人間について

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素晴しい日本

すべての文化・文明は日本で花開くと言っても過言ではないのではないだろうか。たとえば仏教にしても、インドで発祥し、中国を通り抜け日本に到達して、日本で浄土宗や禅宗などのより洗練された仏教として花開いた。また儒教にしても孔子の論語を徹底的に勉強し身につけたのは江戸時代の日本の武士で、武士道として洗練された。本家本元の中国で孔子が評価されたのは、ずっと後(最近)のことである。科学においても同じことがいえる。産業革命の元祖は当然イギリスである。イギリスで発明された鉄道技術を輸入しより洗練し、世界最高の鉄道である新幹線を作り上げたのも日本。そして自動車も同じである。自動車王国と言われるアメリカをトヨタは抜き去り、世界一になってしまった。なぜだろう。これは日本人の持つ独特の精神性にあると感じます。最近の尖閣諸島の問題で、日本は弱腰である日本は恫喝に屈する国だという印象を世界に与えてしまったという批判の論調が大勢を占めているように思いますが、本当にそうなのだろうか。今回の対応が屈したことになるのだろうか。そんなことはまだわからない。この後の対応の仕方次第でどうにでもなる。「負けるが勝ち」という言葉が...
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最後に残ったのは「志」

パンドラの箱で最後に残ったのは「希望」だった。という伝説がありますが、僕にとって最後に残ったのは、いや、新しく生まれたものが「志」でした。脳出血になり倒れてから、生死をさまよったあげく、障害者になってしまい、それまで築き上げてきたたくさんのものを失いました。零細だったけれども大切にしていた自分の会社、一緒に頑張ってくれた社員の子たち、そして零細企業だったけれどもそれなりにその会社を将来大きくしたいという夢、そしてすこしは自慢だった体力(僕の場合水泳能力とか腕力だとか体の機能)その結果、妻に対し、息子に対し、夫らしいこと、父親らしいことができなくなってしまった一時は精神的に絶望状態でした。でも今、僕は健常者の時には持っていなかった「志」と言えるものが持つことができている。不思議なものだ。この「志」のおかげで僕は今生きる意欲を持つことができている。なぜこのような「志」を持つことができたのか自分でもよくわからない。「志」が「残った」のではなく、新しく生まれた。そしてその「志」に向かって少しずつですが前に歩き始めることができています。脳出血という厄災が「志」を生んだのだろうか。人間には本能的に...
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「不安」を払拭するのはやはり志とそれを信じる力かな

最近、「不安」がもたげてくる・・ただ最近の「不安」は仕事に対する不安である。今やろうとしていることが本当にうまくいくのか、社会の役に立つことができるのか逆に迷惑をかけることはないだろうか。正しい行動なのだろうかそんな不安である1年前の不安とは大違いである。でも1年前僕は再出血の不安におびえていた。僕の脳出血は難病であるモヤモヤ病を起因とする脳内出血だった。このモヤモヤ病と言うのは、モヤモヤ血管と呼ばれる超極細の新生血管が脳に出来上がるいわゆる血管の奇形である。これは頚動脈から脳に向かう太い血管が閉塞しているため、脳に血流を維持するために生成されるごく細い血管である。脳血管、あまりにも細いために、中年以降(30歳以降)に血管が年齢と共に脆くなってくると破たんして、出血する可能性が高いのだ。一度出血すると再出血のリスクは非常に高い病気である。通常の高血圧等によるくも膜下出血とは違うのである。出血発症してから10年以内に再出血する可能性は極めて高いそしてさらに、再出時はきわめて重篤になるという。「極めて重要」・・つまり植物人間か死が考えられる。さらに厄介、統計上、血圧と再出血の相関性は見られ...
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知恵を使うようになった。

身体に障害を負ってから、肉体機能が失われた分、以前よりも知恵を使うようなったように思う。嘆いていても、仕方ない知恵を使って工夫して生きるしかない僕がアフリカの獣だったら、肉食獣に食われていただろう。その点人間には知恵とか知識というものがあり、これをフル活用することで体が動かなくても社会生活が可能だ。知恵と知識で、社会に役立つことが可能だ。人間は社会に役立っていることで、その対価としての報酬がもらえる。まあ報酬はもらわなくとも、日々の生活のなかで本当に知恵を使うようになったと思う。よく電車の駅で「駆け込み乗車は危険ですからお止めください」というアナウンスを聞くが、そもそも駆け込みなんて、僕にはできなくなった。その分かなり早く駅に行くようになった。こんな簡単なことから仕事上のことまで、変な言い方だが、自分ができなくなったことを如何にして他人にやってもらうか。ということをを考えるようになった。これって皮肉なことに企業経営をしていた時代にいつも考えていた「人を動かす」ということにつながる。有名カーネギーの「人を動かす」という著書にかかって書かれているどうやれば、人は動いてくれるのか。従業員は、...
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制約条件は解除の対象

僕が印象に残っている言葉の一つに「制約条件は解除の対象である」という言葉がある。これは昔あるコンサルタント会社に勤めていた頃に教わった言葉だ。物事を進めていく行く際に、あるいは事業を成功させる際に、どうしてもそこにいろんな「制約条件」がが立ちはだかる。人は往々にしてこの「制約条件」を理由にあきらめる「私はそんな強い資金がないからできない」「私にはそんな能力がないからできない」「私は性格的にそんなことはできない」「協力してくれることがないからできない」などなど・・・ありとあらゆる「制約条件」並べたて、自分ができないことを相手に対して、あるいは自分自身に対しても正当化しようととする。他人に対してはできないことを許してもらうするために・・自分に対しては自分を納得させるために・・しかしその「制約条件」こそが解除の対象なのだ!その「制約条件」さえ解除すればうまくいくのでしょう!成功するのでしょう!じゃあその「制約条件」を解除することに力を集中しなさいよ。それだけのことでしょう!この言葉は目からうろこが落ちた言葉だった今、この言葉を改めて何度も思い出す。なぜなら、僕は今半身麻痺で肢体不自由という生...
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NPO法人無償譲渡交渉成立!

