人間の生き方

人間の生き方

挫折を糧に凛と生きる

人間、生まれたときから挫折の連続ではないか。ミルクを飲むのに失敗し、立ち上がることに失敗し、歩く事に失敗し、ころんで怪我をして、そこからどうしたら転ばないで済むかを学び、なぜ転んでしまったのかえおも学ぶそんな学びがあるからこそ歩く事ができるようになり、ミルクもこぼさず飲めるようなる。誰しも失敗の連続であり学びの連続ではないか。でもその失敗に挫けることなく、失敗を糧にできるからこそ成長してきたのではないか。失敗こそ、挫折こそ学びの宝庫ではないか。一度失敗したくらいで、挫折をしたくらいで諦める必要はない。失敗したところで終わるから失敗なのだ、成功するまでやり通せば成功になる多くのことを学ぶことでができれば、次からはそれまでに感じることが出来なかったことを感じることができ、物事に対する判断能力も向上していると思う。そしてより有意義な人生を送ることができるのではないかと思う。失敗は悔しいかもしれないけれど決して恥ではない。僕も障害者になって多くのことを学ぶことができたと思う。障害者の気持ちを理解できるようになった。日々の「悔しい思い」を理解できるようになった。体が動かなくなってきたお年寄りの気...
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面白きこともなき世を面白く 住みなすものは心なりけり

面白きこともなき世を面白く 住みなすものは心なりけり高杉晋作の辞世の句だ。今48歳の僕、振り返ってこれほど波乱万丈の人生になるとは思いもよらなかった。43歳で小さいながら会社を起業、決して適職とはいえない社長業を奮闘し、45歳のさあこれからというときに、脳出血起こし、半身不随の障害者となってしまった。おかげでやっと新たな事業の立ち上げ、少し軌道に乗りつつあった会社も破産、無職、無収入に陥ってしまった。それからというもの日々中枢性疼痛の痺れと闘い続けた。半身麻痺の体ではもうこれ以上何も出来ない、役に立たない人間になったと思って自暴自棄になり僕の人生もこれで終わりかな。などと思っていたけれど脳の再手術の入院中に思いついた日本の技術を海外向けに紹介するデータベースサイト入院後に作ったこのサイトから派生して、それがいつのまにか日本のモノづくり企業の海外の紹介と海外販路開拓を支援するなどという大それた事業目的のNPO法人を立ち上げるまでになった。いまだに1分1秒痺れはキツく、辛いけど、高杉晋作の言う通り、自分の人生を振り返って、辛い人生だと思えば、辛い人生だ。面白い人生だと思えば、面白い人生だ。...
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決して弱気になってはいけない!要は心の持ち方だ!

一度志を持ったからにはちょっとしたことで弱気になってはいけない。と今、自分に言い聞かせている。昨日ある産業振興支援団体の方に、NPO法人の今後の事業展開に対して助言をもらいに伺った。その時に何気なく言われた言葉が僕の心に突き刺さった。「その手の事業は最も難しい分野ですよ。そのような事業をやるには、相当のパワーが必要ですよ。何か問題が起こったらすぐに駆けつけるようなフットワークが必要ですよあなたのように体が不自由だとキツイんじゃないですか」そんな言葉だったと思う。悪気のない気持ちで正直におっしゃってくれたのだろう。でも僕の心には突き刺さってしまった。「僕なんかには不可能だと思っているのだろう。僕はできる。」瞬間にそんなふうに心の中で反発したけれど、打ち合わせから帰って、弱気が出てきてしまった。。やっぱり無理なんだろうか・・・そんな思いがなぜか昨夜から今朝にかけて増幅してしまい眠れなかった。そして今朝、雨模様の天候不順のせいか左半身が猛烈にしびれていた。益々弱気になってきてしまった。でも僕は「M」ではないだろうかと思ってしまった。そんな弱気な気分だったけれど、昨日の言葉を思い出した瞬間、逆...
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「ありがとう」の言葉で飯が食えるか

