人間について

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日本の職人の心に息づく武士道精神 そして無心の境地

新渡戸稲造はその著「武士道」の中で続けて次のように記している。外国人旅行者は誰でも、日本人の礼儀正しさと品性のよいことに気づいている。品性のよさをそこないたくない、という心配のもとに礼が実践されるとすれば、それは貧弱な徳行である。だが礼とは、他人の気持ちに対する思いやりを目に見える形で表現することである。それは物事の道理を当然のこととして尊重するということである。また、武士道精神は損得勘定をとらない。むしろ足らざることを誇りにする。とも言われる。江戸時代から武道のなかで最も武士道の精神を必要とするといわれる武道は何かご存知でしょうか。剣道、柔道、居合道などを思い浮かべる方が多いと思いますが、実は「弓道」なのだそうです。なぜなら弓道にこそ、「無心」の境地が最も必要とされるそうです。無心とは「私心なく無心になり没頭できる心」であるという。これは非常に難しい心のコントロールであると思う。すなわち無心でありたいと思った瞬間に無心ではなくなるというのである。「無心でありたい」と思うこと自体が私欲だと言うのである。弓道においては、「的を射たい」という心が産まれた瞬間にその「私欲」が発生し、それが心...
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根拠のない自信や信じる力が「漠然とした不安」を制する。

根拠のない自信や信じる力が「漠然とした不安」を制する。「漠然とした不安」これはあの芥川龍之介が自殺した原因ともいわれている心の状態である。「漠然とした不安」これほど精神的にストレスを与えるものは無いと僕も思う。なぜなら、はっきりとして原因が分からないので対処のしようがないからだ。その状態を放置しておくと抑うつ状態に陥る。そして徐々に希望を失い、自らの命を絶つ。 この世の中大抵の人間はなにがしかの不安を抱えているものだ。なんの不安もない人間なんていないであろう。いや実際には不安だらけの人間の方は多いのではないだろうか。そしてそれは通常何の不安か分かっている場合が多い。お金の不安。仕事に対する不安いろいろあると思うけれども、人間はそんな不安をたくさん抱えている。だから、ちょっとしたきっかけで潜在意識の中でその不安の気持ちに火がつくたとえば日経平均株価が万円を切るとか、テレビで殺人事件のニュースを聞くとかそういったことがきっかけで自分の持っている不安に火がつく何か言いようのない不安に駆られるにもかかわらず潜在意識の中のことなので、何が原因なのか自覚ができないのだ。それ以外にも自分ではどうしよ...
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大きな志を持とう

大きな志を持とう今の世の中、希望が持ちづらいかもしれない地球温暖化に代表される気候変動による災害。政治の不信毎日のように流れる不景気の情報や暗いニュース子ども虐待この先生の児童へのわいせつ行為検察による証拠改ざん。僕自身半身が思うように動かなくなってしまった。こんな状態で希望を持てと言われても・・・四面楚歌・・と感じる。不安が心を覆いつくす。こんな時だからこそバカでかい志を持った方がが面白いのではないか。その方が周りが興味を持ち付いて来る世の中全体が「希望」に飢えているのではないだろうか。こんな時だからこそ先に「志」をぶち立ち上げたほうがよいのではないか。みんなといっしょに「もうだめだね」なんて言っていてもしょうがない。世の中がどんな状態であっても人間は「希望」を持つことができるこれがぼくが最近忘れないようにしている信念。希望は世の中の状態でもなく、からの状態でもなく、心の状態なのだ。かつて日本は全くの焼け野原から立ち上がった。なにもかもが焼けただれ、それこそ何もなかったという。周りには負傷者だらけだったという。食べるものさえない。そんな状況でも当時の日本人は希望を持ったのだ。あの松下...
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新入生6割が「大麻を入手できる」関関同立 残念なニュース

非常に残念なニュースである.関関同立の新入生にインタビューしたところなんと新入生6割が「大麻を入手できる」と回答したそうである以下ニュース記事URL残念なことである、世の中に「閉塞感」を感じ、未来に希望を持てなくなり、薬に手を出すのだろうか。僕のブログの冒頭にも書いているように、「希望とは世の中の状態」ではありません。「希望とは心の状態です」「どんなに苦境の空気が流れる世の中でも人間は心のなかに希望を持つことができる」ということを知ってほしい。決してお金持になることだけが、物質的に豊かになることだけ人間の幸せではなく、それだけでは希望にはなりえないということを知ってほしいと思う関西大学が私の出身校でもあるから余計に空しい気がする。
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過剰なノルマ

全体の記事のコメントに過剰なノルマ残業によりノイローゼになり自殺する人がいるというコメントがありましたので、そのことについて書いてみたいと思います。私が書いたプロ意識というのはあくまでも、「貢献」に対する「正当な対価」を報酬としてもらっているのであれば、サービス残業などと文句を言わずに、徹夜してでも業務を完遂することが当たり前だ。ということを言いたかったのです。「ノルマ」この言葉はあまり良いイメージの言葉ではありません。 そこでちょっと調べてみウィキペディアに下記のように書かれていました。ノルマ(ロシア語:Норма, norma)とは半強制的に与えられた労働の基準量であり、大抵の場合時間的強制も付加される。また会社の売上を一定以上確保する、特定の日までに一定量を製造・生産する、競合他社との競争に勝つ、などといった目的を達成するために、経営者などが労働者にノルマを課す。労働者にノルマを達成させる意欲を高めさせるために、労働者に対しノルマ達成の褒美(報奨金、昇進、昇給、海外旅行など高額商品の授与)を用意したり、未達成の場合はペナルティ(解雇、減給、左遷、暴力・暴言など)を与える場合もある...
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自問自答

