独り言

天空の城に行ってきた

今日、所用で兵庫県和田山に行ってきた以前から行きたい、撮影したいと思っていた場所がある天空の城跡で有名な竹田城跡である・・もうこの身体では無理だろうと思っていたけどレッツトライ・・やればできた!皆、車で竹田城跡に向かうのでその方向は渋滞・・バカだなぁ・・幻想的な天空の城を見たいなら自分自身が城跡に行ってどうする・・幻想的な天空の城をみるならそれがみえる反対側の山のに上らなきゃダメじゃん僕は反対側の(雨雲峡というらしい)に向かった案の定誰も、人っこひとりいなかったひとり麻痺した足をひきずりながら・・予想は的中!雨雲峡の山の中腹当たりに来たときだった少し森が開けた・・その瞬間!そこから天空に浮かぶ竹田城跡が見えた!リュック背負った、脳出血で倒れる前昔購入した一眼レフを慌てて取出し片手で望遠レンズに交換・・まどろっこしい!両手ならあっという間に交換できるのに・・!片手での望遠レンズ撮影はレンズが震え・・ブレる・・手ブレ防止機能を最大にして・・何とか撮影できた!これだ!実際は写真で見る以上に迫力があり幻想的だ!山間部の高い頂きにポッカリと浮かぶ城跡・・正に天空の城跡だった・・この幻想的な風景を...
人間について

忍耐の後に・・

脳出血で倒れてからというものこの4年間本当にいろんなものに耐えてきたと思う。身体の不自由に耐え・・視床痛の痛みや痺れに耐え・・耐え続けてきた4年間だったもちろん身体的な不自由や苦痛に耐えるのも辛かったけど何より辛かったのは障害者になったことによって結果として味わった様々な「屈辱感」だったような気がする人間、「屈辱感」に耐える事ほど辛いものはないと思うなぜなら人間は心の生き物だから・・でもそんな「屈辱感」に耐え、耐え切った後にこそ次の新しい「強くなった」自分を見つけることができるような気がするそこから新たな道を開くことができるような気がするたとえ障害者でも・・忍耐の徳とでも言うのだろうか・・
人間の生き方

意志と意欲ありき

身体が不自由で辛いとき身体が痺れ、疼痛の痛みが辛いとき心が折れそうになる・・生きているのさえ嫌になるそんなとき、僕は自分の意志を確認にする僕の意志とは・・僕のやりたいこと僕にとってそれは障害者でも役に立つ人間でありたいということそうではないのか自問自答するその自分の意志を再確認できたとき、意志は意欲に変る意欲に変ればもうしめたもの・・意欲さえあれば、どんなに辛い事でも耐えられるから・・僕にとってすべては自分の意志でありその意志の確認であり、そこから生まれる意欲が全てである意欲があれば知恵も湧く知恵さえあれば、半身動かなくても何とかなるものだそして意欲が痛みや痺れさえも癒してくれるように思う
人間の生き方

行動する前に考え抜く・・

僕は今・・何事においても何か行動する前には考えに考え、考え抜くようにしているなぜなら今の僕の身体では咄嗟のときに「機転」が効かないから・・機敏に環境に合わせて対応できない当初、これには参った・・「何か起こっても何もできなくなった」と感じた・・行動することに怯えていたような気がするでも今は違う・・ありとあらゆる起こりうる事を想定しておくそしてそのときに今の自分が対応できるようにするための準備をしておくそうすれば怯える必要はない対応しなければならない想定できることを考えに考え抜くのだもちろん予知能力があるわけではないのだから起こる事全てを想定できるわけではない想定したことが起きなければ起きないに越した事はないでも7割型は想定できるそうすれば想定したことがおきてもこの身体でも慌てる事はない。行動する前に考え抜く・・僕にとってはとっても大切なこと人間なんだから・・考えなきゃ
人間について

考えろ!知恵を絞れ!策はある

映画「ジョニーは戦場に行った」が僕に教えてくれたこと多くの映画レビュー評価は「悲惨」「残酷」「戦争の悲惨さを考えさせられた」とあるが、僕は違う僕は、僕にとってとても大切な事を教えてもらった確かに残酷だったでも、ジョニーに教えてもらったそれは考えろ!知恵を絞れ!策はあるまだ、諦めるな!ということだジョニーは四肢がなく、声を聴く耳も聞こえない、目も見えない、喋る口もないにも関わらず頭を振ることいよるモールス信号により自分の意思を伝え、コミュニケーションをするということを考えたのだ。しかも、まだあるその体で「自分が役に立つ」事を考えた頭の振りでコミュニケーションをする四肢のない面白い人間としてサーカスの見世物小屋に出して「見世物」にすれば稼げるから、そうしろと・・モールス信号で伝えた。それでも「役に立つ」事を考えられるのだ頭の中だけで考え抜き、知恵を絞ったのだこのことは僕に教えてくれたお前には不自由ではあるが四肢もある右手は完全に健常だ眼も見える耳も聞こえる口で言葉も喋れるそれで何が問題なのだもっと考えろ!知恵を出せ!まだまだ考えが足りない!知恵が足りない!策はある!まだ諦めるな!と・・僕に...
独り言