僕は障害者になってからというもの、「たとえ障害者であっても、人の役に立つ人間でありたい。」「何の役にも立たない人間」にだけはなりたくなかった。ただそれだけ現在のNPO法人を立ち上げたきっかけもただそれだけなのだ。僕は「ありがとう。あなたのおかげで助かりました。あるいは売り上げが上がりました」その言葉が欲しいだけ。正直(本当の本音)言って大きな報酬など僕にはまったく必要ないと思っている。最低限、親子3人暮らしていけるだけの収入さえあればそれで良い。それ以上のものは望まない。だってそれ以上、いくらお金があったところで、この障害が治癒するわけでもないし、以前のように、スキューバダイビングを楽しむことができるようになるわけでもない。だから本当に大きなお金にには興味がない。そのものより、「ありがとう。助かりました。」という言葉がなによりも欲しい。その言葉こそが、「障害者の僕でも人に役立っている」証拠だと思うから、、、僕にとって、「役に立たない人間になってしまった」と感じることほ辛いことはないから、、、そんな気持ちを発症当初イヤというほど味わい、自暴自棄になり、自死まで考えたのだから、、、客観的に...
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困難と苦境こそ成長(発展)のチャンスである。これは真実だ。

過去の多くの偉人が「困難や苦境は試練と思え」というようなことを言っているけれど、これまでの僕はピンと来ていなかった。でも今回僕は脳出血により障害者になったことで、その通りだ!と本当に思えるようになった。なぜなら、困難や苦境に襲われとき、これまで通りの考え方では立ち行かなくならなくなるからだ。だからどうしても新しい発想や知恵が必要になるのだ。そこにこそ新たな本当の生きた知恵が生まれると感じるのだ。そして成長もしくは発展につながるのだ。例えば僕は左手は全く使いものにならなくなってしまった。当然のことながらこれまで両手でしていた作業は今まで通り出来なくなってしまった。(片麻痺なって初めてわかった事だが、人間が行うほとんどの手作業は両手を使っているのだ。片手だけでしている作業なんてほとんど無い)今までのやり方では出来なくなってしまったのだ。身近な生活の中で、丼やお茶漬けを食べるという作業。これは右手片手だけではおそろしくむずかしいのだ。左手で、器を持てないので口まで器を持ってきて「かきこむ」ことが出来ない。当初、そのことに対してとても歯がゆい思いをして、何の知恵も使わず、今まで通り器から口に直...
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無私無欲こそ最大の力

辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、怒り、恨みなどの心が生まれる自分自身に起こったことや身の回りの事象をどのように捉えるかによって、辛いことも、辛くなかったり、苦しいことも、苦しくなかったり、悲しいことも、悲しくなかったり、そして怒りや恨みなど気持ちも薄れるものだと思う。僕の負った障害についても、「障害受容」というような言葉で「現実を受け入れなさい」「受け入れれば楽になれる」などという人もいるが、僕はそうでは無いと思っている。以前の記事にも書きましたが、身に降りかかった究極の苦境や悲しみあるいは憎しみ・恨みなどの起こる挫折など、生身の人間である限り、本当の意味で受け入れられるわけがない。そんな悲しみやつらさはきっと一生受け入れることなど出来ないだろう。そんな「受け入れる」なんていうことを無理にする必要はないと思う。そんなことをしようと思っても、人間の心はそう簡単に受け入れることができるものではない。そうではなく、受け止めることそのものをやめれば良いと思う。受け止めもせず、受け入れもせず、、心をスルーさせてしまうのだ。そのためには「無私無欲」のような心が必要なのではないだろうか僕はそう思い...
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道を開くのは人の心

東日本大震災・・リーマンショック以降続いている100年に一度と言われる不況毎日のように報道される不甲斐無い今の日本の政府今の日本は閉塞感に覆われているという人が多いけれど希望のない世の中になったというけれど本当なのだろうか?と僕は思っているやっぱり僕は希望とは世の中の状態ではなく人の心の状態にすぎないと思う希望も人の心の中にある閉そく感も挫折も人の心の中にある閉塞状態であると思うから閉塞状態になっているだけではないだろうか未来は明るいと思えば明るくなるのではないだろうか全ては人の心の問題ではないかそしていま日本は苦しいと思うのは国民がそう思っているだけではないだろうか国民自身が閉塞状態だと思い込んでいるのではないかだから政治家の人は闇雲に「閉塞」言葉を使ってほしくないと思う政党によっては「閉塞状態を打破し、希望のある社会を作ります」などというスローガンを掲げる政党もあるがこの言葉自体の世の中は閉塞状態だと言っているような気がしてならないそんなことを言うから国民が閉塞状態だと思い込んでしまっているのではないだろうかそもそも世の中に「閉塞状態」なんて存在しないのではないだろうかと思う閉塞状...
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無欲無欲こそ最も強い心

