人間について

人間について

障害者になることによって「空」になれたのかも知れない。

最近思う・・僕は障害者になることによって「空」になれたのかも知れない。いや「空」にほんの少し近づけたのかも知れない。倒れる前の健常者の頃の僕は小さな会社のくせして、少し驕っていたかもしれない。経営者気取りで・・自分は何か大きな経済的成功でもできると錯覚していたのかも知れない。それは「欲望」によるものだったような気がする銀行から身の丈に合わないかなりの借り入れをして、目の前にかなりの会社の預金があることをいいことに生活も放漫になっていた気がするそんなお金、自分の実力でも何でもなくただの借金に過ぎない事に気付かずに・・でもそれが今、会社もなくなり、お金もなくなり、身体の機能まで無くなってしまった。あるのはこの何もできない障害を負った身体だけ。。今の自分は本当に智力も体力も何もない。そうなってはじめて他人の力を他人の智力や体力を借りなければならないことに本能的に気付いたような気がするそのためには自分の欲望を前面に出すわけにはいかない事にも気付いたような気がするそして何もできなくなった今、初めて自分の欲望が「人の役に立つ人間でありたい」という気持ちに変化したと感じる。この障害を負った何もできな...
人間について

許すということ・・それは「学習」することだ

怒り・憎しみ・悲しみ・嫌悪といった相手もしくは自分の状況に対するネガティブな気持ち僕の場合、自分を襲った病に対する悲しみや何とも言えない怒りが心の奥底にある。同時に自分病気を理解してくれない周囲への怒りなどが湧くことがあるこういった気持ちは決して良いものではない。こういったネガティブな気持ちにならないためにはどうすれば良いのかずっと考えてきた。自分なりに出した結論、それは「学習が足りない」ということである。人間というものに対する学習相手というものに対する学習(認識とでもいうのでしょうか)状況に対する学習例えば人間というものは誰しも病に襲われるのであるという学習である。あの釈迦が悟ろうとしたようにどんな人間も病・老・死から逃れることはできないという学習と深い認識であるそのことをしっかり学習(認識)することにより自分を襲った脳出血も人間にとってごく当たり前の事だということに気付く。人間、誰しもいずれは病の床に臥せ死を迎えるのだそのことを深く学習し認識するのだ。そのことによって冷静に受け止めることができる。これが「許す」ということなのだろう。相手の無礼に対する怒りにしてもそうだ。殺人・盗難・...
人間について

ダメなときほど理由がたくさんある

本当に辛いときに人からアドバイスを受けても、、「でも」「だって・・」「そうは言っても・・」自分のことを大切に考えてくれている人からアドバイスをもらっても否定的なことしか返せない。「それは・・・・だからダメ」といったような「できない理由」のオンパレードになってしまいます。僕も障害を負った当初は(今でもときどきそうかもしれないけど)そうでした。何を言われても「そんなこと言ったって・・」「僕の気持ちが本当にわかるわけがない。だから簡単に言うんだ。そんな簡単にできるか」などと思っていた。だから助言を無駄にしていたと思う。何を言われてもできないと・・でもあるとき僕は僕自身に「じゃあお前はこの先の人生を完全に諦めるのか?!」と自分で自分に怒ったことがある。このまま「できないこと」を何か(人とか世の中とか病気)のせいにしていて何か解決できるのかこのままでいいのか!・・とそう!・・このままなんかで良いわけがないのです。人間ダメなときほど出来ない理由がたくさんあるものなのです。そう考え、>出来ない理由を言うことも考える事も止めた。だっていくら誰か(人とか世の中とか病気)のせいにしても何も変わらないし何も...
人間について