脳卒中の麻痺という後遺症の疑問と厄介さ・・

僕は自分の半身麻痺という後遺症に単純な疑問があるそして健常者の方には見えない(たぶん知らない)厄介な問題がある・・よく片麻痺になると麻痺側に痙性(筋緊張?)が起こるという素人的に考えると麻痺=神経が損傷=力が抜けるつまり筋弛緩というイメージを持つのでのだが・・神経が働かない状態でなぜ筋緊張を起こすのか以下のような記述を見つけたが何を言ってるのかさっぱり分からん-------------------------------------------------------脳卒中により随意運動をつかさどる神経の伝達路が障害されると、病巣の反対側では運動調節機能が失われて弛緩性麻痺となります。しばしばこれが痙性麻痺へと移行していくのですが、その機序としては・上位中枢からの下行路が障害されたため、下位ニューロンが神経化学伝達物質に過敏となり、初めは弛緩性だった運動麻痺が、次第に痙性に変わる。・下位ニューロンと接続する下行路が障害されると、閾値の低い感覚神経(GIa線維)が側芽を発生させて、下位ニューロンと新しいシナプスを形成するので、次第に痙性が顕著になり、痙性麻痺へと移行してゆく。といった説が...
人間について

ジョニーは戦場に行った・・それでも生きなければならないのか

昨夜映画「ジョニーは戦場に行った」を観た僕が小学生3年時の担任の先生(元太平洋戦争の軍人だった)が教室で皆に紹介した映画今でも覚えているその先生が観て号泣したという映画・・それを聞いてから40年目初めて昨夜観た・・震えた・・生き地獄を味わうジョニー両手両足を切断され、顎も吹き飛ばされ口もきけない耳も聞こえない眼も見えない食事は管(チューブ)で首から栄養補給医師も看護婦もこの患者は意識がないと判断でも生かし続ける頭がとおり動くそれは単なる発作痙攣だと判断鎮静剤を注射でも違ったジョニーの頭の中には明確な意識があった身体に伝わる振動から周囲の状況を判断軍医は医学発展のため生きさせるという・・ジョニーが頭を動かしていたのは痙攣ではなく口もきけない、耳も聞こえない手足もない状態でジョニーが頭に中で考え出した最後のコミュニケーション手段頭を振ることでモールス信号を送っていたジョニーはあと何年生かされるかわからないでもモールス信号だけが送り続けている誰かに気付いてもらうまで・・なんだか現代の植物人間状態の介護老人を彷彿とさせる映画だった。最後の「SOS Help me… SOS Help me… S...
最新環境技術

赤道ギニア向けの飲料水化設備導入がまた一歩進んだ

以前から抱えている案件の赤道ギニア向けの地下水の飲料水化設備導入の案件がまた一歩進んだ。以前提案し一日に250世帯分の飲料水を確保できる飲料水化設備に対して、もう少しくない処理量の設備はないかという問合せが来た具体的には10世帯、20世帯、50世帯分が処理できるレベルの装置が欲しいようだ。こういった細かい問い合わせが来るという事は関心を持っている証拠だ。さっそくメーカーに問い合わせて、可能かどうかと見積もりを出させ、ギニアに連絡した。どんな反応が来るか楽しみだいずれにしてもギニアとのパイプは太くなりつつある感じがする我ながらすごいと思うこんな半身麻痺の障害者がギニアに日本の水処理技術を導入する暮らし導入する駆け橋になれているのだ健常者の頃には考えられなかったことだ人生ってわからないものだと思う身体の機能を失い、会社も失い、一時は自暴自棄になっていた僕が今の今まで経験したこともないエンジニアリングの世界で、世界にしかも行った事もないアフリカにつながっているのだ!人生、まだ諦めるのは早いかな
独り言

この国の政治家に志はあるのだろうか・・そして知恵はあるのか

志・・健常者の頃は考えたこともなかったけど・・あえて考えていたと言えば、「目標」でしかなかったその「目標」も自分の欲求を満足させるためのもの零細企業の経営者だった僕は他の零細企業の経営者と同様資金繰りに苦しんでいただから「経済的成功」を目標としていた。それは「野心」でもあったでもそれは所詮は個人の欲望を満足させるものでしかなかったように思う僕は障害者となって初めて、「人の役に立ちたい」という思いが心の中に湧いてきた。。人の役に立ちたいそれは決して自分の欲望ではない。人の役に立つことで自分のこの世の存在意義を確かめたいそう思っただから、そこには「経済的成功」の欲求ようなものは皆無だっただって何兆円積まれても、この障害が回復するわけでもないのだから・・そのとき初めて志というものについてそれが何か分かったような気がするとにかく「人の役に立ちたい」という思いだけであるそこには「野心」のような者は皆無自分は日々生きていられればそれで十分だったから・・自分の甘い人生の中で、初めて「志らしきもの」を持つ事が出来たような気がする今日、テレビの討論番組である政治家が「政治家は志を持たなければならない」と...
独り言

中途障害者の障害という「日常」と周囲の思う「日常」

健常者の方のほとんんどは障害者の方を見たときその障害者の方にとって障害(例えば、全盲・肢体障害)は「日常」だと思っているのではないかと思います。或いはその障害に「慣れて」日常生活できるようになっていると思っているのではないかと思います。僕自身、健常者の頃の障害者の方に対する視点はそうだったから・・「大変だろうな」とは思いながらも・・でも自分が障害者になって、それが全く違うことが分かった自分が障害を持っていることは自分にとって「日常」でも何でもないのだ脳卒中で倒れたあの日だけは僕の周囲の人にとっても僕が障害を負ったことはあきらかに「非日常」だったそう思う実際にいろんな励ました勇気づけの言葉を受けたものだでもときが経つにつれて僕の周囲の人にとって僕が障害者であることは普通の事になっていったと思うつまり今はほとんどの僕の周囲の人(友人や家族)にとって僕が障害者であることは「日常」になっていると感じるでも僕自身は全く違う僕にとって「日常」とは健常者で普通に歩くことができ、普通に左手を使え、ナイフとフォークで食事できる事こそが日常である僕はあの4年前・・倒れた日、障害を負い、左半身が不随になった...