人間について

煩悩即菩提

初めて知ったのですが仏教には煩悩即菩提という考え方があるそうです。僕は煩悩をなくすことが生きるあらゆる苦悩から解放されるのだと考えていました。ゆえに無私無欲というものを追求していきたいと考えていました。体が不自由になった心の苦悩だけでなく、中枢性疼痛の身体的な物理的な痛みの苦痛でさえも煩悩をなくすことで解放されるのではないかと考えていた。しかしそもそも人間である以上煩悩を完全になくすことなど不可能ではないかとも思っていた。できないとしても少しでも涅槃の境地に近づこうとする努力が大切だと考えていた。つまり禁欲主義のようなものである。ところが煩悩即菩提という考え方はそもそも人間が完全に欲を断ち切るなどということは不可能だということを前提として、どうせ断ち切ることができないのだから、「欲望をそのまま喜びにかえてしまう」という考え方だ。つまり人間を悩ませる煩悩をその時、その場で、そのまま喜びに転じてしまうというのだ。実に面白い考え方だ。例えば、西洋医学と東洋医学で考えた場合、西洋医学では、悪いところがあったらどんどん切ってしまいます。胃ガンがあったら、胃を切ってしまう。胃がなくても生きられる。...
独り言

弱 音

今回は思いっきり弱音を吐く感覚障害というものはなんと辛いんだ。この辛さは経験したものにしか分かるまい。脳卒中の後遺症といえば手足の運動麻痺がつらいと想像する人が多いだろう。脳外科やリハビリ病院の先生にしてもそうだ。しかし実際には、感覚障害という恐ろしく辛い後遺症がある。この症状は見た目には第三者からは全くわからない。感覚麻痺いうが、これは感覚が「なくなる」わけではない。感覚中枢神経が異常を起こしているのだ。たとえば冷たいものが「痛み」として感じたりするのだ。少し冷たい金属製のドアノブなどに左手が触れるだけで激痛が走ったりする。しかも左半身全体が常時24時間四六時中「痺れ」を感じているのだ。この「痺れ」というものも言葉では表現しづらい。敢えて表現するなら左半身全体を常時サンドペーパーで擦られているような感じだ。これは辛い。1日中24時間続いている。あまりひどいと気持ちを持たなくなる。もう嫌だ。もうやめてくれ、そんな感じだ。これだけ辛いにもかかわらず、外見からはまったくわからないから厄介なのだ。なかなか理解してくれない。長時間の正座などで痺れるような末梢神経から痺れが来るのではない。中枢神...
独り言

なんでこんなことになってしまったんだろう

どうもいかんさっきリハビリのために自宅の周りの一角(1周約600mほど)を歩いてきた。今日はなぜか、歩いているうちにどんどん気分落ち込んできた。よろよろとしか歩けない足踵から着地できず、つま先から地面に着地しようとしてコケてしまいそうになる。ほんのちょっとした傾斜で体のバランスを崩してしまう。。。麻痺した左手はまっすぐにならない。くの字に折れ曲がってくる・・当然のことながら小走りさえできない。。そんな手足を見ていると、なんでこんなことになってしまったんだろう!という気持ちが急に湧き上がってきた。そこそこ中程度に体力に自信のあった僕そこそこ泳ぐことができて、ジョギングも大好きで、各種スポーツも好きだった。なのに・・今はこんなザマだ・・先日就職面接のために大阪に出向いたときも、杖を突きながらヨボヨボとしか歩くことができない。まるで100歳近い老人のようだった。そんなことを思い出してどうしようもなく情けない気持ちに覆われる・・「なんで?」「どうして?」「僕、何か悪いことしたの?」「これは、何かの天罰なの?」という気持ちがどんどん湧き上がって辛くなってくる。一体どうしたというんだ。もう2年も経...
人間について

