人間について

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こだわりと思い入れと冷静さ

人間にとって「こだわり」や「思い入れ」といったもの大切なもののように聞こえる。でも、ビジネスにおいては全く不必要であり、邪魔なものではないだろうか。「職人のこだわり」「職人の思い入れ」等々を賞賛している番組などをよく見るがあれは間違っているような気がする。ビジネスにおいて「こだわり」や「思い入れ」は冷静な判断を誤らせる危険があると感じる。老舗の会社が赤字事業部門から撤退が遅れ倒産してしまうのもその伝統の事業部門に対する「こだわり」や「思い入れ」があるから判断が遅れどんどん赤字を膨らませてしまうのではないだろうか。それだけではない「こだわり」や「思い入れ」などというものはビジネスコミュニケーションにおいても大きな弊害になることが多いのではないか。僕は障害者となってから、生きることそのものが苦しいために、何かと「こだわり」や「思い入れ」といったような熱い思いを無理にでも持ち続けようとしてしまっているような気がする。志とか希望とかいう聞こえのよい言葉で・・そういったものが自分の生き方において自分の心の中だけでに持つべきものであって外に出してはいけないのではないだろうか。そんなことに今悩んでい...
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障害を個性と思えるまで・・

先日、ある会社の社長から僕のことを「障害者」ではなく僕の障害を「個性」と思っていると言われた。そういえば「五体不満足」の著者の乙武さんも同じようなことを言っていたことを思い出した。個性か、、僕には正直まだまだ難しい。左手足が思うように動かないことは僕にとってはまだまだ僕の行動の行動の邪魔をする「障害」としか思うことができない。なぜなら僕も脳裏には思い通りに動いていた左手足の記憶が鮮明に残っているからだ。乙武さんは先天性だからそんな記憶は無いだろう。(だからと言って乙武さんのことを僕よりも辛くないと言うつもりはない。小さい頃から他人と違う自分に苦しんでいただろうと思うけれど、だだ僕にはその辛さを理解することはできない)しかも僕は思い通りに動いている右半身がすぐ横に存在するのだ。だから思い通りに動かない左半身が余計に歯がゆく感じてしまう。でも今日、少しは「個性」になりつつあるのかもしれないと感じたことがあったそれは今日電車に乗るときだった。切符を購入して自動改札機まで持って行くとき、僕の右手は杖を持つ必要がある。左手は全く動かない。だから切符を自動改札機まで持って行くための手がない。阿修羅...
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障害や痛みを受け入れなければ前に進むことができない?

僕のブログの読者になって頂いた方の中に「障害や痛みを受け入れなければ前に進むことができないでししょうね」というメッセーを頂いた方がいます。でも僕は絶対にそうではないと思っています。以前にも同じような記事を書きましたが、、、医者はよく障害者に「障害受容」という言葉を使います。つまり「障害を受け入れなさいでないと生きていけない」とでも言いたいのだろうか「受容」という言葉・・僕はこの言葉はなんと冷酷で残酷な言葉だと思っている。例えば愛する人の死の悲しみや障害を負った苦しみなどを受けれること?不可能だ・・経験した事のない人が無責任に言う冷酷且つ残酷な言葉にすぎないのではないのだろうか。たとえな肉親や子供を亡くした方は時間の経過とともにその悲しい事実を受け入れることが本当に大切なのだろうか。それで心が癒されるのだろうか時間と共悲しみが癒される?それは不可能だと僕は思うその人達の時間は亡くしたときの瞬間で止まっているのだ。日常に涙が消えたのは、決して受け入れたわけではない。心の隅にひたすらにコンクリート詰めにして隠しているだけ。それでもときどき辛い想いが心の中に浮かび上がり、ひとり涙にくれるものな...
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終わりがないということ

脳卒中の後遺症という病気との病気の最大の違いは「終わり」があるかないかではないかと思う。脳出血で左半身麻痺なってから、後遺症をなんとか治したい一心で藁をも掴む気持ちで色々な脳神経外科に行った。どこの脳神経外科だったか覚えていないがこんなことを言われた。「後遺症は治りません。治らないから後遺症というのですよ」ものすごくショックだった事を覚えている。確かに脳出血以来もう3年経過するが左半身の後遺症の痺れは3年前と同じである。つまり3年間ずっと痺れ続けているのである。1日24時間1分1秒消えることない。これが「終わりがない」という実感である。他の病気なら、例えばインフルエンザかかって苦しくても1週間か10日で「終わり」が来る当初その「終わりがない」ということを考えたとき、とてつもなく恐怖だった。終わりがない・・この苦しみがいつまで続くのだ!という問いに誰も応えてはくれないというのは恐怖である。実際には終わりはある。それは死ぬときだ。死ねば当然痺れも痛みも意識さえも無くなってしまうのだから、、(もちろん癌や白血病などの不治の病も苦しみの終わりは死であるが・・)癌などの場合でも「余命宣告」という...
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僕が本当に本当に辛かったこと

僕が脳出血で半身不随になって本当に辛かったことは 身体が不自由になったり、痺れや痛みなどの身体的なことなどではなかった。その結果として後に起こったいろいろな出来事だった。そしてその結果、さらに起こった身内の揉め事・・そしてそれらの処理だった。脳出血で倒れたとき僕はサラリーマンでは無かった。そのことが後で大きな負担となった。簡単にいうと一つは会社の清算という決断の苦しみだった。会社の清算=借金が残るその数千万の借金がこの半身不随の身体にのしかかってきた。。たかが数千万といえど半身不随という身体になってしまっては身体の不自由さを受け止めることで精いっぱいだった僕にとてもそんな借金など返せる自信はなかった。倒れる前の僕だったら日雇いの土木作業員でもして一生かかっても返すというような気力も沸いたであろう。でもとてもじゃないけど、こんな身体で数千万の借金を抱えて生きていく自信はなかった。このままだと間違いなく妻子を路頭に迷わせてしまうと思った。自死した方が楽だ。そしてその保険金で借金を返そうと考えたことも無理はなかった。そんな苦しみに苦しんだ末、選んだ選択が会社の破産であり自己破産だった。この処...
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志が達成しつつあるのかな

