人間について

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「なぜ」という問いかけ

「なぜ」と冷静に探求する心が問題の本質を捉えると思う本質を捉えることができれば怒りや悲しみなどの負の感情が消滅するものだと感じる僕は小学生の」頃いじめられっ子だった。苛められるたびにいつも怒りと悲しみに満ち溢れていた。学校ではいつも泣いていた記憶しかない。そこから逃れる術としていつの頃からかいじめられたときには「なぜあの子はそんなことを僕にするのだろう」と考えるようになった。そう考えたりすると「きっと今朝、家で兄ちゃんにいじめられて、悔しく、悲しかったのだろうな」「その怒りと悲しみの鉾先がなく、それがたまた、のほほんとしている僕に向ったのだろう」などと相手の心情的理解をすると、不思議と怒りや悲しみが治まり、相手を許せるようになることを子供ながらに感じた。きっと怒りや悲しみから逃れる術として自然と身に付けたのだろう。このことは今の自分を思考回路作り上げている。だから本当に「怒り心頭」という気持ちに」はあまりならない
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他者に救いを求めるより自分を信じる心を持つ方が本当に救われる。

先日、友人の誘いでイヤイヤながら、不治の病も治癒すというヒーリングというやつの会合に出席しました。友人が本気のようなので断るわけにもいかず・・すると案の定「神」のように崇められる「カレ」という存在(既に死亡したドイツ人)がおり、その人のヒーリング能力とかいうもので不治の病をも治すというものだ。会費が必要なわけでもなく、集まっている人たちは、本気で信じてボランティア的に「会合」を開いて「教え」とかいうものを説いて回っているようだ。ドイツ人も参加していた。何も強制されるようなことはなかった。不思議な会合だった。ただそのなかでこんな言い回しがあった。「信じなさい。信じれば、神の力が治癒を導いてくれます。」なんだこりゃ・・正直心の中で(いや声を出して笑いそうになったが)ズッコケた。。。それよりも気になったのはこの会合に来ていた人たちの目が「誰かに救いを求めている」ような目をしていた。宗教法人では内容だったが、これはまさしく西洋的な宗教だと感じた。宗教のことにくわしいわけではないが、どうも西洋的な宗教には、「神」というものは存在し、その「神」に救いを求めるために色々な宗教的儀式が存在するような気...
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まだ乗り越えることができていなかったんだ

まだ自分の障害を負ったことを現実として直視して受け止めることができていない。。今朝起きたら、なぜかとてつもなく辛い気持ちになっていた。原因は良くわからない。全く分からない・・・昨日まで頑張って東京にまで赴いていたのに・・そのパワーが体に気持ちにになみなぎってこない。左半身の痺れが辛い。ベッドから立ち上がろうとしても眠っている間に硬直した麻痺足が痛くて伸びない。。リビングまでの道のりが、異常に遠いどんどん気持ちが辛くなる。なんで僕がこんなことになっているんだろう。。リビングにまで行くだけでこんなに苦労している。何とも言えない空しさこみ上げてくる「無私」「無私」と唱えているが、今朝は効かないようだ。痛みと痺れが原因なのか心のネガティブスパイラルに陥ってしまった。意味もなく、いろんなもの(人)を恨んでしまう精神状態だ。まだ精神的に乗り越えることができていないことを実感した朝だった。
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素直ってある意味怖い! けど強い!

本日とある会社の社長と話をしていた。今後もビジネスの展開の話や色々なことについて話をした。その社長と話をしているといつも思うのだが時々「異様に冷徹」ともいえる反応が帰ってくるのだ。かといって人柄として人間的に冷7たい人ではない。むしろ温かい人だ。なんでそんなふうに感じるのだろうと、今考えていて、ふと分かったような気がして書きとめておこうと今ブログを書き始めた。その理由は「素直さ」だ!よく考えるとその社長は実に素直なのだ。そこには何の「捉われの心」もなく、「思い込み」も一切存在しないのだ。殆ど人間は、自分がこれまで生きてきた人生で体験した色々な事象が原因で「捉われ」や「思い込み」が存在するものだ。マイナス面におけるその典型的なものが「トラウマ」というヤツだその社長と話しているといつも気になる言葉がある。「なんで?」この「なんで?」という言葉ほど恐ろしいものはない。こちらはある意味「確信」をもって話した内容に対して、「なんで?」という疑問文が帰ってくるのである。こちらが、「当たり前」と思っていることに対して、「なんで?」という疑問文が帰ってくると答えようがなくなるのである。まるで幼児の子供...
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「なぜ」という問いかけが本質を捉える

なんで?「当たり前」と思っていることに「なんで?」と問いかけてみると面白い。人間、自分の中では明確な理由が分かって行動していることは以外に少ない明確な理由を理解して、見ること見ている世の中の事象は以外と少ないと思う。「そんなもんだろう」「当たり前」という意識なので漠然としか認識できていない本質を掴めていない本質(原因と言ってもよいだろう)をつかめていないと、苦境や人生の壁に出会ったとき不安や恐怖に襲われるものだと思う。なぜなら原因がわからないから対応が見えないからだ。本質を見抜いていると対応策がわかるので、冷静に行動することができ、むやみに心の不安に囚われない障害者となってから「なぜ」と問い続けた。なぜ脳出血を起こしてしまったんだろうなぜ僕は障害者になってしまったんだろうなぜ生きているんだろうなぜ生きなきゃいけないのだろう。決して明確な原因と答えが出てきたわけではないが,できるだけ素直な気持ちで問い続けることで、生きる意味や出会った苦境を自分なりに客観視することができたし結果として、自分なりに解決策を見い出すことができたような気がするそして自分の人生を受け入れ「消化」することができるよ...
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生まれて初めて死を覚悟した瞬間

