人間について

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壁は乗り越えるもの

障害者になって以来、次から次への僕の前に立ち塞がる壁心の壁、身体の壁、仕事の壁いろいろ壁はあるけれど自分の前に立ち塞がった壁は立ち止まるものではなく乗り越えるもの立ち止まっても何も進まないから。。乗り候えるためにどうすべきかを考えることが先決でもすぐに立ち止まってしまいそうになる。そんなときもう一度自分がやりたい事、なりたい自を思いかえす要するに志を想うようにしよう。そうすれば、壁を乗り越えるための知恵を出そうと努力できるような気がするから
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不 安

不安って・・家計や企業経営が経済的に脆弱だったり僕のように身体に問題があるとき確かに不安になるものだでも決して経済的に順調であっても身体が健康であっても人間から「不安」が消えることはないような気がする思い返すと倒れる前の方が不安がたくさんあったような気がする。この健康がいつまで続くのかこの会社がいつまで続くのか銀行から大きな融資を受けることができて有頂天になっていた反面本当に返済できるのか売上は維持し続けられるのかそんな不安だらけだったと思うそれに引きかえ今僕は身体が不自由で経済的にも綱渡り状態であるにも関わらず、希望だけはなぜかあるそこに向かって前に進んでいる感があるとても低いレベルだけれども着実にステップをほんの少しずつ上がっている感があるそんなとき不安はほとんど忘れている今、なぜか僕に向かって情報が流れてくる経済的には綱渡りだけれども、希望はあると思っているそれにこれ以上「下」はないから、上に登るしかないからこういう状況は確かに目先は苦しいけど長期的に逆に希望を感じる僕のブログの冒頭にも書いてあるけれど希望とは・・物事がうまくいっているときの喜びや成功が明らかな企業に投資する意欲...
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狂気と正気

最近いじめが原因で自殺したという報道をよく聞く自殺かぁ・・変な意味ではなく自殺できるってすごい事だと僕は思う。僕も障害者になってからというもの、これまで何回も死にたいと思ったでも自殺なんてそう簡単にできるものではない少なくとも僕はどんなに苦しくてもできないだろう。だって自殺は少しでも意識の中に「正気」があると絶対にできないと思う狂気でないとできない僕の場合、どんなに痛く手苦しくても、たくさんのものを失って悲しくても、どんなに辛くても僕の心の中の「正気」がなくなることはないそれは臆病ということなのかどうなのかわからにけど正気があると自殺なんて絶対にできないと思う。だから自殺できる人はすごいと思う昔の侍は切腹をしたというが僕には絶対に不可能だ侍といわれる人たちは正気で自分の腹を斬ったのだろうかまたあの三島由紀夫は正気で割腹したのだろうか
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無私無欲

無私無欲・・この言葉はぼくにとって魔法の言葉・・生身の人間である以上本当に無私無欲になんてなれるわけがないけれど無私無欲と唱えるだけで、強くなれる気がする物理的な痛みや痺れにさえも無私無欲で勝つことができるような気がする無私無欲と唱えていれば怒りも悲しみも憎しみも許せるようになったような気がする無私無欲・・武士の鏡である西郷南洲のようになりたい・・無私無欲・・僕にとって一番大切な言葉である
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無私の人

ブッダが悟られた真理とは、、、生きること自体が苦悩であり、その苦悩を自らが正しく解決する事が重要である。その上、人の苦しみや痛みを共感でき、同情心をもてば人の苦悩まで解決できる。ということであるまたラストサムライのモデルとも言われる武士の鏡でもある西郷南洲翁は無私の人だといわれます。その西郷南洲翁が命も名誉もいらない、官位も金もいらないというような人は扱いに困る。しかし、このような人物でなければ困難をわかちあい、国家のために大きな仕事を成し遂げることはできない。この言葉は、山岡鉄舟のことを語ったと言われています。いずれも人の苦しみを自分の苦しみとして困難を分かち合える人であり無私の人だ。郷南洲翁は西南戦争の最後城山にて「晋どん もうこの辺で よか」と言って首を差しのべたという事は有名だそして自刃した。無私無欲、、人間にとってこれほど強い心持ちはないのだろう。これは僕の憧れであり、人間としての僕の最終到達地点だと思っているできるかどうかはわからないが・・
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心の傷は時間が解決してくれるのではない「忘れる」以外に方法はない

