人間について

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Challenged People

今、東京から帰ってきた・・さすがにこの身体で2泊の上京は疲れ切った・・何が疲れるかって身体の環境適応能力が極度になくなっていることだ・・例えば、ホテルの部屋ひとつでも健常者のときなら、自宅と違う間取りやベッドの高さやユニットバスの大きさや浴槽の高さや深さでも何ともなかったそれで当たり前のことだったでも今は違うちょっと高さが違うだけで、足はその高さまで「自然に」上がらないだから躓き、転倒しそうになる・・左半身感覚がないからいちいち目で確認しながらどこまで足を上げれば良いか確認しないと上がることができない外出先では一事が万事この調子だからひどく疲れる・・それでも今回は再生可能エネルギーと水の浄化技術の輸出ビジネスをいっしょにやって頂けるパートナーと実のある打合せができたから今は充実した気分ではある・・そのパートナーは米国のユタ州の法人を設立しておりその法人を利用してじ事業を展開することになった日本での法人設立も完了した。こんなか身体でよくここまで持ってこれたものだと我ながら感心しているこの2日間のあいだにそのパートナーと話したことでひとつ面白い事を聞いたそれは現在,欧米では身体障害者のこと...
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最近の老人?は・・

よく「最近の若者は・・」というけれどそのあとにくる言葉の多くは「マナーが悪い」とか「道徳が云々・・」だこのフレーズは古代エジプト時からあるそうだ・・でも僕は最近障害者になってからというもの「最近の老人?(年配者)は・・」と感じている何かというと「最近の若者は・・」「マナーが悪い」のそのまんま・・最近の老人(年配者)は・・「マナーが悪い」と感じているこれは驚くべきことだけど電車なんかに乗って席を譲って頂けるのがそのほとんどがなんと、髪の毛をピンクやグリーンに染めたような若者であり、僕よりあきらかに年上(たぶん10歳くらい)の人には譲ってもらった記憶がないそれより逆に(いつか記事に書いたど)JRの予約切符の受け取りなんかに片手作業で手間取ったりしたときに「もう終わったのか」と迷惑そうに障害者は街に出てくるなといわんばかりに言ってきた人も白髪が混じりの男性(ビジネスマン?)だった始発駅なんかで電車が来たときにドアに並んでるの僕の存在を気付かないかのようにわれ先にと座席に座ろうと駆け込み乗車して座席を陣取る人たちの多くが僕より明らかに(たぶん10歳くらい)年上の人(お年寄り?)の感がする彼らは...
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痛みとは永遠に闘わなければならないのか・・

今朝も左半身猛烈な痺れと痛みに苦しんだ・・再生可能エネルギーの事業がうまく進み始めているのとは裏腹に・・この身体」だけはどうにもならんし痛みだけはどうにもコントロール不能・・だだいたい痛みと痺れといっても左半身のどの部分が痛いのかさえわからないのだ・・感覚障害のせいだろう・・位置覚まで損傷しているのだ・・左半身は(疼痛でなくとも)外部からの針などで刺された場合でも刺された激痛は感じるが、どこが痛いのか分からないのだ・・例えば指先を刺されても肩に痛みを感じたり、ひどい場合、足に痛みを感じるときさえあるこうなると自分でも、もう訳が分からないこれだけは経験してない人には理解不能だろう今朝も必死でこの訳のわからない痛みで心が折れないようにするにはどうすべきか、必死で考えた結論は・・・痛みを意識しないこと。。意識を他に向けること・・とはいっても痛いものは痛い意識なんて他に向ける余裕なんてない・・このままじゃ心が折れてしまう!それはマズイと疼痛がいくばくか和らぐ抗うつ剤をいつもの2倍服用それでも1時間は痛みと格闘・・やっと1時間半ほどしてようやく落ち着いてきたそんな朝だった・・いつまで続くのだろう...
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愛=「欲」が苦しみの根源