初めて死を覚悟した時 僕が生まれて初めて死を覚悟したのは昨年三月の脳血管バイパス手術の時だった。出血性もやもや病の場合再出血の危険性があるということでそのリスクを少しでも減らすための手術でした。血管同士の直接吻合をする手術でした。直径 0.2ミリの血管同士を吻合するという難易度の高い手術だった。しかもそれは顕微鏡を見ながらの手技による手術だった。人間が手技で行う以上、どんなに名医であっても「完全」はあり得ない。そのことが何を意味するか十分理解していた。少しでも手元が狂い血管もしくは脳細胞を少しでも傷つけてしまえば「最悪の事態」になるとは自明の理であるインフォームドコンセントでは確率の話をしてくれるが本人にとっては確率の問題ではない。つまり一定の確率で死ぬことがあり得ることだ!僕は何が起こってもおかしくないという覚悟をしていた。そして手術・・全身麻酔のためのマスクをはめられチューブが差し込まれてきた。「はい大きく息をしてください」目の前には主治医の顔が見えている周りを見渡すと助手が数人見えている。「いよいよだ・・」心の中で「覚悟」した。。「今見えている手術室の光景が僕が見る最後の景色かも...
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心の柔軟性が人類の限りないの生成発展の源泉

かのダーウィンもいっていますが、「一度正しいとされたとは、常識」されてしまい疑うことをしなくなる。これは科学の発展きわめて有害である。」と・・これはビジネスの世界でも同じであると思う。特に役所などこの傾向が強いように思う。既存の価値観やと囚われの心を捨て、無垢な子供のように素直な心で物事を考えてみれば、そこに疑問や矛盾が見えてくるのではないだろうか。こういった素直な視点は心の柔軟性を生み、新しい発想や知恵の源泉だと思う。人間というもの自分の経験に基づく「こだわり」というものは捨て難いものだ。それは自分が過去から積み上げてきたプライドでもあるからだ。ときにこのプライドは良い意味でのが頑固さであり、妥協のない力強さの源泉となるが、一つ間違えると囚われの心により物事を正しく客観的に私心なく観察できず、新しいモノを生むことを阻害する。これは人の人生にも言えることで、過去に囚われると次の一歩が踏み出せない。人間、人生の中では何が起こるかわからない。否が応でも過去を捨てさせられることが起こるものだ。そんなとき、過去にとらわれ、私心にとらわれるといつまでも次の一歩が出ず、前に向くこともできず、希望も...
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感情のコントロール

人間誰しも感情というものがある。その人自身の「自我」からくる「感情」というものだろう。この感情というものは非常にやっかいなもので、これが、「こだわり」を生み「偏見」を生み冷静な行動ができなくなり、結果として対立が起こり、果ては戦争などというものになってしまうのではないだろうか時に人間は自分の感情をコントロールできなくなり周囲に対して迷惑をかけることがある。「抑えきれない感情」というものを誰しも持っている。でもこの感情を抑制するためにはどうすればいいのだろう。僕も障害者になってから自分のふがいなさから家族に対して感情を爆発させそうになってしまうことが非常に増えてきた。本当に些細のことが原因で、抑えきれない怒りや悲しみなどの感情があふれ出てくる。こういった感情は、「自我」が存在する限り抑えることはできないのではないだろうかと思う。だからこそ「自我」をなくすことができれば、そんな主観的な感情は沸き起こることもなく、沸き起こらないので「自制」する必要さえなくなるのではないだろうかそんなことを思い、僕は抑えきれない怒りや悲しみの感情が湧き上がってきたときは、いつも「無私」と唱えるようにしている。...
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苦しいから、

毎日が24時間46時中苦しいから無私になりたい。。ただそれだけ・・なんで僕はこんなに苦しまなきゃいけない?朝起きるのも苦しい(障害者になってからというものこの2年間すがすがしい朝など一度もない。)トイレに行くのも苦しい着替えをするのも苦しい。食事をするのも苦しい。靴を履くのも苦しい。水のシャワーは鬼太郎の毛針のように痛く感じる」散歩なんて地獄の特訓に近い苦しさだ。なんでこんなに苦しまなきゃいけない。誰か教えてくれ喜怒哀楽の「怒哀」ばかりだ。だから「無私」になりたいこれって死にたいということとイコールかな?
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元気そうだね

先日久々に会った友人が僕に言った第一声「元気そうだね。その分じゃどんどん回復するんじゃない?」元気づけるために言ってくれたんだろうけど、僕は心の中で何が「元気そうだ」なんだよと思ってしまった。勿論顔には一切出さず、ニコニコしていたが・・元気そうじゃないんだよ!元気そうにしているだけなんだよ!毎日24時間46時中苦しんだよ!わかるか!と言うのがホンネだった。脳の損傷による疼痛の苦しみなんてこんなもんさ通常の痛み止めどころかモルヒネさえ効かないんだとさ耐える以外に方法はないんだよそれもいつまで耐えれば良いのかわからない。。1週間や2週間じゃない5年か10年かもわからない、それさえもわからないだから無私になりたいよ