無私無欲こそ強い心であり、何者にも負けない心であると思う。怒り、悲しみ、憎しみ、焦り、、と言ったようなネガティブな心は自我があるからこそ、湧き出てくる感情だ。それはある意味、自分を守りたいという本能から出てくる感情ではないだろうか。自我とか自分が存在しなければ、まもらなければならない「自分」も存在しない。だから、悲しむこともなく、怒りに満ち溢れることもなく、焦りなどの感情も湧かないだろう。僕は脳出血によって、あまりにも多くのものを失ってしまった。初めの頃は喪失感に苛まれ、身体が動けず、ひとり自宅ですごさなければならなかったことに強烈な孤独感に襲われた。何度も自死を考えた。でも、この2年半でそんな苦しみから逃れる術をいつの間にか身につけたような気がする。それこそが無私無欲の境地だ。生身の人間だから、完全に無私無欲になることは不可能だけれども、限りなく無私無欲に近い心になる術を身につけたような気がする。なぜなら、それでも生きなければならないからだ。身体が動かず、どんなに屈辱であっても、中枢性疼痛の痛みや痺れがどんなに辛くとも生きなければならないのだ。たからこそ生きるために!いつの間にか身に...
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忍ぶという生き方

「忍ぶ」という心の強さは攻撃することよりも強く美しいと思う。「忍ぶ」ということは辛く苦しい・病に耐え忍ぶこと・苦難に耐え忍ぶこと・人からの攻撃や侮辱に耐え忍ぶこと「忍ぶ」ということができることは強さの証しではないだろうか忍ぶためには自我を限りなく捨て去らなければならない。そして「忍ぶ」という姿は美しいと思う。だから「忍ぶ」強さは攻撃することよりも強くそして美しい。あのマハトマガンジーの有名な言葉「弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは強さの証しだ」と同じ強さではないだろうか。あのマハトマガンジーの西欧諸国の白人からの無慈悲な暴力や攻撃に対して無無抵抗・無暴力を貫き、耐え忍んだ。その姿は強く美しいと感じる。この「忍ぶ」という生き方は何も人間の敵に対してだけではないのではないか。人間は病、災難、そして死という苦しみに襲われる。善行をしていたかどうかに関わらず、誰しも、病、老、死から逃れることはできない。人間は、ただ耐え忍ぶしかない。だからこそ、それを受け止め、耐え忍ぶ生き方は強く美しいと感じるのではないだろうか。今回の震災の被災者の方々を見たとき、苦難に耐え忍ぶ姿に現代日本人...
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油 断

僕は脳出血によって油断することができない人生を与えられたと思っている。人の心というものは不思議なものでどんなに困難なことでも物事が3年も続けてうまく行くとどうしても心に油断が出てきがちなものであると思う。だから昔の人も「治に居て乱を忘れず」という心構えを解いてくれている。僕は脳出血によって自分が出血性のモヤモヤ病による脳出血だということを知った。そして一度出血すると10年以内の再出血の確率が61%もあるという。正に油断大敵である。油断が即死につながる。そのことを知ったときには本当に怖かった。それでもこの2年半出血する様子は全くなかった(もちろん出血しそうかどうかなんて分からないのだから察知できるわけがないのだが・・)そうすると不思議なもので僕の心の中に油断が出てきているように感じる。でも、僕の場合後遺症という形で強烈な痺れや肢体麻痺が残った。だから強烈な痺れや痛みに襲われるときにはその苦しみから「もしかしたら」という死の恐怖が僕の心の中を襲って来るそうするとおのずと慎重になってしまう。「油断はできない」という気持ちになる。日常生活でも少し油断すると転倒して大けがとする危険が常に伴ってい...