先週末、九州の会社のソーラーパネル技術に対してインドからのオファーを取り次ぐことができた。なんと5エーカー(約20000㎡)の広大な土地にそのソーラーパネルを設置したいというオファーだ。日本の中小企業の持つ技術を世界にアピールし繋げたい。そのことで僕がまだ役に立つ人間であることを証明したいそんな思いで立ち上げたホームページから、いつのまにかできたNPO法人の本物の実績が上がろうとしている。さらにこの会社に対する数十億円ものメガソーラーファンドのスキームもスタートできそうだ。ファンドの世界なんてど素人だった僕だけど、「何とかしたい」という思いだけで、恐いもの知らずでファンド会社にダメ元で直接飛びこんでいった結果、意外にも強い関心を示してくれ、ファンドにど素人な僕に対して、考えられるスキームについて教えてくれ、ポジティブな姿勢で接して頂き次のステップに進むことになりそうだ。あまりにも大きな話なのでまだ現実感がないが、これまで諦めなかったことが功を奏したような気がする。こんな身体でもここまでできるものなんだと我ながら感心してしまっている。まだまだこれからさまざまな壁が立ちはだかるだろうけれど...
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物事が達成できない理由

物事が達成できないのは、能力(身体機能や頭の良さ)の欠如ではなく、執念の欠如である今、そう自分に言い聞かせている自分自身のために・・・
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やはり全ては心である。

今日は朝から麻痺側の足が異常に痺れていて歩くのがとても辛かった。そもそも気分がすぐれていなかった。一昨日からあまり良いことがなかったから・・そしてNPO法人の事務所に出向いてメンバーたちと今後の話をしたりして、前向きな話が出てきたころから不思議と足の痺れが少なくなってきた。(自分は決してひとりではないという感覚が沸いてきたころからだと思う)朝、あれほどツラかった歩行だけど、午後には坂道でも「なにくそ」という気持ちが湧いてきた。我ながら不思議なものだと思った。身体的障害を克服させるのも人の心なんだ。身体にどんなに障害があっても強い心さえ持つことができれば身体的な怪我などでさえも乗り越えることができる。そしてその心を癒してくれたり、励ましてくれたりするのも人の心であり、人との「つながり」なんだとつくづく感じた。そして精神的障害を克服させるのも人の心であると思う.人との「つながり」こそが人の心を強くし、希望を持たせるのだと思う。それはきっと「絆」というものだろう。人は一人では生きていくことはできない人の病んだ心を治癒できるものは人の心しかないのではないか。決して薬ではないと思う。そんな心さえ...
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不確実性の世の中で希望を持つということ

「不確実性の世の中で希望を持つことができるのが人間だ」という。これは脳科学者の茂木健一郎氏の言葉です。世の中不確実性に満ちている。明日自分が交通事故で死ぬかもしれない。そのような中でもほとんどの人間は自分が明日交通事故で死ぬとは思っていない。明日も生きていると思っている。これっていわるゆる明日の希望じゃないか。明日自分が交通事故に遭わないなんて希望に何の根拠もない。でもほとんどの人間がそう「確信」しているのではないか。何の根拠もないのに・・もし明日自分が交通事故に遭うかもしれないなんて思っていたらビクビクしてい生きていけないだろう。こんな不安にも根拠がないのだ。もっと言うと、男と女の結婚ほど不確実性に満ちた行動はないのではないか。自分たち二人だけは幸せになれると確信して結婚している。。何の根拠もないにも関わらず・・誰も自分たちは不幸せになると思って結婚する男女はいないだろう・・・でもその「確信」があるからこそ二人幸せになろうと努力し、知恵とアイデアを出し切磋琢磨するのではないだろうか。結果として幸せになれる。。のではないか。そういうことが不確実性に満ちた世界で希望を持つということではな...
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自分に自信がなくなったとき・・

自分自身に自信がなくなってしまったとき自分の能力に限界を感じてしまったとき・・どうやってそんな精神状態から脱却すればよいのだろう。僕はやっぱり根拠のない希望を持つことだと思う。不安だって根拠がない。自分に自信がないというとき、ほとんどの人は自分は明日生きていると考えているのではないだろうかこれって、明日、自分が生きているという自信に他ならないのではないか。自信をを持っているではないか。何の根拠のない自信を・・皆、持っているのだ・・だから生きていけるのだ。じゃあ自身喪失状態に陥ったとき「根拠のない希望」をどうやって持てば良いのか。僕はこう思う。それって「意欲」だと・・「こうなりたい」とか「何が何でもこの苦境から脱却してやる!」という「意欲」ではないかと思う。「意欲」こそが生きる知恵とアイデアの源泉ではないか自分の身体能力やその他の能力に自信がなくなったとき自分の「意欲」に自信を持てばではないかと思う。誰にも負けない「意欲」・・人の「意欲」こそが希望ではないかと思う。だからこそ希望は世の中に存在するのではなく、人の心の中に存在(芽生える)ものだと思う。逆説的に考えると苦境だからこそ、希望の...