僕は障害者になってしまってからというもの、どうすれば障害者となった事に対して苦しんだり、悲しんだりせずに済むのかこの5年はそのことばかり毎日のうように考えてきたと言っても過言ではない。それだけ苦しかったんだろう・・・決して過去形ではないのだが・・その結果、自分なりに辿り着いた結論・・それは・・健常者に戻りたいというどうにもならない「欲」を持っている事が、苦しみの根源だと思うようになったそして自らの様々な「欲」を限りなく断ち切りたいと思ってきた(思っている)そのために努力をしてきたつもり。。それもこれも苦しみから逃れたいから・・僕は愛(男女愛、親子愛も含め)さえも人間の「欲」であり、そんな愛を持つから愛したい、愛されたいと思うからそれがかなわぬときには苦しみを生み憎しみや怒りに変わるだから、愛さえも自分への愛つまり自己への執着であり苦しみや悲しみや怒りの根源だと思うようなった。そんな思いをいつももっているせいか最近の僕は人の持つ「欲」にはかなり敏感になっていると感じている。そういうことを人(友人や知り合いや仕事仲間からも)から感じてしまうときなぜだか切ない思いにかられてしまう。。そんな今...
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笑いで悲しみや怒りに勝つ

最近思う・・僕は脳出血で半身麻痺になってからというもの心から笑えた記憶がないいつも悲しみ、そして怒りに包まれていたように思うでも悲しんでいる瞬間の僕はとても思考が狭くなってしまっていると思う。思考力が低下しているから悲しみの原因を排除するための知恵も沸かない。。怒っているとき・・怒っているは怒りが僕の人格そのものになってしまい、思考力も停止し、「無知」になっている気がする例えば変な話・・怒りのあまり人を殺してしまうような瞬間ってそんなときには人はまさしく完全に思考力が停止し、無知(バカ)になっていると思うそして怒りが納まってから思考力が働きだし、自分のしたことに後悔し始める・・でも笑うときは、笑えるときは全く逆・・思考力がキチンとあるから「笑う」ことができる笑えるということは、通常の行動とのギャップに「おかしさ」を感じることができるから笑えるのではないかつまり笑うためには思考力が必要になる・・そう考えると笑うことで思考停止状態から脱出でき良いアイデアが湧く結果として何事もうまく行き始め、笑うことで悲しみや怒りに勝つことができるのではないかと思う笑うかどには福来るという諺はまんざら嘘では...
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たとえ見通しがどんなに悲観的であっても、やり続けなければならない

脳卒中後の後遺症の半身不随の回復のためのリハビリ・・これほど報われない苦労は他にはないだろうと僕は思う。。僕は水泳選手でもあったから、トレーニングの効果の実感という経験はある。たとえば簡単な話、腕立て伏せ、スクワット、25mダッシュ50本等々・・いろいろなトレーニングを経験してきた。でもそれらのトレーニングの結果は数日たてば(早ければ翌日には)身体の変化として実感できたものだ。つまりそれまでできていなかった事(水泳なら達成できなかったタイムや泳ぎのフォーム)ができるようになsってきたものだ。。それは苦しいトレーニングのあとの喜びでもあったでもこの脳卒中後のリハビリってやつはいつまでたっても何の回復の実感もない昨日できなかったことは今日もできない。そして、5年後の今もできない・・回復なんて言葉はいつの間にかもう信じていない。それでも僕は毎週通院リハに通っている・・なぜか・・たとえこのリハビリで「回復」できなくても、少なくともこれ以上退化(機能低下)したくないからこれ以上退化(機能低下)すると本当に役立たずな人間になってしまうと思うからだからこの先(回復の)見通しが悲観的であっても、やり続...
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怒っているときは「バカ」になっている

人は怒っているとき本当に「バカ」で無知になっていると思う腹が立った時ムカっときたとき腹が煮えくりかえるほど怒りが込み上げてきているときでさえ「バカ」で無知になっていると思う完全に思考停止している状態なぜ怒っているのかさえ分からなくなっているのではないだろか実際、腹が立った時、ムカっときたときに何に対して腹が立ったのか、ムカっときたのか考えて書き出してみると実にくだらない事に対して怒りを覚えてい事がわかる。それが理解できた瞬間、それまで、あれほどイライラし怒っていた自分がスッと消えてしまうのだ・・例えば、先日僕なんか、左側にボールペンが落ちた、、左手ではどうしても取れない、それでも左手で取ろうとして、取れないことに悔しい身持気持ちが湧き、イラっとしていたそのときに「僕は左手で左側にあるボールペンを取れずに起こっている」と書き出した瞬間にそんなことで怒ってイライラしている自分が急にアホらしくなってきたその瞬間怒り完全に消えてしまい、椅子を1回転して右手でボールペンを取った。。その間ったった1秒程度・・それで難なく僕の怒りは解決した・・何で怒っていたのかさえよく分からなくなっていたくらいだこ...
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何も変わらない・・

