人間について

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今日精一杯大切に生きる

人間は知性があるから未来を予測する。人未来を予測できるからこそ不安になるのだ。あの稲盛和夫氏もその著書に書いておられるように才子は才知があるがゆえになまじ先が見えるから今日一日をじっくり生きることを厭い、最短距離を行こうとする。しかし功を焦るあまり、思わぬところで足を救われる。確かにその通りなんだろうなぁ。僕の場合、健常者の頃の歩行速度というものが頭に残っているためによろよろとしか歩けない自分の足がまどろっこしい。。あまり腹が立つので、以前(健常者の頃)のイメージで無理して先を急ごうとするとつま先がうまく上がらず、盲人用の黄色のタイルごときにつまずき転倒しそうになる。そんな時できるだけ気持ちを落ち着け考えるようにしている。ゆっくりでも良いから一歩一歩、着実に歩こう。着実にその「一歩」の積み重ねをすることによって目的地にたどり着けるんだ。焦ることはない。焦るんじゃない。自分に言い聞かせる。1日にできることも健常者の頃に比べると大幅に少ない。だから焦る。そんな時も、平凡な毎日を一生懸命に生きることが平凡を非凡に変えるんだ。自分を信じ今日を最大限一生懸命生きろ。焦る必要はない。でもそのために...
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人間を襲う苦境とその中で生きる意味

人間は何のために生きているんだろう.このテーマは、僕が脳出血で半身不随の障害者になってしまった時からずっと考え続けてきたことだ。人間生きている間さまざまな苦境の波に出会う。たとえまじめに一生懸命生きていても、そんなことは関係なく病気にもなるし、今回の震災のような災害にも合うものだ。人間、何もかも奪われてしまったとき、たくさんの大切なものを失ってしまったとき、これから何を目標に生きていけば良いのかわからなくなってしまう。「あなたは何のために生きていますか」と聞かれたときにみなさんは何と答えるでしょうか。ある人は「ビジネス成功してお金持ちのため」と答えるかもしれません。またある人は「政治家になりたい」と答えるかもしれません。またある人は「オリンピック金メダルを取りたい」と答えるかもしれません。またある人は「医師になって病気の人たちを助けたい」と答えるかもしれません。いずれにしてもどの人も皆それぞれの「自分の幸福」を目指しているのだと思います。しかしその目指しているものがある日突然なくなってしまったとき、人間は苦悩します。順調に自分の目ざすものに進める人なんて殆ど存在しないと思います。そんな...
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煩悩即菩提

初めて知ったのですが仏教には煩悩即菩提という考え方があるそうです。僕は煩悩をなくすことが生きるあらゆる苦悩から解放されるのだと考えていました。ゆえに無私無欲というものを追求していきたいと考えていました。体が不自由になった心の苦悩だけでなく、中枢性疼痛の身体的な物理的な痛みの苦痛でさえも煩悩をなくすことで解放されるのではないかと考えていた。しかしそもそも人間である以上煩悩を完全になくすことなど不可能ではないかとも思っていた。できないとしても少しでも涅槃の境地に近づこうとする努力が大切だと考えていた。つまり禁欲主義のようなものである。ところが煩悩即菩提という考え方はそもそも人間が完全に欲を断ち切るなどということは不可能だということを前提として、どうせ断ち切ることができないのだから、「欲望をそのまま喜びにかえてしまう」という考え方だ。つまり人間を悩ませる煩悩をその時、その場で、そのまま喜びに転じてしまうというのだ。実に面白い考え方だ。例えば、西洋医学と東洋医学で考えた場合、西洋医学では、悪いところがあったらどんどん切ってしまいます。胃ガンがあったら、胃を切ってしまう。胃がなくても生きられる。...
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すべては心

