースに対して賛否両論あるというキリスト教系の主教団体は反対していたらしい確かに尊厳死に対する考え方はいろいろあろうと思う一度は尊厳死を臨んだ少なくとも僕の意見だけど僕はリハビリ病院から退院した直後、左半身灼熱痛の猛烈な痛みを感じ、しかも100m先のコンビニさえ、ひとりで行くことができず、自宅でただひとり痛みに耐えながら、何もできない状態だった。僕はこれこそ「生き地獄」だと感じ死にたいと本当に思っていた。こんな拷問・・これは本当に拷問だと思っっていたそれは痛みに耐え身動きさえができない(独房に居るようなもの)状態こんな拷問を受け続け生きるのならいっそ...