常に死を意識して生きるということ

人は必ず死にます。こんな事を言ったら「ポジティブ」ではないかもしれないけれど、少なくとも僕は常に心のどこかで常に死を意識しています。今日明日に死ぬとは言わないまでも、再出血で死を迎えるのは明日なのか1か月後なのかこの3年間自分の身体に裏切られ続けてきた経験上、自分の身体を信じていないところがあります。増して僕の基礎疾患のもやもや病による脳出血を起こした場合、再出血率は45歳~55歳までの間が最も高効率であり、61%もあると知ればなおさらのことです。これは諦めではなく、この現実に怯えているわけでもありません。むしろ自分と真正面から向き合うことになっています。人が死を意識するとこれまでの人生で「どのように生きたのか」がすべてになってきます。結果ではなく、その過程の時間すべてなのです。「その時点」まで、、より有意義に、より楽しく、より充実した時間でありたいのです。だから僕は常にポジティブシンキングをしようと努力しているのかもしれません。ポジティブシンキングが良い結果を生むから無理に前向きになるのではなく、今この瞬間の、そして「その時」までの生きている時間を大切にしようとすると自然とポジティブ...
人間について

あの世や神や霊や魂なんて存在しない方が良い、死後は無のほうが良い

最近、神?や守護霊?が・云々というコメントがときどきあるので、僕があの世や神や霊や魂なんて存在しない方が良い、死後は無になったほうが良いと信じている考えていること、またそう考えるようになった理由をもう一度書きます。僕は死後にあの世なんて存在せずに、無になった方が絶対に楽だと考えています。あの世という世界を考えたのは人間は自分が死んだとき、自分の「意識」までも消滅するとは考えにくいからだと思います。それと自分で意識が消滅するということを想像することが難しいと同時にある意味恐怖感を抱くからではないでしょうか。でも僕は違います。僕が「あの世なんて存在しない方が良い」「死後に魂なんて起こらない方が良い」と考えるようになったのは、脳出血で障害を負った当初、「自分は何の役に立たない人間になってしまった」という思い駆られ自暴自棄になってしまった時のことです。自宅に居ても常時ベッドに寝ているだけ・・・1日24時間天井を見ながら過ごす日が続きました。このとき味わった強烈な「孤独感」です。この孤独感というものは地獄でした。(多分味わったことのない方には理解し難いと思いますが、)役に立たない人間であると感じ...
人間について

再生可能エネルギー分野にまで経産省と東電の利権が・・・

今日は久しぶりに僕がNPOで携わっている再生可能エネルギー技術についての記事を書きます。現在、脱原発に向けて、様々な再生可能エネルギー利用技術が全国各地で開発の動きがあります。いわゆる太陽光発電や風力発電などです。しかし、大きな問題の一つとして出力電力が不安定であるということがあります。例えば太陽光なら夜は発電できず昼間しか発電不可能です。曇りの日と雨の日では発電量が全く変わってしまいます。風力発電についても同様に常に一定の適度な風が吹いているわけではありません。特に風力発電の場合、落雷などによる事故が多く発生しております。こういった不安定な電力を送電線に送電した場合どうなるか。送電線に逆潮流が起こり、電圧低下などの電力変動による瞬停など送電線への悪影響が懸念されます。これは資源エネルギー庁でも既に想定されておりこれがかなり大きな悪影響を与え、大きな電力損失になるそうで損失想定は10ギガワットだそうです。世間では太陽光発電や風力発電など再生可能エネルギーによる発電システムは注目されていますが、この問題については専門家の間でも意外と知られていません。しかし日の電力会社はこの盲点を突き、再...
人間について