人が受けた心の傷・・時が解決してくれるという人がいるがそれは違うと思う時が解決しくれるように思えるのは、「忘れる」ことができているからだ。心の傷を負うときとは・・・大切な人の死・・僕のように一生の障害を負ってしまうときそれ以外にも人から受けた侮辱。屈辱・・それは怒り・悲しみ・憎しみ等の心の傷として残るそんな心の傷が癒えるのはその出来事を「忘れることができたとき」以外にないと思う。どうしても忘れられないとき、時は解決してくれない。時は何の役にも立たない。じゃあ「忘れる」ためにはどうすればよいか思い出す「きっかけ」にできる限り遭遇したい事だと思う。長い間、その「きっかけ」に遭遇しなければ「忘れる」ことができ結果として「時」が解決してくれたように思えるのではないかところが日々その「きっかけ」と向き合わなけばならないような状況においては「忘れる」ことは不可能に近い。そうなると「時」は解決してくれない僕の場合、僕が過去に水泳ができていたという記憶が僕を苦しめる。水泳能力の「喪失」の苦しみだ過去に水泳ができていたという記憶を「忘れる」ということはほぼ不可能だでも僕がもし僕が過去に水泳ができていたと...
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自殺は自分を大切にしないことになるだろうか

自殺・・今の時代自殺=悪 生きる=善ということが常識となっているようだが本当にそうだろうか昔の人(特に武士は)生き恥をさらすくらいなら死を選ぶというように「死は生きるための選択肢の一つ」としてあった今の時代、死という選択肢を持つことができないことにより苦しんで生きる(生き地獄)を味わっている人は多いのではないかと思う死によって自分のプライドや誇りを守ることもできるのではないだろうか日本人の仏教の流れからくる武士道の精神それは、、、運命に身を任せるという平静なる感覚不可避に対する静かなる服従危険災禍に直面してのストイックな沈着そして生を賎しみ、死を親しむ心これらは決して自分を蔑ろにすことではなくむしろ自分自身の生きるための誇りやプライドを守ることになるのではないだろうか「誇りやプライドのために」生き、また「誇りやプライドのために」死を選択できるというようなこと人間にしかできないこと決して「悪」ではないと思うのだが・・なぜなら人間には心があり、その人間の心の重みは肉体よりもずっと重いと思うその心が死んだ状態で肉体だけが生きることに何の価値があるのか!と感じるから必ずしも肉体の死=悪ではない...
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武士道

武士は自ら道徳の規範を定め 自らそれを守って模範を示すことで民衆を導いていったのである。新渡戸稲造がその著書「武士道」で言うように武士道においては「恥」は死よりも悪いものとされる。「恥」とは卑怯なまねをしたり、自分の怠惰によって仕事に不都合を生じたり、不忠を働いたりすることだ。そんなところから「花は桜木、人は武士」 という言葉が産まれ、侍は 日本民族全体の「美しい理想」となった。「大和魂」は 武士道がもたらしたもの、そのものであった。 日本民族固有の美的感覚に訴えるものの代表に「桜」がある。桜は古来から日本人が好んで来た花であった。西洋人は バラの花を好むバラには桜が持つ純真さが欠けている。バラは、その美しさの下にトゲを隠し持つ 朽ち果てる時は、 生に執着するがごとく そのしかばねを 枝の上に残す日本人が愛するのは桜の花だ淡い色彩と ほのかな香りその美しさの下にはやいばも毒も隠していない散り際のいさぎよさ まさに死をものともしない自然のおもむくままに、散る準備ができている。 これこそ武士道の精神であると思うこれが本来の日本の姿であり、日本人の姿であると思うその淡い色合は 華美とは言えな...
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人は心の世界に棲んでいる

人は心を傷つけられると死のうとするけど身体を傷付けられたときには生きようとするそんな意味でも人は心の世界に棲んでいると思う
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滅私で疼痛を乗り切る

視床痛(別名:中枢性疼痛)が今日も酷かった・・死六時中続く左半身の痛みと痺れ・・「痛みの元」が存在しないのに脳が勝手に痛みを感じるしかもモルヒネなどの通常の痛み止めは一切無効・・この中枢性疼痛という後遺症で自殺する人がいることも理解できる。とにかく痛い、左半身全ての皮を一枚剥がされたような激痛・・手の抗に五寸釘を打ち付けられたよう痛み・・赤く焼けた鉄板を押しつけられたような灼熱痛・・現代医学ではまだ原因がほとんど分かっていない推測の域を出ない だから有効な治療法がないだから患者は耐えるしかない ただひたすら・・もう3年半も耐えた・・もういい加減にしてくれ僕はこの痛みに耐えるとき「滅私」とか「無私無欲」と唱えるなぜなら自我があると気が変になりそうになるから「心頭滅却すれば火もまた涼し」といわれるけれど確かにそう唱えていると不思議と耐えることができるこんなとき脳に心が宿っていると感じる脳=心=魂と確実に感じるだから滅私にトライすることで疼痛を乗り切るそれしか方法がないから・・身体が不自由なのは工夫で何とでもなるでも、この痛みだけはたまらん精神までおかしくなりそうだ。。自我がなければ、身体の...