人間の生き方

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山は動いていた

山は動いていた。少しずつだが、動いていた。人は努力しても、努力しても、成果がゆっくりとしてると焦る止まっているのではないかと思い、もうあきらめてしまおうかと思ってしまう。本日私の進めているプロジェクトの打ち合わせをした。この2週間ほど進み具合が遅かったのか、進捗を感じられず、若干心のなかで焦りが出ていた。やっぱりダメかな・・・・こんな気持ちになってしまう。でもとにかくやれるだけのことはやろうと少しずつ自分でできることは進めてきた。今日打ち合わせでスタッフが集まったとき、新しいアイデアがどんどん出てきた。みんな考えていてくれたんだな。。と実感した。さらに九州からも支援者が現れたニューヨークからも現れたオーストラリアからも現れたいつの間にか少しずつだが見えないところで進んでいたようだあきらめなくてかった。僕の半身麻痺、もうリハビリを始めて2年近くになるが、リハビリ病院を退院したことそんなに変化を感じない。やってもやっても回復している実感がない。脳卒中の麻痺のリハビリは一時期停滞するらしい。そのことは本で読んだので理解はしているつもりだ停滞自体が回復の一過程であると認識して、本人ももちろん理...
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生きる意味

「あなたは何のために生きていますか」という問い掛けに対し明確に答えることの出来る人は少ないのではないでしょうか。趣味に生きるとか、スポーツが大好きで、スポーツさえしていればそれで良い。仕事が趣味、仕事に生きがいを感じ、死ぬ瞬間まで仕事をしていたい。お金儲けが趣味そんな人もいるでしょう。僕も健常者の頃、いろんな「楽しみ」がありました。プールで思いっきり泳ぐ楽しみサッカーや野球をして汗をかく楽しみジョギングをして汗をかく楽しみ。沖縄に行ってスキューバダイビングをして水中写真を撮影する楽しみ次に休みを取ったら何をしようかな。時間とお金に余裕ができ、沖縄なんかに行けそうになればワクワクしたものだ。でも、もうこれらの「楽しみ」はすべてあきらめなければならない状況になってしまった。このブログにもある心臓に障害のある方からメッセージをいただきました「障害を持つということは生きる上でたくさんのことを諦めなければならないですよね」というメッセージだった。僕もこの2年間で本当にたくさんのこと諦めた、いや諦めさせられた。「もう2度とできないのか」と思った瞬間はとても辛かった。「ではいろんな楽しみを諦めたあな...
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日本は、人類はパラダイム大変換をすべきときではないか

今、日本は、いや人類はパラダイム大変換をすべきときではないか僕はこの2年間で自分の誇り、喜びの価値観の大転換をしました。否応なく転換させられたというのが真実ですが・・これをパラダイムの変換というのだろう。パラダイム転換というのは大変な苦痛を伴います。少なくとも僕にとっては大きな苦痛でした。障害者となってしまった今、価値観の大転換をしないと生きていけない。そのためには自分の持っていた誇りや喜びは一旦一切捨てなければならない。倒れる前の僕は、体力には自信がありました。水泳部出身なので、持久力には自信があり一種の自分の誇りでありプライドでもありました。また仕事においてもエンジニアの経験コンサルタントの経験などいろいろな職歴からバリバリと仕事をこなしている自分に自画自賛と少しの誇りがありました。車にしても、排気量の大きなアメ車の大きな車に乗り、自慢でもありました。(今から考えるとくだらないことだと思えるのですが)そして「喜び」フィットネスクラブのプールで思い切り泳いだり、運動をして汗をかいたりする喜び、お気に入りの車でドライブする喜び脳出血によって左半身麻痺となり、そんなささやかな誇りや喜びを...
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勘を働かす

