人間の生き方

人間の生き方

努力をしても

通常は努力をすればするほど成果が上がりますよと言うのが普通である。しかし実際には必ずしもそうはいかない。働けど、働けど、必死に努力をしても なんの成果も見えてこないこともあるそんなとき 失望落胆し、自暴自棄なることもある。しかし、そんなときこそ心を乱さずじっと耐え、尽くすべきことを尽くし、目の前にあるやるべき事を粛々とやることが大切なのだろう思う。そこで失望してしまい、諦めてしまうと本当に成果が出なくなってしまう。諦めてはいけない。諦めてしまったら本当にそこで終わりになるだからどんなに苦しくとも、目に見える成果が出てこなくてもやるべき事を粛々とやることが大切だ。しかし、人間これが難しい。焦り、憤りなどのネガティブな心が芽生えてくるものだ。僕のリハビリなんかはその最たるものだと感じている。健常者の頃、スポーツのトレーニングをすれば数日で筋肉痛という形で「成果」を感じることができたものだ。だからこそ次を頑張ることができたと思う。でも、この脳卒中による肢体麻痺を回復させるためのリハビリはそうはいかない。どんなにリハビリをしても、年単位(場合によっては数年単位)での回復しかしない。だから回復の...
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粛々と・・・

今僕は、やるべきことを粛々とやり続けることを自分に言い聞かせている結果をあせらず、やるべきことを粛々とやり続けさえすればいつか必ず成果があがるときがくるそう信じるようにしている。身体のリハビリもそうだ。脳卒中の麻痺は年単位の回復だというが実際にはリハビリをいくらしても正直何の成果も感じることができない。焦る・・・・このままもう回復しないのではないかやるべきことを粛々とやり続けることができない理由は人間の心に問題があると思う。焦り、怒り、悲しみといった感情が出て来ると人間は冷静に行動することができなくなるものだ。時には喜びでさえ「うぬぼれ」といった感情に変わり、やるべきことを粛々とやり続けることができない状況になることもあると思う。今の僕は仕事の面、身体の面、あらゆる面で大きな壁が立ちふさがっている。努力しても努力しても壁を乗り越えることができないような気がしている。成果が出ない・・焦る・・だからこそ未来の希望だけを信じて、僕は今やるべきことを粛々とやり続けることを自分に言い聞かせている自分の未来を、そして自分自身を信じることができなければ粛々とやり続けることはできない。さらには自分の希...
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策はある

どんな苦境においても必ずそれを乗り越える策はある。その策は人間の心の中にあると思う。一見八方塞がりのように見える状況においても必ず打開策はあるそのためには自分を信じることそして希望(解決策があること)を信じる心を持つことが必要だ僕はそう信じている。信じる心なくし、あきらめた瞬間に策も消えてしまう。そう思うのだ。僕自身3年前脳出血で半身不随となり、会社も破産、自分も個人破産無職無収入、その上毎日が疼痛との闘いの中で正直言って絶望状態だった。もう僕の人生は終わったかな・・これからの半生は介護を受けながら、生活保護を受けながら生きていかなければならないという覚悟までしていた。正直本当にそう思っていた。でも今、信じられないことにこんな身体で新たな事業が立ち上がろうとしている。先日はやっと海外進出セミナーという実績まで作ることができた。セミナー参加者の中から1社でもから海外販路開拓もしくは海外進出を成功したならば僕はまだ社会に役に立つ人間でいることを証明できる。まで僕の人生は終わっていなかったようだ。それは多分僕自身が他人になんと言われようと自分自身を信じて「必ず策はあるはずだ」と思い続けていた...
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技より度胸、知識より熱意 健康より根性

今日はなぜか 精神的に辛かった。なぜ、たかが歩くことにこれだけ苦痛を伴い苦労しなければならないのかなぜ、毎朝、毎朝起床の度に全身に痺れと痛みを感じ苦痛にたえなければならないのか。そして、なぜ、自分がこんな目にあわなければならないのかまさに苦痛が心の卑屈を生んでいた。 そんなことばかり考え、鬱状態だった。 先週はやっとNPO法人主催で中小企業向けの海外進出セミナーの開催に成功したにも関わらず妙に気分がすぐれない。自分の障害の事が酷く辛く感じ、こんなに毎日が辛いのだったら、死んだ方がマシだとさえ考えてしまうくらい辛かった。その辛さから脱け出すためにどうすれば良いか痺れと痛みにあえぎながら必死で考えた。 この中枢性疼痛の痺れと痛みにはなぜか坑うつ剤が効く。場合によっては半分くらいまで和らぐ。薬にばかり頼っているのは嫌だから他に方法はないか考えた。坑うつ剤が効くということは脳が前向きになれば良いということだ。だとすれば、精神力の問題ではないかそこで、武士道に関する本を読んだ。そこにこんなくだりがあった。「敵と相対するとき、勝つか負けるかは技ではなく、度胸だ。死ぬ覚悟のある方が勝つ」と、、僕の痺...
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生かし合う

人間の命は尊い。自分の命は当然尊い。しかし人はともすれば自己の命だけを考えがちになるものだ。自己のと同様に他人の命も尊いはずだ。でも自分が苦しくなるとどうしても自己の命にばかり目がいくものだ。ビジネスなどにおいてもどうしても自己の利益を優先しがちになってしまうものだと思う。僕自身、障害者となった当初は自分の命ばかりが気になった。他人のことを考えるような余裕は全くなかった。ただ「自分が役に立つ人間でありたい」という思いばかりだった。そのこと自体も「自分のため」のエゴなったような気がする。これも自分のことしか見つめることができていなかった状態だったと思う。それでもいつの頃からか人に役立つためには自分を捨てなければならないことに気がついたように思うまずは自己を捨て相手を生かす。まずは相手を生かしてから、そこから自分が生きるきっかけが生まれるそんなことに気がつき始めた気がする。まずは自分を捨てることが大切なのだと思うのだけれどしかしこれがなかなかできるものではない。何かにつけて、どうしても自己を優先してしまいがちになる自分がいることに気が付くことがあるそんな時障害者だから自分を優先してもらって...
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意欲の源泉