必死の思いで進めている再生可能エネルギーの仕事、必死の思いでひとり上京し、必死の思いで羽田空港の左半身の痛みと痺れをこらえながら、たかが到着ロビーからモノレール乗り場までを40分もかかってビジネスパートナーに会いにい行ったりなんだかんだと自分なりにがんばってきたおかげか期待以上に順調に進み始めている・・喜ばしいことであり、運も良かったと思っているそれでも・・変わらないものがある・・それが左半身の痛みと痺れと不自由だこれだけはどうしようもないんだな・・と痛感しているどんなにビジネスが上手くい行こうがまた、たとえどんなにお金を稼げたととしてもこれだけは何も変わらない・・結局、今朝も潜在意識で何か救いを求めているのか何か酷い悪夢を見てしまい(とても書けない夢だったけど)辛い朝を迎えた・・こんな辛い朝いつまで続くのだろう・・そんなことを考えようとして、自ら打ち消し、「負けるもんか」とつぶやきながらベッドから起き上がったあのすがすがしい朝はもう二度と迎えることはできないのだろうどんなに仕事が順調に進んでも・・そして稼ぐことができようが・・何も変わらない・・人生一切皆苦・・かなそんなこと思っていて...
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キャバクラ??

僕は中学生くらいから大のビートルズファンであるビートルズナンバー全213曲知らないものはないそれで、ときどき大阪梅田にあるビートルのコピーバンドが演奏をしているライブハウスに行く。先日土曜日10歳になる息子をロックの生演奏を聞かせれば、少しは興味を持つかと思い連れて行った・・これはそのとき写真最前列の席に座れたので、バンドのメンバーからライブハウスなんかに子供が来ているのがめずしかったのか「ボク、ビートルズのメンバーの名前全部言える?」とか聞かれたりしてライブハウスの中でもちょっと目立ったそんなこんなで楽しかったのか「また連れて行って」と言われてちょっと嬉しかったところが・・翌週、息子が学校でライブハウスに行ったことを自慢げに言いふらしたようだ・・(普通なら別に問題ないことだけど・・)その日、担任の先生から電話があり「息子さんをキャバクラになんか連れて行かれたのですか?」と電話があった・・キャバクラ?驚いたのはこっちだ・・そんなところに10歳の息子を連れて行くわけがない!そもそも、僕はそんなところへ行ったこともない・・あとから息子によくよく聞いてみたら、、、そのライブハウスの名前はビー...
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「生きがい」なんて・・実は邪魔なのかも・・

人間、生きるために、常に何か心の拠りどころがあって「俺はこれがあれば大丈夫だ」とか「私はコレを目標にしている限り頑張れる」とか「生きがい」にしているものがあると思う。じゃあその「生きがいにしているもの」がなくなったらどうなるのか・・きっと不幸を感じてしまう・・例えば子供を育てる事が生きがいという女性がいたとした場合子供はみるみる成長し、家から出て行ってしまうと張り合いがなくなって寂しくなって不幸を感じてしまうようなことは多々あるのではないだろうか僕も健常者の頃はときどき南の島や海に行ってダイビングをする事を楽しみに毎日の仕事が頑張れるとかいつかきっとエジプト回りで紅海(レッドシー)に行って潜ってみたい等々・・心の拠り所というか「生きがい」にしているようなものがあったでも、5年前見事にその(勝手に)感じていた「生きがい」を感じることができない身体になってしまった案の定、僕は「不幸」を感じ、苦しんだ・・そんなものさえ持っていなければ苦しまなくて済んだのではないか・・と思う「これが僕の(私の)生きがいだ」などと「こだわる」ことなんて必要のないことかもしれないだってそんなことは、「絶対的」なも...