サムライ・・真剣を持って敵と相向かう・・緊張した瞬間・・白刃がキラめき、打ち込む斬り込まれる瞬間、相手の剣をはね、飛び退り、逆に斬り込む目にも止まらぬ早技であるそこに理屈はない相手の刃が右から来た、だからこれを右にはね、身体を切り返し、一歩下がって左から斬り返そうなどといちいち考えながら打ち合ってなどいない。目には見えぬ気配のようなものを感じ取りからだ全体にひらめく一瞬の勘で咄嗟に斬り返す動作である。しかしそれは、理屈で考えた以上に正確に且つ的確に動作し、相手を倒す。勘というと非科学的なものと考えがちだがそうではないと思う。これは日頃の修練から積み重ねた経験から生まれるものである思う。人間は修練に修練を重ねると科学の力も及ばぬのほどの正確さをもつことができるのであると思う。それは人間の脳のなせる技であるのではないか。人間の脳が蓄積できる情報量は無限に近い。修練を重ねれば重ねるほど、情報の蓄積量は無限に蓄積されていく。それらの無限大の情報から、瞬時に正確な直感を働かせることができるのである。脳細胞の組織は米粒程度の大きさの中に10万個のニューロンとx200万本の軸索と100億個のシナプス...
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笑って死ねるか?!力を尽くして日々最善を尽くす

日々生きているなかで、仕事でもなんでも、一生懸命精魂尽して努力した時には、力が及ばず・・という面が多々あったとしても充実感でいっぱいになるものである。この気持ちは何ものに変えがたいものであると思う。僕自身、これまでの人生、決して成功した人生とはいえなかったけれども僕なりにベストを尽くしてきた。これだけは自信を持って言える。去年、再出血で死ぬかもしれないと覚悟をしたとき、自分の人生を振り返り、能力がなかったかもしれないが、自分なりに常に、精いっぱい頑張ってきた人生だったと思うことができた。「自分の度量を省みずちょっと無茶したかな」とは思ったが・・それくらいの方が納得いく人生になると思うこれは事の成否を超えて、人生の最期を迎えるにあたって最も大切なことではないかと感じた。人生の勝ち方・負け方どんなに強い力士でもその勝ち方が正々堂々としていないとファンは失望するし、人気も去ってしまう。勝負であるからには勝たなければならないが、どんなやり方でも勝ちさえすれば良いのかといえばそうではない。人生も同じだと思う。成功する人生もあるだろう。僕みたいに途中で失敗する人生もあるだろう。しかしその成功の仕方...
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論語の実践-1

さっそく論語の本を買ってしまったそこでこれから論語の実践を心がけることにした。まず曾子曰く、吾日に吾が身を三省す。一日3つの「信頼」に背いていないか反省することというような意味らしいそれなら、一日3つの信頼を得る行動をするというのはどうだろうかり信頼を得るということは、人との「つながり」を深くする行動と定義してみようその上で、つながりが深くなるか新たなつながりができるような行動をしてみるころにしよう。人との「つながり」こそ「生きている証」と感じる僕なのだから・・1日3つの行動を下記の中から必ず実践する努力をしよう。・相手にとって益のある提案をする・全く新しい人にアプローチする・自分の失敗を潔く認め、誠実に謝る(これもつながりを深くすることになるのではないか)・相手の行動に感謝の意を表すそれ以外にもつながりを深める行動をしよう1日3つで1年で1095人の人とのつながりが深まるではないか三日坊主にならないように・・(^o^;)
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平常心

火事場であれば、誰で慌てる。非常事態なのだからなりふり構わず、他人の足を踏んでも、まず炎をしなければならない。他人の助けも借りなければならない。しかし、それは非常事態だから許されたことである。やむを得ないことでもある。しかしあくまでも非常時だから許されたのである。ことが正常に戻れば、それは許されない。僕も脳出血を起こし一時はパニック状態だった。そして助けも求めた。泣きごとを云い、鬱状態にもなった。しかしもう2年も経っている。危なっかしいがなんとか杖なしで1キロ近く歩くことができるようになった。まだ左手は全く動かないが、それでも右手でかなりの速さでタイピングができるようになった。おかげさまで、言語障害や機能障害は起こっていない。もう甘えることは許されない。独り立ちするのはやっぱり勇気がいる。でもいつまでも甘えることはできない。息子のためにも強い父親でありたい。息子は僕の背中を見て育っていくだろう。だからこそ、もう平常心に戻らなければならない時期ではないだろうか。
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一心不乱