やったー!某大手企業の持つ某NPO法人を無償で提供してもらえることになった!あとは、定款の変更だけだ!今月末にはNPO 法人活動開だ!
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苦しい時ほど真理について考えてしまう

この土曜日曜は 中枢性疼痛のしびれが本当につらかった。中枢性疼痛のしびれといってもどのように表現すればよいか わからないのですが、住友病院神経内科 のホームページ 説明がありましたので、以下に紹介しておきます 街で身体の不自由な方を見かけたら、単に手足が動かないだけでなく、常にひどい痛みや痺れに耐えている可能性もあると考えてあげてください。<中枢性疼痛> 末梢性の痛みに比べて頻度は低いのですが、より苦痛を伴い、難治性で厄介なのが中枢性の痛みです。脳卒中の病変が直接の原因となって痛みをきたすもので、視床出血や視床梗塞による視床痛のほかに、大脳の出血や梗塞による中枢性疼痛、脳幹病変による中枢性疼痛なども知られています。 痛みを感じとるセンサーは体中至る所に張り巡らされています。その信号は末梢の感覚神経のケーブルを通り、脊髄を経由して脳の視床というところで情報処理され、最後に大脳皮質の感覚中枢で痛みとして感じられると考えられています。普通の痛み、すなわち末梢性の痛みは痛みセンサーの刺激で生じますが、中枢性の痛みの場合は、手足の末梢には痛み刺激が加わらないのに、視床や大脳の感覚神経の情報処理の...
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見方を変える

富士山は西からでも昔からでも登れる西の道が悪ければ、東から登れば良い道はいくつでもある。時と場合に応じて、自由自在に道を変えればよいのである。一つの道に執着すればムリが出る。ムリを通そうとすれば行き詰まる。動かない山の動かそうとするからである山はそのままにして、身軽に自分の体を動かせば、そこに新しい道見えてくる。何事も行き詰まれば、ものの見方を変えてみることである。特に企業経営においては、執着心は禁物である。状況に応じて臨機応変に物の見方を変えることが大切である。人は一つのものの見方にとらわれて、執着してしまいがちであり、他の見方があることを忘れがちである「見方を変えれば、世界が変わる。敵も見方になる。不幸ともっていたことも幸せに感じる」下記は有名な「7つの習慣」の本の一節です。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ある日曜日の朝、ニューヨークの地下鉄で体験した小さなパラダイム転換を、私は忘れることができない。乗客は皆、静かに座っていた。ある人は新聞を読み、ある人は思索にふけり、またある人は目を閉じて休んでいた。すべては落ち着...
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絶対の確信と普遍的なもの

よく絶対の確信をもって生きることが大切というようなことを言われ,人は絶対的なものや普遍的なものを求めがちである.それは人情として分からないでもないが、この不確実性に満ちた世の中に「絶対の確信」なんてあるわけがない。刻々と変わりゆくこの世の中、明日もしれぬ人の世で、神様か仏でない限り絶対に間違いのない道などはないものである。だからこそできるだけ過ちを少なく歩むために、あれこれと思い悩み、精いっぱい必死で考えるのであるその結果どうにも他には道がなさそうで、この道が最もの良さそうだと信じ、それでもまだ心もとないけれども心もとないもままでは仕方がないから、そこに勇気をふるってあり続けるものである。自らを励まし続け、励まし続け歩んでいくものである。どんな人でも、確信がありげに見える人でも本当は手探りの人生で、慎ましやかなものである。持てもしない絶対の確信を無理に持とうとするよりも、謙虚な心構えで手探りで生きていく方が自分自身も他人のひどく傷つくことが少なくて結局は最良の道なのではないだろうか。絶対の確信なんかよりも、たとえ手探りの人生で、一見頼りないように見えても自分自身の生き方を信じ、信じ続け...
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わが人生の現実は小説より奇なり

よもやこのような人生を送るとは思ってもいなかった。45歳で脳出血で倒れるというようなことをはもちろん想像だにしていなかった。しかし倒れた後のほうが、実に奇妙な人生を歩んでいるように思う。脳出血で倒れた時は、絶望そのものでした。自分の会社を破産、同時に社長であった私も自己破産。もうどうにもならないと思っていた。体が動かない。収入はゼロ。子供はまだ6歳自分の医療費がかかる・・未来は全く見えなかった・・まさに四面楚歌状態だった。正直言ってもう僕の人生は終わりだと思っていた。ところが今の状況はとても奇妙である。新しい事業立ち上げようとしている。体の不自由になり、体を動かす楽しみは一切なくなってしまったが、なぜか夢がいっぱいである。我こそが日本の産業の発展の礎になりたいというような夢や志まで持つことができている。しかも借金はゼロおまけにたくさんの支援してくれる人が集まってくれている。なんとNPO法人まで無償で譲渡してもらった。夢のような話である。倒れる前は成り行きで作った(親会社の社員の時に、給与体系の関係でもうこれ以上給料を上げることができないので独立して外注として働いてくれないか、そうすれば...