人間が不幸になるか幸福になるかすべては心次第である。心が弱くなってしまうとすべては終わりだ。辛いと思えば辛くなる。心は強くなければならない。「強い」という意味は「敵に勝つ」というような強さではなく、「苦境に耐えることができる」という意味での強さだ。この強さがなければ人生、生きてなんていけない。この心の強さはどうやって生まれるのかそれこそ苦境が心を強くするのではないか今回の東北大震災報道の中で「東北の人間は強い苦境に耐えることができ笑顔で答えられる」といっている人がいたが、僕はちょっと違うと思う。東北地方という自然環境自体が苦境そのものだったので東北の人たちは心が強くなったではないか。「心が強いから不苦境に耐えることができる」のではなく、「苦境に遭遇するから心が強くなる」のではないかたくさんの苦境に遭遇するからこそ苦境に耐える「心の持ち方」を体得できるようになったのではないかそれに引き換え現代の日本には「心の病」を持つ人が増えた。これは日本が平和で裕福になってしまったことが原因ではないだろうかいわゆる「平和ボケ」の一つではないだろうか先般、石原慎太郎知事の「天罰だと思う」という発言に対し...
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懸命に働くこと、仕事こそが魂を磨くことができ心を強くすることができる方法だ。

懸命に働くことは尊い。仕事こそが人間の魂を磨くことができ、心を強くすることができるのではないか。お釈迦様も悟りの境地に達するための修行法の一つとして「精進」することの大切さを説いています。精進とは、一生懸命働くこと、そしてわき目もふらず打ち込むことだと思います。仕事こそが、自分の魂を磨く方法だと思う。仕事とは英語でWORKと書く。WORKとは「作品」という意味でもある。仕事は自分の「作品」なのだ。そしてその「作品」が人々に役に立つものであればあるいは価値のあるものであればこそ人々からその対価をいただけるのだ。「作品」というと、芸術家の専売特許のように思うかもしれないけれど、どんな仕事も、その人にとって「作品」なのだと思う。レストランのウェイターやウェイトレスの仕事だって「作品」だと言えると思う。「お客様が本当に満足するような素晴らしいおもてなしができる」という「作品」を作ることをできるのではないだろうかそんな素晴らしい「作品」を作ることのできるような仕事ぶりであれば、人々は価値を感じ、たとえ高価であってもその対価を払うことを厭わないであろう。労働というものはそんな尊いものではないだろう...
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水ビジネスで世界の雇用を創出まで考える企業

現在、未来における世界的な水不足をにらんだ水ビジネスがを今後大きなビジネスになると言われている。そんな中で日本においても、水のビジネスのチャンスを逃すまいとしている企業が多く存在する。日本の浄水化技術は世界一である。浄水化技術には、いわゆる不純物を濾過するフィルター技術と成分除去をするいわゆるRO膜という機能膜技術が存在する。機能膜は海水から塩分などを取り除き淡水にする技術で、東レなどの大手フィルムメーカーが以前からその技術を持っており、現在珍しいものではない。今後の水ビジネスにおいて大手企業は以下に水不足の国に対して、いかにして、その国のインフラとして、導入をするかという戦略を考えている。インフラとして導入できた場合その事業規模は大きい。水質浄化だけでなく、取水から排水までのインフラ設備を受注できるからだ。インフラ設備の受注の「旨み」は設備設置後のメンテナンス請負い受注だ。初期の設備導入による売上よりも継続的な安定したメンテナンス収入が入るためだ。大手メーカーは大手商社とともにこのような大きなインフラ設備受注を狙っている。だから水不足の小さな村や町などは対象外だ。小型の移動式の飲料水...
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「天罰」だとか「神の怒り」を受けるべきは東京の人間であり、政治家だ!

政治家は好き勝手なことを言って責任逃れをするな!先日は石原都知事の「天罰」発言!そうかと思ったら今度は国民新党の亀井静香代表が「この世の地獄が展開されようとしている。その責めを東北の方々が一身に背負って、あの悲惨な目に遭っているとも言えるのではないか」亀井静香代表の発言に関する記事などと言ったそうだ。言いたい放題だな。災害に有った「天罰」だとか「神の怒り」だとかいい加減にしろ!自然災害にしたって、病気にしたって自然の一部なんだ!自然の大きな流れの一つなんだ!人間の行為の代償なんかではない。この世の中は不確実性に満ちているのだ!いつ病気になるか自然災害に遭ってしまうかなんて誰に分からない誰の責任でもない!そういった不確実性に満ちた世の中でも希望を持ち続け生きていかなければならないのが人間なんだ。じゃあ彼らは僕が脳出血になり、半身不随になってしまったのは「天罰」だとか「神の怒り」だとでも言うのだろうか!そんなこと考えてたら希望も何も持つ事なんて出来やしない!それでも希望を信じて、自分を信じて、仲間を信じて生きているんだ。政治家たるものが「天罰」だとか「神の怒り」だとか言うなんて自分が何もで...
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自分を信じなきゃ人生じゃない