負けてたまるかという意欲の源泉は志と執念の強さであると思うそして自分の志と希望を信じる力である 。そして物事の達成ができないのは能力の欠如ではなく執念の欠如である 決して身体能力の欠如のせいにしてはいけないと自分に言い聞かせるのであるそうしないと障害を負っている事に負けてしまいそうだから、、
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真剣に考えてこなかった半分の人生

真剣に考えてこなかった・・なんとなく僕のの人生は悲惨であるはずがないと考えていた。・・ただなんとなく・・45歳までは・・その津波は突然やってきた。脳出血という形で・・全く予期していなかった。。というか真剣に考えていなかった。いつか来るかもしれないと思いながらも・・ダメだ!負けちゃダメなんだ!どんなに身体が辛くても、不自由でも・・負けちゃ・・終わりなんだよ。勝たなきゃダメだ!何としても乗り越えなきゃ!障害者だから・・・なんて言い訳にならない。障害者だかこそ、瞬間、瞬間を負けられない。少しでも負ければ、奈落の底に転落だ!自分を信じろ、希望を信じろ。不安に慄いていても何もできない。思いやり?そんなお人よしはもうヤメにしておけ。本当の思いやりとは正々堂々と闘いを挑むことだ。それこそが相手に対する思いやりだ。これまでの半分の人生は生半可な生き方だったと思う。でもこれからの半生は誰よりも真剣に生きてみせる。結果なんて出なくてもよい。人が言う「成功」なんてしなくてもよい。人生の最期の瞬間に、真剣に生き抜いたことを誇りに思えるだけで良い。
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今の自分が地獄だと思うのは「知らない」から

僕は昔から何らかの病気で盲目になるのことがとても怖かった。でも、あるときテレビで盲目の人にインタビューしているのを聞いた。彼は目が見えないことをしっかりと受け止めていて、その中で学ぶ楽しさや出会う楽しさを感じていました。更に驚くことに彼は白い杖を突きながら、「不便なことはあんまない」とまで言っていました。入会の素晴らしさや学ぶ喜びに目が見えないことは関係ないということを僕に教えてくれたのです。目が見える僕たちには目が見えない人生に楽しさを見いだすのは難しい事です。でも彼は人生に楽しさを見いだしていたのです。僕にはまだまだ知らないことが沢山あります。目が見えない人の心が「元気」であることを「知る」だけで僕には新たな希望が湧いてきました。僕の価値観はこれまでの僕の知識と経験から作り出された小さな小さな価値観であるということに気がついたのです。不安なのは「知らない」からなのだと思います。現状の自分に未来があるのか? 何をどう努力すればよいのか分からない。そんな心の状態が不安を増強させてしまいますつまり未来への努力の方法を「知らなかった」から不安だったのです。僕と同じような環境で人生に生きがい...
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粛々と物事を行うということ。

結果がすぐにでなくても、粛々と物事を行い続けるということは、実に苦しいものである。僕は半身麻痺なってからほぼ3年になるが、未だに週1回のリハビリを続けている。これだけリハビリを続けても大して効果が出ているとは感じない、、、、でも僕は半身麻痺になったとき誓った。45歳で45年かかって出来上がった脳機能が破壊され損傷したのだから、あともう45年リハビリを頑張ろうと・・そうすればそのころには90歳だけど元に近い身体機能を取り戻すことができるはずだということを信じようと・・そんな思いでこの3年間リハビリを続けてきたけれど、さすがに3年間でほとんどの身体機能の向上を感じない状態では「もうダメかな」と心が折れそうになってしまう。それでも気を取り直してリハビリを続けてきた。そんな経験から僕は昔よりずっと忍耐強くなったような気がする。結果がすぐにでなくても粛々とやるべきことをやり続ける。そんなことが昔よりできるようになった気がする。今のNPO法人の活動においても同じだ。何かの行動を起こした時、結果が出ない。1週間たっても2週間たっても何の反応もない。そんな状況の時でも粛々とやるべきことをやり続けること...
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僕の志とは・・本物か!?

「志」・・この文字をよく見てみると「士(サムライ)」の「心」と書くではないか。そうだ侍の心なのだ!武士は食わねど高楊枝の心だ!武士はどんなに生活に窮(きゅう)しても不義を行わないという意味だ。僕は少なくとも自分なりに志を持ったつもりだった。振り返って自分はそんな侍魂を持っていただろうか。。どんなに苦しくても、その苦しさを顔に出さないでいただろうか笑い飛ばしてしまうくらいでないといけないのだろう。今やっと、志に向けて第一ステップが進み始めている。これが成功すればうまくいけば世界の目が日本のソーラー技術に向くだろう。そうすれば世界のプレイヤー(投資家)がこのファンドに注目するはずだと信じている。 それが日本経済活性化の起爆剤になるのではないかと考えているしかし前途は多難である。ファンド組成のステップが進み始めたとはいえ、このプロジェクトの肝でもある全量買い取り制度の実質スタートは来年の7月だ。しかも買い取り価格の決定は来年3月だという。買い取り価格が決まるまでファンドの利回りがシミュレーションできない。おそらくこのタイミングで電力会社やその系列からの抵抗勢力がに台頭するであろうことは予測で...