記憶が最も人の心を苦しめるからだ。
失ったモノの記憶
失った人の記憶
人生の記憶は人にとってかけがえのないものだと思う。
でも失ったモノの記憶は人を酷く苦しめるものだ。
僕も脳卒中前の記憶
健常者の頃の体力のある元気な自分の身体の記憶
廃業した会社の記憶
真面目に働いてくれた社員の記憶
全部失ったモノの記憶だ。
こんな記憶、いっそ無くなっちまえば良いと思うことがある。
こんな記憶があるから僕を苦しませる。
こんな記憶がなくなればどんなに楽だろうと思うことがある。
でも残念ながら記憶はなくならない
苦しまないためには頭の片隅に「コンクリート詰めにしてしまう」以外にない。
でもなかなか「コンクリート詰め」になんてできない。
「コンクリート詰め」にする俺の唯一の方法は新しい人とのつながりを持つことだ。
そしてコミュニケーションしているときだ。
そして新たな目標に向かって突っ走っているときだ
そんなときは、
心の中で強がっているのかも知れないけど、ツッパっているのかもしれないけど
その瞬間だけは「記憶」がう薄れて笑顔を作ることができる。
でもひとりぼっちになるとダメだ。
どうにもならないくらい辛くなる。「厄介な記憶」って奴が頭にもたげてきやがる。
だから無理にでも新しい人との出会いや「つながり」を持とうとしている。
無理して、背伸びして
他人が無茶だと思うような新たな高い目標を設定するんだ。
前に向くしかないんだ。
今回の震災の被災者の皆さんは僕なんかよりとてつもなく大きなモノ(愛する人)を喪失している
だからその苦しみ想像を絶するものだと思う。
その苦しみを少しでも和らげるためには被災者の失っモノの記憶をほんの一瞬でも頭の中から、
消して上げることではないだろうか
いつまでも自粛ムードを続けることは逆に被災者の失っモノの記憶を呼び覚ましてしまう
ことになるのではないだろうか。
被災者の失っモノの記憶を少しの間でも忘れさせてあげるためには、
被災者が新たな人とのつながりを持てるようなことをしてあげ、
新しい街づくりの目標をできるだけ早く設定することではないだろうか
そして我々は平常通り明るく振る舞うことの方が大切なのではないだろうか
ヘタに慰めの言葉などかけるべきではないと僕は思う。(これはメディアの記者が最も注意してほしい)
それは被災者の失っモノの記憶を呼び覚ましてしまうことになってしまうだろうから、、
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。