人生は、甘いものではない。厳しいものだ。油断したら突き落とされ、どん底から抜け出せなくなってしまうと思う。いつ僕のように脳卒中で障害者になるか分からない。僕だって今回の震災のようにいつ被災するかわからない世の中は不確実性に満ちている。いつなんどき、どん底に突き落とされるか分からない。薄氷の上を歩いているようなものだと思う。そんな時、最も大切なことは自分の価値を信じ、どんなに強く打ちのめされてもこらえて前に進み続けることではないだろうか自分の価値を信じることこれほど大切なことは無いと思う。今回の僕の石巻への強行は自分のやろうとしていることそして自分の価値を信じているからこそ、左半身の痺れと痛みを堪え、この身体で2000キロもの距離を超える強行移動をして、設備確認に行くことができたのだと感じる。だから痺れがどんなにキツくでも、どんなに身体が痛くても頭がボーっとするくらいフラフラに疲れているにも関わらず、辛いとは一切思わなかった。自分を信じていなければ、きっと途中でギブアップしていただろう。やっぱり自分を信じなきゃ人生じゃなと思う。自分の価値を信じなきゃ人生じゃないと思う。今回の石巻行きが終...
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能力を失うことより自信を失うことの方が恐ろしい

前日の記事のコメントに「100社落ちた私に価値はありますか」というコメントがありましたのでそのことに対して思うことを書きます。能力を失うことより自分を信じることができず、自信を失うことの方が恐ろしいと思うのです。能力を失うことより、自信を失うことの方が恐ろしい 夢を失うことより、夢を追う自分を信じてあげられなくなる方が恐ろしい。この世にきっと自分を必要としてくれる人が存在すると信じることが最も大切なこと 僕も脳出血で半身麻痺になった当初、そうでした。 「自分は何もできない人間になってしまった」「何の役にも立たない人間になってしまった」 そんな風に自分を信じてあげられなくなりました。必死で「健常者に戻りたい」とばかり思っていました。「健常者に戻りさえすれば・・」そんなことばかり考えていました。でもそれは犬が猫になりたいと思うようなものでかなわぬ夢なのです。そのことに気付き、更に犬は犬なりの能力生かす、つまり手が全く動かない障害者で書類整理さえできない自分でも、できることをすれば良いじゃないか、それでも自分を必要としてくれる人が存在するはずだと考え始めたころから自分が変わり始めました。そし...
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「無理」というのは人の心が作るもの

最近、自分が半身麻痺あることが当たり前になってきたような気がするもちろん中枢性疼痛の痛みや痺れは辛い。体が不自由なことによって出来ないことがたくさんあることも辛い。でも最近なんだかそれが「当たり前」と言うか「それが自分である」という感じになってきているような気がする。心のどこかで回復を諦めているのではないか。不可能だと思って諦めているのではないか。これはいけない。無理だと思った瞬間に、不可能だと思った瞬間にそれは本当に不可能になる。「無理」というのは人の心が作るものだ。「希望」も人の心の中に持つものだ。・だとしたら、「奇跡」も人の心から生まれるのではないだろうか。あきらめてはいけない。あきらめてはいけない。あきらめてはいけない。何事も「必ず出来る」と信じよう。自分の中で信じることさえできれば、他人がなんと言おうときっとそれはできるのだ。そしてそれができれば、それを他人は「奇跡」というのだろう。だから「奇跡」を起こそう。そうだ「奇跡」を起こせるのは自分しかいないではないか。自分が「無理」だと思った瞬間に、それは無理になる。不可能になる。