人間を襲う苦境とその中で生きる意味

人間は何のために生きているんだろう.このテーマは、僕が脳出血で半身不随の障害者になってしまった時からずっと考え続けてきたことだ。人間生きている間さまざまな苦境の波に出会う。たとえまじめに一生懸命生きていても、そんなことは関係なく病気にもなるし、今回の震災のような災害にも合うものだ。人間、何もかも奪われてしまったとき、たくさんの大切なものを失ってしまったとき、これから何を目標に生きていけば良いのかわからなくなってしまう。「あなたは何のために生きていますか」と聞かれたときにみなさんは何と答えるでしょうか。ある人は「ビジネス成功してお金持ちのため」と答えるかもしれません。またある人は「政治家になりたい」と答えるかもしれません。またある人は「オリンピック金メダルを取りたい」と答えるかもしれません。またある人は「医師になって病気の人たちを助けたい」と答えるかもしれません。いずれにしてもどの人も皆それぞれの「自分の幸福」を目指しているのだと思います。しかしその目指しているものがある日突然なくなってしまったとき、人間は苦悩します。順調に自分の目ざすものに進める人なんて殆ど存在しないと思います。そんな...
独り言

この時期の政治家の駆け引きが歯がゆい

先日来、自民党災害対策本部を通して、移動式の海水・濁水(淡水)の飲料水化設備を提案しているが、何の反応もない。当初は、詳細情報を提供依頼があったのでコストも含め提供したがその反応もない。必要のない設備ではないはずだ。実際に日本財団を通して石巻に一機設置してできており、かなりの成果を上げている。1日100トンのオゾン殺菌済みの飲料水を海水や池や川などの水から供給できのだ!ペットボトルで供給などしているよりもずっと効率的だ。どうも自民党が野党であることが問題のようだ。少しでもお金もかかることに対しては動きがとれないのではないかとも聞いています。そこでメーカーの社長に相談したところ、設備は無償提供できるが、せめて作業員の交通費や宿泊費・人件費だけでも出してもらうことはできないかと言っている。(石巻市にはすでに交通費・宿泊費・人件費を出すという条件で供給している)それにしても先日谷垣総裁は、大連立のオファーを拒否したこと自体僕には解せないどうみても党利党略を考えているとしか思えない。現在は国難ともいうべき非常事態だ。こんなときでさえも方針合わないというだけで一致団結することができないのか、もう...
人間について

今日精一杯大切に生きる

人間は知性があるから未来を予測する。人未来を予測できるからこそ不安になるのだ。あの稲盛和夫氏もその著書に書いておられるように才子は才知があるがゆえになまじ先が見えるから今日一日をじっくり生きることを厭い、最短距離を行こうとする。しかし功を焦るあまり、思わぬところで足を救われる。確かにその通りなんだろうなぁ。僕の場合、健常者の頃の歩行速度というものが頭に残っているためによろよろとしか歩けない自分の足がまどろっこしい。。あまり腹が立つので、以前(健常者の頃)のイメージで無理して先を急ごうとするとつま先がうまく上がらず、盲人用の黄色のタイルごときにつまずき転倒しそうになる。そんな時できるだけ気持ちを落ち着け考えるようにしている。ゆっくりでも良いから一歩一歩、着実に歩こう。着実にその「一歩」の積み重ねをすることによって目的地にたどり着けるんだ。焦ることはない。焦るんじゃない。自分に言い聞かせる。1日にできることも健常者の頃に比べると大幅に少ない。だから焦る。そんな時も、平凡な毎日を一生懸命に生きることが平凡を非凡に変えるんだ。自分を信じ今日を最大限一生懸命生きろ。焦る必要はない。でもそのために...
エコブログ

原子力発電の可否

原発反対運動について代替案なき反対運動について攻撃したものの、僕もちょっと気になって、本当に代替案が存在しないのか、原発に替わる電力エネルギー供給方法が本当に難しいのか調べてみた。そうしたら驚くべきことが判明した。原子力発電の出力規模自体は、他の発電方法と比べて圧倒的に優位だった。原子力発電:118~136万Kw石油火力発電:35~50万Kw水力発電:1~2万Kw(資源エネルギー庁のデータ)これだけを見ると、やっぱり現在のところ原子力発電は必要不可欠と思える。しかし発電コストを調べてみると驚くべきことに、水力発電や火力発電と大きな差がないのだ。原子力発電:7.2円/Kwh火力発電 :8.3円/Kwh水力発電 :13.3円/Kwh(資源エネルギー庁のデータ)ウーンこんなに差がないのだ。つま出力規模では圧倒的に巨大な発言力を持つ原子力発電だが、その原子力発電設備もしくはウラン燃料などのコストが膨大であるというわけだ。これほど高コストであるとは思わなかった。これなら、現在高コストであるといわれている太陽光発電や風力発電の発電効率のアップの研究を真剣に行えばペイラインまで来るかもしれない。ちな...
独り言