自分のしていることに対して、他の人が評価をする 褒められる場合もある、けなされる場合もある過大評価にびっくりすることもあるだろう。冷ややかに無視されてしまう場合もあるだろうだからうれしくなって心躍る時もあれば心暗くなってしまうこともあるだろう賛否両論とも自分にとっての戒めとして、きちん受け止めるようにならなければならないといつも自分に言い聞かせるようにしているが、物事が順調に運ぶとついつい自分がやっていることは正しいことだとある意味で盛り上がった気持になりがちだ。常に今自分がやろうとしていること、やっていることは本当に世の中の役に立っているのか世の中の役に立つことなのか自分の単なる自己満足で、エゴイズムではないか、そのことによって周りに迷惑をかけていはいないか。そんなことを常に自問自答しながら生きていくことが大切なのだろうもちろん必要以上に、疑心暗鬼になる必要はないと思う。でも自分を信じながら、しかも自問自答を繰り返していくことが大切なんだろう。今の僕は少しずつ順調に進み始めているような気がするこんな時こそ自問自答をしてみよう。
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真剣勝負で生きているか

僕は昔、剣道をやっていた。面に小手、胴なっどの防具をつけて竹刀で試合をやっている間は真剣にやっているつもりでも、心に隙がある打たれても、死にはしないし、血も出ない、ケガもしないからだ。これが真剣ならそうはいかない。一瞬の気の緩みで命を落とす。勝つこともあれば、負けることもあるなどと呑気なことは言ってはいられない。勝つか負けるかどちらか一つ。負ければ命が飛ぶ。これが「真剣勝負」というものだ。人生は真剣勝負だと思う。どんな小さなことにも命をかけて真剣にやらなければならないと思う。長い人生失敗することもあるなどと呑気に構えて構えてはいられない。これは失敗したときの慰めの言葉であって、初めからこんな気構えでいいわけがない。日ごろ私たちは「真剣にやってます」と軽々しく言っているが、「真剣」ということははそんなものではない。そして真剣になるかならないか、その度合いによってその人の人生は決まってくると思う。僕も一度は脳出血という挫折を味わったが今からでも遅くはないこれからの残された人生「真剣勝負」で日々臨みたいと思う。それでも心がメゲてしまいそうになったときには心の中で「絶対に負けてたまるか」と叫ぶ...
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シャボン玉の歌は鎮魂歌だった。シャボン玉の歌の隠れた秘話

シャボン玉の歌は鎮魂歌だった。ご存知の方も多いと思いますが、僕はつい最近シャボン玉の歌はが実は鎮魂歌だったことを知りました。この歌を作詞・作曲された野口雨情さんは、ご自身のお子様を亡くしてらっしゃいます。しかも、生まれてから1週間後に亡くなったそうです。この曲が発表されたのは、その直後です。1922年(大正11年)です。当時は、医療も まだまだ不十分で、生後まもない赤ちゃんがやむを得ず 亡くなられてしまうことも多かったらしいです。この歌は亡くされたお子様への鎮魂歌なのですね。シャボン玉=生まれてすぐに無なっくなったわが子だったのです。そう思って聴いてみると心にしみる名曲です。人の命のはかなさを感じます僕も生まれて3ヶ月のとき肺炎で死にかかっていたとき、僕の命はこのシャボン玉のようだったかのしれないな。3monthes of my son
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人間の感覚のすごさとそれをフル活用できる日本人

人間の感覚のすごさとそれをフル活用できる日本人今日は週に1回のリハビリテーションだった。そこで僕はこんなことを言った「左の麻痺足と右の健常足を比較すると不思議なんですよね」「階段をのぼるとき健常の右足は階段の段差(通常約15センチ)をきっちりと把握して、目で見てもいないのに階段の距離をきちん測定しているかのように階段に触れることもなく、きちんと一段ずつ足が登っていくんですよね。それに比べて左足は目で見ていないと次の段に足が置ける高さまで持ち上がっているか増どうかが分からないのですがね。だから階段をのぼるときはいつも左足を見てみながらでないと階段を登ることができないんですよ」多分、健常者の皆さんであれば考えたこともないでしょうが、階段をのぼるときに階段を目で見ずにかけ登ったりかけ降りたりできるのはすごいことなんです。考えてみたらすごいと思いませんか?足に目がついているわけでもなくセンサーが付いているわけでもないのですよ。そうしたら、理学療法さんがこんな話をしてくれました。「人間の感覚というものはすごいもので、数段階段を登ると足は、その段差の高さと距離感を把握してしまうんですよ。昔の日本人...
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Co2悪者扱いと脱炭素社会という言葉の違和感

何かといえば、CO2排出するものはいけない CO2削減!こんな言葉がテレビなどのメディアを通して耳に入ってくる。世はまさにCo2こそ天下の大悪人であるという風潮だ。しかしちょっと待てよ・・先日ノーベル化学賞を受賞した鈴木章・北海道大学名誉教授の下記のコメントが元々化学屋だった僕の心にひっかかった。「科学や技術の進歩がなければ人類の将来はない。石油はまだ枯渇しないが、有限であることに変わりはない。化石燃料に変わるエネルギーとして原子力が注目されているが、最終的には炭酸ガス(二酸化炭素)だ。炭素は物質の骨格となる元素でもある。近い将来にはかなり難しいが、炭酸ガスを炭素の資源にまで戻すことを考えねばならない」これを聞いた瞬間「そうだ、炭素は物質の骨格となる元素でもあり、更にCo2は生命の根源ではないか。」と思った。小学生のときに習った「植物の光合成」を考えてみればわかる。光合成とは下記のような物質の変化を起こす。         光         ↓二酸化炭素 + 水 → 植物の成長 + 酸素植物は日光が当たると二酸化炭素を取り込んで葉緑体の中でデンプンを作り、生物はそれを使って生きている...