戦場にて分別有ては突破る事成らず、無分別が虎口にて肝要也葉隠武士道の一文です戦場で分別など持っていたら、突撃などとても怖くてできるものではない。という意味らしいなるほど、無心であれということだろう。障害のことなど忘れて、一心不乱に今目の前にあることに集中し、一心不乱に仕事をしよう。それがいちばん幸せかもしれない。葉隠武士道を読んでいて面白かったのは「芸は身を滅ぼす」という一文です普通は「芸は身を助く」でしょう。真逆のことを言っているのです。しかも「不器用であれ」とも言っている。現代の常識からすれば「非常識」でしょう。でもこれも多分「器用貧乏」ということに近いことを言いたいのだろうと思った。現代、インターネットや各種メディアによって、人は情報過多の状態だと思います。そして、いろんな情報を耳にして「知ったかぶり」になってしまうが、その実何もできないというのが多くの人にあるのではないだろうか一芸に秀でることが難しい世の中だと思います。僕が20代の頃、ある腕の良い宮大工さんに「こんなすばらしい仕事ができて良いですね」と言ったら「わしらの頃は、これ以外にすることができなかったんだよ。これ以外にす...
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覚 悟

覚悟を持って事に当たることが大切であるなどと言われるまた覚悟を持って事に当たれば、イザというときにうろたえることがなく、冷静に事を進めることができる。ともいわれる。しかし「覚悟」とは一体何だろうか死んでも良いという覚悟?」失敗してもよいという「覚悟?」周りに批判されてもよいという「覚悟?」いろいろ考えられるけれども「覚悟」という意味をはっきりと掴めないでいた。そして僕は、最近こう持っています。「覚悟」とは「最悪の事態に陥っても乗り切れる方策を持つことによる自信」と考えるようにしました。経営や政治においても、「最悪の状態を想定して準備し事に当たることが大切」といわれるが、このことではないかと思うようになっています。昔、経営コンサルティング会社に勤めていたころ。経営戦略とは最悪の状態を陥ることを想定し、その事態を打開できる考えられるありとあらゆるオプションを用意しておくこと。と習ったことがある。「最悪の状態を想定する」ということをネガティブ思考、後ろ向きな考えと批判する人もときどきいるが、最悪の状態を想定し、万が一そうなってしまったとき対応できる準備をしておくと、「何が起こっても大丈夫」と...
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気合いだ!気合いだ!気合いだ!

昨日から風邪をひいてしまったようで、熱っぽく気分は最悪状態レスリング選手のどこかのお父さんじゃないけど気合いだ!気合いだ!気合いだ!気合いだ!気合いだ!気合いだ!病は気から!非論理的かもしれないけど病は気合いで治せる!どこかのアメリカ人が「日本人には風邪を引いたら気合が抜けているという人がいるけど風邪はウィルスが感染するんです。気合いでどうなるものでもない。日本人はおかしい」などと言っていたのを以前みたことがあるけど、僕は気合いで、心の持ち方次第で、脳からの指令が強くなり、免疫力もアップする!と勝手に信じてます。誰から唯脳論者と言われるかもしれないけど、人間の心=脳という考え方に変わりはない。心で病も、この麻痺も克服できる!と信じてます。神様仏様とお祈りするようなことは僕は死んでもしないだろう。死んだら「無」になると確信しているので、神様も仏様もあったもんじゃない。天国も地獄もこの世にある。人との関りを持つことができることこそが天国、孤独は地獄。気合いだ!気合いだ!気合いだ!