負けてたまるか

明日、新たな会社の就職のための面接だ。NPO法人はボランティアのようなもので収入が全くないので、NPO法人の理事は皆自分の仕事を持っている。理事は自分の生活費は自分で稼ぐ、NPO法人からは全く収入は得ないというのは方針だ。だから僕も仕事をしなければならない。これまで何とか少ない貯蓄を切り崩して生活してこれたので、ほかに仕事をしなくても、NPO法人の設立などの活動に集中できた。しかしもうそろそろ貯蓄も底が着く。という訳で、ハローワークに入ってここぞと思う求人に応募した。そしたら明日面接になった。しかし大丈夫かな。この身体で無謀にも営業職だ。職種の詳細には、「クライアントニーズをあらゆる角度から分析し、最適なソリューションを提案する営業」と書いてあった。まあ、ソリューションの提案書を作成するまでは何とかできるだろう。しかし問題は、クライアントへのプレゼンテーションだ!何せ半身麻痺で杖がないとロクに移動もできない。片手作業なので書類関係の取り扱いは非常に遅い。フットワーク良く走り回るなんていう営業活動は不可能だ。夏あたりは危ないかな。。。とも思う。暑さでぶっ倒れたら、たぶん最期だろう。まあそ...
独り言

災の震度は「想定外?」

今回の震災で、特に原発問題の中で「震度7は想定外」というような発言に対して批判の矛先が集まったりしているようだ。でもちょっと疑問に思います。そもそも想定など出来たのだろうか。「想定外」という言葉を使うから問題になるのではないか。企業経営のリスクの想定外とは訳が違うと思う。本当は「想定不能」というのが正しいのではないだろうか地震のような自然災害を人間が想定できると考えること自体をおこがましい気がする。自然なんて人類の手の届かないものだと思う。人類の科学なんて所詮知れていると思う。明日の天気さえ正確に予測できないのではないか今回の地震にしても地球にとってみれば大したことはない地殻変動ではないのか。地球の歴史をみれば、現在ある大陸がすべて一つだった。それが分裂して今のような配置になったのである。これは人間の想像を絶するような地殻変動ではないだろうか。それに比べれば今回の震災など(地球にとっては)微々たる地殻変動にすぎないのではないかだから「想定外」ではなく(人類にとって)「想定不能」というのが正しいのではないか。「想定外」などと言うから「想定できるのに想定を怠った」と解釈されるのではないだろ...
人間について

高い欲求水準と無私無欲

全く新しいことを推し進めるときに必要な心構えは高い欲求水準や目標を達成するための強烈な情念やこだわりのようなものが必要だと思います。半面、人間の持っている強い情念やこだわりのようなものは心のも視野を狭くしてしまい、且つ客観的で冷静な判断の邪魔になることが多いと思う。その意味で自分の(自我の持っている)情念やこだわりのようなものは捨てなければならないと思う。この「欲求」と「自我を無くす」という相反することをどう考えればよいのか最近考えている。苦境に陥ったとき、そこから抜け出すためには後(過去)を振り向かず、ただひたすら無私無欲で前を向いて希望を持って行動することが、新たな道を切り開く源泉になると思う。自我は怒りや悲しみを生み判断をゆがめてしまう可能性がある。しかし高い要求水準というものはある意味で「強い自我」が必要だと思う。自我が必要だが自我をしてなければならないこれは矛盾しているのではないか。よくよく考えてみるとその「強い自我」というものがどの方向に向けられているかということが大切なのではないかと思うに至った。その強い自我が私利私欲に向けられているときが良くないのではないか。その場合自...