「当たり前」って怖い

最近・・何事においても「当たり前」って怖いと思うのだ・・「当たり前」ってつまり「常識」ということに近い。世の中で何事も「常識(当たり前)」になってしまうと思考停止に陥ると思う。そこから進歩がしない。改革意欲もなくなる。かの進化論で有名なダーウィンも言っている。。「一度正しいとされたことは、(常識)とされてしまい疑うことをしなくなる。これは科学の発展きわめて有害である。」と・・最近思う・・周囲の人(家族も含めて・・)が僕が障害者であることが「当たり前」になってきていると感じる脳出血で倒れ、半身不随の障害者になった当初は腫れ物を触るかのような対応でとても気を使ってくれていたように思う。いろんなことを手伝ってくれたように思うだからと言って気を使ってほしいと言っているのではない。手伝えといっているのでもない。それは仕方のないことだ。特に家族なんて毎日僕と暮らしているのだ。。そう気ばかり使っていられるものではない。でも僕は3年以上経つが今でも不自由や痛みが当たり前になることはない。逆に不自由さをある意味「受け入れて」しまってこれが自分の「当たり前」になってしまってはいけないと思うのだ。なぜなら「...
人間について

「当たり前」を「当たり前」にしない事に挑戦する医療従事者

前のブログで一般の人間が「当たり前」になってしまう危機感について書きましたが今回は医療従事者について書きます。僕の障害が「当たり前」になってしまうことは家族や周囲の一般の人たちだけではないと感じます。医療従事者も同様だと思っています。僕はこの3年間毎週、週に一度通院リハビリに通っています。そこで最近感じることは、僕の麻痺症状が「固定化」しているとリハビリ医までが感じていると僕に伝わるのです。通院を始めた当初は理学療法士さんもあの手この手でいろんなリハビリ手法で訓練してくれてました。でも最近は・・マッサージしかしない日が多々あるようになってきました。そこに「症状固定」による「諦め」を感じてしまうのです。「症状固定」したら、いくらリハビリをしても回復は見込めないという常識「当たり前」を感じるのです。でも、医療従事者がそう思ってしまったら終わりだと思います。癌治療にしても同じだと思います。ここまで進行していたら治癒不能という常識に囚われることは諦めにつながり、ダーウィンじゃないけれど医療の発展に有害だと思うのです。そんなことを感じてはじまていたこの4月にそんな常識に囚われない理学療法士さんに...
人間について

人生変わったな・・

ゴールデンウィーク・・皆国内・海外を問わず、大なり小なり旅行を企画しているようだ・・ったそれに引き替え・・僕は、とてもこの動かない身体でどこかに行こうなどという気が起きない。変わったな・・元々アウトドアー派だった僕は休みには海へ、山へダイビング、キャンプなんかを企画していたものだ。今の僕は身体が動かないせいだろうか。知識欲旺盛になっている自分に気付く・・なぜだろう・・今の身体の不自由な僕にとってっ知識こそが、情報こそが世の中の役に立つ人間であリ続けられる唯一の手段だからだ。だからあれほど読書嫌いだった僕が・・読書に飢えている。。読書だけではなく世の中の役に情報を聞くことができる人の話に飢えている、この世の中で人間だけが知識を生かし、世の中の生成発展に寄与できるのではないか。そんなことを考えるとあらゆる分野の書物の読書が生きがいになりつつあるそして、その知識から今の現状を改善する知恵に変えていく過程が楽しい。僕はもう旅行やダイビングやスポーツなどという娯楽にほとんど興味はなくなっている。不思議なものだ。とにかく障害者でも生きている限り世の中の役にたつ人間でありつづけたいという果てしない欲...
人間について

被災者と障害者は確かに似ていると思う

前の記事にコメント頂いた障害者の方の言う通りだと思う。被災者と障害者は確かに似ている。月日が経っても状態が好転していなければ、どちらも「日常として」苦しみと向き合って生きている。しかし、被災地以外の直接被災されていない人や障害者の周りの人には、非日常であるX-DAYから月日が経つとそれぞれの日常に戻って行く残念ながら妻や子、他の身内に於いても被災者や障害者の日常の苦しみを共有する事は困難な事なのだろう。真の苦しみや寂しさ・悲しみ・怒り・孤独感などを全てなんて・・とても・・理解されていないと思う人の心に「絆」なんて・・本当にあるのだろうか。。